自分の「好き」を思い出す2024年に

気が付いたら・・・

 皆様、あけましておめでとうございます。そして1年ぶりの更新になっていることに自分が一番驚いています。それほど2023年が私にとって変化と多忙だったと推察いただけるかもしれません。月々のことについては、noteやほかのSNSで更新している通りかわりもなくばたばたしているのですが、昨年もここに書くタイミングを大切にしすぎて、そのタイミングを逸してしまっていたなと反省をしています(これも通常運転ですが)。

 2023年が終わりに近づいたころからNotionという文明の利器が自分にとっても合うとわかり、その使い方をマスターしながら思考の整理と文章を書くということをもっと積極的に行っていく準備を整えています。これさえできれば(笑)思考の記録をきちんとつけていけるのではないかしらと思って自分に期待をしているところです。

拡張

2023年を一言で表すなら「拡張」の年でした。春から50の手習いでマニュアル免許を取りました。「オートマでいいじゃない」と教官に言われながら、半クラッチで何度も落とされてつつ、我慢づよい教習所の先生方になだめたりすかされたりしながら、知らない人と話す強制リハビリもかねての数ヶ月でした。これが思った以上に楽しかったんです。最終試験などは自分でもあっけないぐらいあっさりと通ってしまったぐらいで。先生方は心配して試験中の私の周りをぐるぐる別の教習車に乗りながら回って見守ってくださってたりして、本当に温かい気持ちで卒業試験に臨むことができました。

車を運転することで、自分の体以上に大きいものを動かす楽しさや、自分で運転することの楽しさを感じ、今まで経験しなかった感覚などに大きな刺激を受けています。仕事で頭を使いすぎた後に、近くの灯台までドライブして夕焼けを見に行くなんて言うぜいたくなリフレッシュをしたりしています。

身体意識の拡張だけではなく、ここでもおはなしをしていました、Time waverのセラピストとしてのスタートを切ることができました。こちらは意識や魂レベル、目に見えない世界での拡張です。ここ数年、セッションを受け続けていることで起こってきた様々な変化を自ら操作していくのですから、想像以上の意識世界、深層世界へのアプローチがありました。自分のセッションをとても喜んで受けてくださる方がいること、通訳者として訓練と経験を重ねてきたことが役立っていくこともかんじられて、セカンドキャリアとしては前職を含めた様々な経験を使えることもあり、まさかと思っていたセラピストとしての第一歩を昨年スタートできたことは望外の喜びでした。この意識と量子世界を融合させるデバイスには、未来を託せると改めてそのポテンシャルの大きさを感じることができました。

それから忘れてならないのは、AIによる拡張。これは何を拡張しているのでしょう、可能性を拡張させている、というのが今の私には一番フィットします。一昨年からAIには積極的にかかわってきたつもりでしたが、2024年はそれ以上に、今年はもっと業務を一緒にやっていけるなとワクワクしています。業務の効率化がすすめられることで、自由になった時間を何に使うのか、私たちの頭や手を動かすことでしかできない創造性をどんどんと高めるようなことをしていきたいと思っています。AIは使いこなすもの、共存するためのものであって怖がるものではありませんからね。シンギュラリティが起こるといわれている数年後を見越して、今から自分の立場や人生でいかに積極的にかかわるかが分かれ道かもしれません。いやだいやだと言っていても、身の回りにはAIで作られたものであふれかえっています。実際に自分が経験していなければ、これがAI生成なのかどうなのかもすぐに見極められない世界線がやってきます。その目を養うために早めに慣れておくことが、必要なんだろうなと思っています。AIにはない、私たちの感性の拡張です。

2024年への抱負

10年ぐらいかけてようやく長ーいトンネルが終わりかけて明るくなってきましたが、健康面を含めてまだ準備段階のことがたくさんあります。齢50を過ぎますと、いろいろと焦りたくなる気持ちもなくはないのですが、まずは心身ともに健康に、が基本です。

