ご無沙汰しています。今日は1000hPaの台風で町がストップしている中、おかげで静かな時間を過ごすことができています。
瞑想も勉強も空間密度が高くないことが自分にとっては大事なのだな、と伊豆にいると気が付きます。物が少ない広い空間だとアイディアも清廉な気持ちで一つのことに向かうのも物がたくさんあるところよりもずっと楽なのです。
伝えたいことなどない、という風にずっと思ってきたのですが、最近の内観でもしかするとみんなに伝えたいことがあるのかもしれない、と漠然と思うようになりました。
それを感じているからなのか、「毎日30分ルーティン」と称して短いものを毎日書く練習をnoteにはじめました。そのnoteはこちらから
毎日書くことを通じて、さっと1000から1500文字ぐらいは30分ぐらい出かけるように習慣づけられてきたのですが、30分だと調べ物もできず、毎日だとあまり凝った内容もかけずでちょっとこれから違うことを模索していく時期だなと思い、毎週一回ぐらいの更新になっています。
昔のことを書いてという声をたくさん頂戴するのですが、どうしても過去のことを書くのが苦手で書けないでいます。どう書いても面白く感じられないので、読んでいただく人も面白くないだろうと思っています。笑
高校時代の話や昔の仕事の話をするのが大好きな人がいらっしゃるのはよくわかりますし、私の昔の仕事はあまり普段見聞きしない話なのでぜひにとおこえがけいただくのですが、今と未来に生きている私には「終わったこと」「成長の糧」でしかないのだろうな、と思います。
特に若いころのことは忘れちゃっていることも多いんです。辛いと感じていた出来事を覚えているために脳のビットを使いたくないんですよね。幸せで前向きで心や魂が成長することにすべてを使っていきたい、それはずっと変わりません。全部覚えていたら、もうとっくに命なんて放り出してしまっているだろうって思いますから。忘れっぽい頭を持っていてよかったな、なんて思っています。
そうそう、話をもとに戻しますね。(毎回の脱線ですね笑)
かの国で暮らしていたころのブログってもっと抽象的なことばかり書いていました。普段、脳みその中でぐるぐる回している言葉をそのまま書いていたのでそうなっていたのですがそれが定期的に「言ってることがよくわからない」と生徒さんによく言われていたわけです。
それは自分の文章力の問題なのだろうといつも深く反省して、書きたいことと表現のはざまであれやこれやと思っていたので、わかりやすさに努めるようにしすぎて結果的にあのころのような文章が書けなくなっているなぁということに気が付きました。
それはどんなものというと、具体性と行動に至る以前の感情と脳の中にある論理性や気づきの言語化、文章化ということです。
で、ふと「自分が今書きたいのはこれだ」ということに判然と気が付いたのです、同時に、以前は書いていたはず、とも思いだしました。
有名なOSHOの今際におっしゃったと聞く一言が思い出されます。調べきれなかったので、真偽が不明ですが、「簡単なことばかり、幼稚園児に教えるようなことばかり教えていないでもう少し難しいこと、せめて小学生、中学生ぐらいのレベルのことをもっと教えたかった」というニュアンスのことをおっしゃったと聞きました。
成長には背伸びが必要で、入門や初級がいくら大事で、そこをある程度理解していないと次のステップに行けなくてもそのレベルばかりやって安住していてはいけない。本当にそういうことなんだろうと思います。私が語学を教えていた時の後悔でもあります。もっとできるようになってから次のレベルに行ってほしいと思いすぎていたきらいがあって、上のクラスに行く人たちをうまく作れなかったのは今でも失敗したなと思っています。
とはいえ、わからないままミドルレベル、ハイレベルに上がっちゃうのはかなり問題で、そこをきびしくしすぎたわたくしは間違ってないけれどうまくなかった、とおもいます。
今、新規事業の一環でいろいろなことを学んでいますが、その学びの中で「これはずっと自分が考えてきた、慣れ親しんだ世界だ」と思えるところで仕事を始めようとしている中で、自分のスタンダードを見返しているといえるのかもしれません。
「わからない」という言葉におののいて、自分の思索の方向性までももしかしたら変えていってしまっていたのかもしれません。それに気が付いたのなら軌道修正なさい、というメッセージのようにも感じます。
ツイッター等SNSをやっていると、エネルギーの違うものは本当に引っかからないようになっていると最近強く思います。
一見すると、「わからない」と言われたころの何かを取り戻す作業と「伝えたいことがある」という事実は相反しています。でもそうじゃない、はずなのです。
自分の根源的な意識に戻ることで自分のコアを取り戻しながら、そこにある「伝えたいもの」を今の自分と調和させて再構築させる、今から当分すべき作業はこれなのかな、という気がします。
誰かにとっての「わからない」言葉は私にとってはとっても身近で「わかりやすい」言葉だった。その世界に自分を返してあげようと思います。
その世界に自分が戻ることで「伝える」ための方法や相手にもひらめきや必然が調和して起こってくるような気がしています。