健康で笑って楽しく心穏やかに感謝しながら毎日一生懸命できる限りのことをやりたいなと思います。まだまだ体力がついていないので、体力づくりやセカンドキャリアのためにしなくてはいけない様々な勉強、それを円滑にするための技術の習得をしっかりとしていきたいです。

そのうえで、自分のクリエイティビティ、表現力という若いころから言葉でしか伸ばしてこなかったことを、もっと他のジャンルでも広げていきたいなと思います。面白いことに、AIやTimewaver などを自分で使いだすと、お料理のレシピの幅がすごく広がったり、ずっとお休みしていた絵日記を再開しても描くことに対して抵抗がなくなったことも感じています。「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」という頭の忙しさは変わりませんが、もっとシンプルに整頓されていて、スムーズに進むようになってきている感じがします。

今年は風の時代が本格化し、組織の時代から個々人の資質、価値観、自分軸が問われていく時代に突入します。周りがこうしてるから、みんながそうだからという時代は何回かの揺り戻しを経てどんどんと抜けていきます。それを証拠に今たくさんの不祥事が表ざたになっていますでしょう?そういう時代が終わっていきます。窮屈に毎日を過ごしていた人は羽が生えたように羽ばたける環境が少しずつ広がるといいな、と思います。窮屈だけれど「こんなもんだろう、仕方がない、当たり前」と思っていた人は少しずつ自分が好きなこと、得意なことを思い出していくといいと思います。

かの国でアテンドをし始めた頃、日本の麺と違って、おだしが薄い麺を食べてもらうときに「自分の好きな味つけにして食べたらいい」といっても「??」となっている人が多くて驚いたことを覚えています。人に出される味に「おいしい、まずい」をいうこともテレビやSNSの影響が入ってることも多いですよね、テレビで紹介されていた、とかなんとかランキングとか、インフルエンサーがなんとか言ってたとか。
「自分の好き」小さい頃はたくさんあったと思いませんか? それを思い出すもよし、「今の好き」を確認するもよし、好きと楽しいで満ちた1年にしたいと思います。

そういえば、お料理は昔から好きでしたが、パンやお菓子のレパートリーがどんと増えました。私みたいな人でも簡単に作れるレシピがたくさん出てきたおかげで、食卓が勝手に豊かになっていきます、ありがたいことです。笑

あと、どなたか必要とされる方に「教える」という仕事も再開できたらいいなと思います。何を教えるねん、というのはまぁさておきですが。先にちょっとできるようになったことを身に着けたい人に共有するの、好きなんだと思います。メソッドつくりはおとくいですので。もう少し元気になったら、そういう方のお役に立ちたいなと思っています。

読んでくださっている皆様お一人お一人がどうぞ、健康で穏やかでいられますようにと心よりお祈り申し上げます。本年もどうぞごひいきによろしくお願い申し上げます。

                     

堂々巡りからスパイラルを上がっていく

南伊豆、弓ヶ浜の朝

松の内も終わり、いつの間にか日常が戻りつつある中で年末年始とのズレを少しずつ戻そうと体や心がしている気がしています。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

昨年はセカンドキャリアに少しずつ足をかけてスタートの下地を作るような一年でした。心はいつも穏やかで感謝に満ちているおかげでとても心地よい毎日を送れたなと思っています。

その一因に一年間セッションを受けていることの影響があるように思います。元々は自分が仕事にしたい仕事のことをよく知りたい一心で受けていたのですが、思っている以上に自分の在り方に良い影響を与えてくれていると思います。

タイムウェーバーというのは量子の情報にアクセスして自分の心身を分析して調整してくれる機械なのですが、普通にあるエネルギー機器の倍ぐらいの次元までアクセスして調整してくれます。

わたくしのそこそこ長くなってきた人生の中で「謎」と思っていた事が少なからずあるのですが、それを幾つも解いてもらっている気がします。あ、それと占星術にもその辺りの分析は随分助けられたような気がします。

自分の陥ってしまっている堂々巡りには気がつきながらもその解決方法がどうしても見つからず、距離と検討する時間やタイミングを慎重に検討して丁寧なやりとりをしてもいつも残念な結果に陥る事が多かったことが解消されつつあります。すごく不思議な気分です。

ちょうど50歳の時に「タイとの関わり」について一つの答えが出たおかげで自分の気持ちがすごく楽になっていったように、人生の棘を少しずつタイムウェーバーが自分の望む未来に行くために抜いていってくれているような気がします。

苦しかった時代のことがどんどんと遠いものになっていくのは人生が穏やかになっていきます。もちろん世界や社会には悲しいことも辛いことも不条理もたくさんあるのですがそれでも、やはり自分の心や在り方が穏やかであるようにあるのは本当に大切でありがたいことだと思っています。

この一年非常にその認識を強くしたのは、人間にはそれぞれの器があって、その器なりの理解や世界観や正義や善悪があるのだということです。その器以上の認識も理解も世界観の把握もできないということです。そしてその器は簡単に大きくすることもできない。

それに気がついたのは、奇しくもChat GPIやTWのセッションがきっかけでした。膨大なデータベースに縦横無尽にアクセスできるということはすなわち、全知全能の神を味方にするようなものなのですが、その膨大な情報で一体何を受け取り、それを自分の中で理解して消化して自分の糧とすることは不可能です。

人間はその器にあった情報を得て、その器にあった理解をし、行動するということです。

その事実を持って世界を見ればさまざまな事柄に納得と容認ができます。さまざまな事象が変化し、崩壊し、複雑に絡み合っている現状を分析するにはさらなるマクロな視点を持つ必要がありますが、先ほど話したようなミクロな集合体が有機的につながり合っているのだというとてもリアルなイメージが持てるようになりました。

このような世界観を持ちながら自分との対話を深めていくことに必要なことのひとつが真言を唱えることだったり、深い瞑想でした。

何年もの間いろいろな宗教を投じて自らの精神世界を深く探求していたことが、結果的にとても役立っています。瞑想の方法や特定の力のある真言はあらゆる宗教に独自のものがありますが、どれが今の自分に合っているのかというのかは時期や何を求めているかにもよるのではないかと思っています。

上座部仏教に長く接してきて、そこでの方法論に随分と慣れていた自分が別の手法や真言について学んだり実践するようになったこと、それに伴い、当時学んでいたことの新しく学んでいることとの関連なども浮き上がってきて、長く学びや実践を続けていることの楽しさや意義を改めて実感しています。

精神衛生や心身の健康を保って生きることが難しい時代だなと感じることは時折ありますが、それはどの世界でも多少の差はあっても本質的に人間が生きづらい、苦難の中にあると思いながらその環境でサバイブしていくかということに尽きるのではないかと思っています。

原始の世界では、音なき音を聞き、見えないものとつながりながら暮らしていたと思います。何百年の社会革新の中で隅っこに押しやられた世界が形や手法を変えて戻ってきているのではないかという気持ちすら持っています。

いずれにせよ、目に見えるもの、見えないものを可能な限り縦横無尽に大きな視野で中庸の心を持って見守っていきたいと思っています。愛を持って。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「わからない」世界へ戻ろう。

写真はお借りしました

ご無沙汰しています。今日は1000hPaの台風で町がストップしている中、おかげで静かな時間を過ごすことができています。

瞑想も勉強も空間密度が高くないことが自分にとっては大事なのだな、と伊豆にいると気が付きます。物が少ない広い空間だとアイディアも清廉な気持ちで一つのことに向かうのも物がたくさんあるところよりもずっと楽なのです。

伝えたいことなどない、という風にずっと思ってきたのですが、最近の内観でもしかするとみんなに伝えたいことがあるのかもしれない、と漠然と思うようになりました。

それを感じているからなのか、「毎日30分ルーティン」と称して短いものを毎日書く練習をnoteにはじめました。そのnoteはこちらから

毎日書くことを通じて、さっと1000から1500文字ぐらいは30分ぐらい出かけるように習慣づけられてきたのですが、30分だと調べ物もできず、毎日だとあまり凝った内容もかけずでちょっとこれから違うことを模索していく時期だなと思い、毎週一回ぐらいの更新になっています。

昔のことを書いてという声をたくさん頂戴するのですが、どうしても過去のことを書くのが苦手で書けないでいます。どう書いても面白く感じられないので、読んでいただく人も面白くないだろうと思っています。笑

高校時代の話や昔の仕事の話をするのが大好きな人がいらっしゃるのはよくわかりますし、私の昔の仕事はあまり普段見聞きしない話なのでぜひにとおこえがけいただくのですが、今と未来に生きている私には「終わったこと」「成長の糧」でしかないのだろうな、と思います。

特に若いころのことは忘れちゃっていることも多いんです。辛いと感じていた出来事を覚えているために脳のビットを使いたくないんですよね。幸せで前向きで心や魂が成長することにすべてを使っていきたい、それはずっと変わりません。全部覚えていたら、もうとっくに命なんて放り出してしまっているだろうって思いますから。忘れっぽい頭を持っていてよかったな、なんて思っています。

そうそう、話をもとに戻しますね。(毎回の脱線ですね笑)

かの国で暮らしていたころのブログってもっと抽象的なことばかり書いていました。普段、脳みその中でぐるぐる回している言葉をそのまま書いていたのでそうなっていたのですがそれが定期的に「言ってることがよくわからない」と生徒さんによく言われていたわけです。

それは自分の文章力の問題なのだろうといつも深く反省して、書きたいことと表現のはざまであれやこれやと思っていたので、わかりやすさに努めるようにしすぎて結果的にあのころのような文章が書けなくなっているなぁということに気が付きました。

それはどんなものというと、具体性と行動に至る以前の感情と脳の中にある論理性や気づきの言語化、文章化ということです。

で、ふと「自分が今書きたいのはこれだ」ということに判然と気が付いたのです、同時に、以前は書いていたはず、とも思いだしました。

有名なOSHOの今際におっしゃったと聞く一言が思い出されます。調べきれなかったので、真偽が不明ですが、「簡単なことばかり、幼稚園児に教えるようなことばかり教えていないでもう少し難しいこと、せめて小学生、中学生ぐらいのレベルのことをもっと教えたかった」というニュアンスのことをおっしゃったと聞きました。

成長には背伸びが必要で、入門や初級がいくら大事で、そこをある程度理解していないと次のステップに行けなくてもそのレベルばかりやって安住していてはいけない。本当にそういうことなんだろうと思います。私が語学を教えていた時の後悔でもあります。もっとできるようになってから次のレベルに行ってほしいと思いすぎていたきらいがあって、上のクラスに行く人たちをうまく作れなかったのは今でも失敗したなと思っています。

とはいえ、わからないままミドルレベル、ハイレベルに上がっちゃうのはかなり問題で、そこをきびしくしすぎたわたくしは間違ってないけれどうまくなかった、とおもいます。

今、新規事業の一環でいろいろなことを学んでいますが、その学びの中で「これはずっと自分が考えてきた、慣れ親しんだ世界だ」と思えるところで仕事を始めようとしている中で、自分のスタンダードを見返しているといえるのかもしれません。

「わからない」という言葉におののいて、自分の思索の方向性までももしかしたら変えていってしまっていたのかもしれません。それに気が付いたのなら軌道修正なさい、というメッセージのようにも感じます。

ツイッター等SNSをやっていると、エネルギーの違うものは本当に引っかからないようになっていると最近強く思います。

一見すると、「わからない」と言われたころの何かを取り戻す作業と「伝えたいことがある」という事実は相反しています。でもそうじゃない、はずなのです。

自分の根源的な意識に戻ることで自分のコアを取り戻しながら、そこにある「伝えたいもの」を今の自分と調和させて再構築させる、今から当分すべき作業はこれなのかな、という気がします。

誰かにとっての「わからない」言葉は私にとってはとっても身近で「わかりやすい」言葉だった。その世界に自分を返してあげようと思います。

その世界に自分が戻ることで「伝える」ための方法や相手にもひらめきや必然が調和して起こってくるような気がしています。

滅私・無私のそのさきへ

2022年も立春と春分の日も無事に過ぎ、残すは来月の来月のソンクラーンでお正月シーズン?も終わりますね。

今年の太陽暦での年末は慌ただしくお掃除をしながら過ぎ去り、春分は久しぶりにがっちりと怪我をして、正直スッキリとは程遠い毎日を過ごしておりました。

通訳翻訳の仕事を経て、ようやく自分がやりたいとおもえる、社会にいただいたものをお返しできるような仕事を見つけてウキウキとしながら、まぁ相変わらずスムーズに一足飛びにそこに行けない自分を歯痒く思ったりもするわけです。

そんな中でその仕事を知るために定期的にお客さんになって、いろいろなことを学ぶのが今は目一杯なのですが、結局自己との対話をすることになっています。

滅私と立場〜人の間に神様が〜

というブログを書いていた通り、私の中で滅私・無私はとても大切だったのですが、いつも「ここが終点ではないだろう」という気がしていました。
これが50代に入っての最初の思索テーマだったように思います。私という字がついているかぎり、それは「私」という枠を超えないわけです。

何事も受け入れて、寄り添ってその流れに乗っていくことで神様の乗り物としてやっているつもりでしたが、それではまだ立ち止まっている状態なのではないかというサジェストをもらった時には正直衝撃でした。(まぁそういう衝撃がしょっちゅうくるんです)

それを意識の上に引っ張って持ってこられたことで、改めて自分のなすべきことをうーむと考えさせられることになりました。曰く、この辺りが自分の不調や不具合の根幹になっているというのですから、やはり早急に手を入れたくなるものです。

この新しい仕事で使うべき道具を使うことによって、「判然と」理解や気づきがあるとき脈略もなくもたらされることがあるのですが、今回も。

「滅私のその先を行け。」
なんて力強いながらも広大な荒野にぽつんと置かれたような気づき。

でもその先があるのであるならそれはなんだろう、その境地とはなんだろうと考えあぐねました。

それは何かわからない総体、宇宙とここでは呼びますが、宇宙との感覚の合一なのだろうと思います。その境地に常にあること、それが自分であるというなんともはや怪しい(笑)結論に至りました。

でも不思議なことに、それを認識することでなんだかとてもホッとしたと申しましょうか、安堵しました。

留学から戻ってきて、一人で修行を続けていたときに「悟り」と言われるような境地に辿り着き、「あぁ、こんな幸せな境地があるのか」と思う一方、「欲」なく生きることは社会においていかに難しいことかを知り、出家の道を選ぶ前に社会との接点として人の悩みや苦しみを理解するためにたくさんの経験を積まなくてはと思って出家の道を思いとどまったことを思い出します。

「出家」も「悟り」もある状況ですが、そのような状況を自らの性質の中に内包させてしまう。自らと一体化させてそのような人間として生きていけば良い、という境地になりました。18の頃には足りなかった人生経験も、今となれば十分過ぎるほどですから。

年を重ねるごとに自分が楽になっていくのを感じていますが、今回のこの気づきは10代から抱えていた、「いつかは出家」という何かを昇華させてくれるのかもしれません。この気づきのおかげで世界がより一層シンプルに感謝と愛に満ちていくのではないか、そういう感覚もあり、それが何よりもありがたいのです。

自分はそういう人間なのだ、と私自身が認めてやることで身軽になれる、風のようにふあふあと行けると感じています。

何にも巻き込まれない私。
一昔前の自分から考えると信じられないぐらいの境地に清々しさを感じています。

半世紀という時間

今日はやるべき仕事を少し脇に置いてこの文章を書いています。

今生に生を受けて半世紀も経ってしまいました。半世紀です。もっと長く感じるような、いやいやあっという間だったような。

当日は、お誕生日おめでとう、と言ってもらって1日が始まりました。そんなことは基本的にないのですが、半世紀ですからそういうことがあっても良いのですよね。いい気分でお気に入りの着物に着替え、帯も格好良く決まりました。今住む街の老舗なお店に伺って、おいしいお食事いただいて、大好きな観音様の縁日なのでお寺に参りました。

 なんてことはない1日なのかもしれません。

 これまでいろんな形でこの日を過ごしてきました。

 プノンペンではホテルスタッフの女の子たちが部屋をトントンと叩いて、「Sister! Happy Birthday!」とケーキをもって現れてくれたり、生徒さんに囲まれて飲んだり食べたりしたこともありました。

半世紀、50年です。笑っちゃうなぁと思います。よくそんなに生きたね、と自分に言ってやりたい気持ちでいます。泣いてる時間やしんどい時間も本当にながくて。何をやっても納得いかないし、上手くいかないこともありました。それでもあんまり腐らずにいけたのは生来の前向きで明るい性質に救われたのかもしれません。

そんな風に生まれてこの方ようやく何とか生きてきたのは、何かお役目があるのだろうと自分に言い聞かせてきたからこそですし、それがようやく身に付いてきたのだろうと思います。

ちょうど今、気学とか運勢的には良くない時期のはずなのですが、この社会状況のおかげでなんだか大っぴらに引きこもりながら自分のなすべきことをしていると、東南アジアで消耗してもうどれだけ絞っても何も出ません!ぐらいになっていた自分に力が戻ってきているのをようやく感じ始めてきました。

50歳になるのだから、とピンときた方にこれからのことなどを伺ってみました。小さい頃から、あなたの運勢は大器晩成と言われましたので、半世紀も生きたのだからそろそろ器を作り上げていく時期に入っているはず。
 数人にお話聞いたのですが、面白いぐらい中身が似通っていました。あなたは好きなようにやってよろしい。お金の心配も何もしなくてよろしい、あなたはそのままで良い。自分をもっと売り出しなさいというところまで。

 ずいぶん長い間、いろいろな意味で引きこもっていましたが、その時期がそろそろ終わりに来たのかもしれないね、とお話を聞いて思うことができました。他にも面白いお話を聞けたので、その話はまたいつか。

お誕生日に前後して、また改めてこのお話は書くことになるかもしれませんが、新しい自分のやりたい仕事というのがはっきりと見えてきました。その仕事を自分のものにするための道が今まっすぐ自分の前にあると感じています。

今までの言葉の仕事も無駄にならず、人や社会の心身の健康の一助になるような存在になりたいとぼんやりと思っていたことが全部つながりつつあります。

誕生日を迎えてから、陰と陽が逆転したような晴れやかな気持ちで毎日目を覚ませているのが本当に不思議です。何かから解放されたような清々しさがずっと続いています。陽子、という名前に相応しい内面の活力と明るさがどこからともなく湧き上がってきているような。

Deserve という英単語がありますが、何かにふさわしい、という意味があります。わたくしはこの単語がとても好きなのです、ふさわしい、ということはそれ相応の資格があるということですよね。

自分にふさわしいものが何であるのか、何を持ち、何を持たないでいるのかは自分がしてきた選択の連続の結果です。ですから、恨みっこなしですし、文句を言っても自分に跳ね返ってくるだけです。

わたくしは、神様の言うとおり、神様の乗り物、器として滅私の気持ちで自らを磨いていくということを人生でなすべきことと思いながらこの数十年生きてまいりました。
そのあゆみやそうすると決めたことが正しかったかはこの世を離れて知ることになるでしょうが、今の時点では”相応しい”器に近づけていると教えてもらえたような心持ちがしています。

神様により相応しい、生き物としてこの世に置いておくに相応しい器でありたいなと思います。

Permitte Divis Cetera.

これからも感謝を持って丁寧に、凛とした心持ちと姿勢で一歩づつ進んで参る所存です。どうぞよろしくご指導くださいませ。

新しいしつらえ

しつらえ、という単語は漢字では設えと書きます。基本は動詞のしつらえる、という語ですね。こちらの意味はこんなふうに出ていました。

しつら・える〔しつらへる〕【設える】 の解説

[動ア下一][文]しつら・ふ[ハ下二]《「しつらう」(四段)の下一段化》

  1.  こしらえ設ける。備えつける。「庭に物置を―・える」「部屋に飾り棚を―・える」
  2.  部屋などを整え、飾りつける。「洋風に―・えた客間」

しつらえるという言葉はとても日本的で美しいなぁと思うのですが、いかがでしょう。

わたくしという存在には長く、彼の国のことやそれにまつわる言葉や文化ばかりをしつらえて、それが自分らしいと思い、それが自分の好みなのだと思っているきらいがありました。

でもそうではないのではないかしら、もっとわたくしの今の身丈にあったものと思い始めて数年、赴くままに学んでいたことや一人でコツコツと続けてきたことがございました。

学ぶということは、止むに止まれずやることで、それ自体を使ってお金を頂戴しようだとか、人を幸せにしようということはありません。ただただ、勉強をするということは社会の役に立っていない気がしていて、心苦しくて仕方ありません。大学生の時は、自分は研究という歯車の一つなのだという気概を持って、自分は長い研究の歴史の一端に入るような気持ちでいましたが、実学というのはわたくしにとってそういうふうに決して思えないものでした。

若い頃、司法試験を受けている準備中の友人が、試験勉強を「これは僕の仕事」と言っておりました。弁護士になったら仕事でも、受かるまでは仕事とはならないのでは? と、どうも納得できず胸に引っかかっていたのとも同じところから来るかもしれません。

仕事というのは(誰かに)仕える事、と書きます。人のためになるというのは一体どういうことなのか、誰かの役に立つということはなんなのだろうということを今ずっと考えています。それに金銭が絡むとことはより一層難しくなり、今のわたくしにとってはそばにいる最愛の人が快適に心地よく幸せで穏やかにいてもらえるよう最善を尽くすこと以外に、人のためになったり誰かの役に立つという言葉を実践したり理解したりすることができないでいます。

まぁ、これもまたわたくしの10年ほどのらりくらりと考え続けるテーマの一つになるのではないかしらとぼんやり思っておりますが、とにかく、エスニックテイストなしつらえの部屋から一歩出て、空っぽの何もない部屋にポツンと座ったのがもう何年前になるでしょうか。

どこに座って良いか、何をおいて良いかわからないほどの空間に、ぽつりといたわたくしですが、一人遊びも上手なのでわからないなりに機嫌良く穏やかにいたと思います。

これは好き、これは合う、これは大事。
そんなことを大切にしながら、あれこれとやってみました。とはいえ、丁寧に毎日を暮らすことが基本、食べることが基本。体が資本。それが万事ですのであゆみとしては決して早いものではなかったように思います。

何人かの先生に教えていただいたり、自分で学んだりしながら、ようやくこの先生はという方に巡り会えたのも、オンラインの授業のおかげかもしれません。自分もたくさんオンラインのクラスをしてきましたが、これぐらい需要があるようになるとまた見える世界やレベルも随分変わるのねということを体感しました。わたくしは何かと手を出すのが色々早いもので、世間でそれが流行り出す頃にはもうやめていることが多いのが残念です。今回は自分が習う側となることで世界が変わったことを感じられました。もちろん、玉石混交、石が多めなのは否めませんが。

今回の学びも実は、プロになるだとか仕事にしようという気は一切なく、この先生ならロジカルに教えてくださるだろうという目論見だけでした。このかたが本当に先生だなぁと思ったのは、要所要所で今のわたくしに必要なことをさらりお話しくださることでした。

あなたはこもっているような人じゃないから、どんな形でも人の役に立てるわよ。今学んでいることは人の背中を押して誰かの役に立つのよ。と何度も講義の中でお話ししていただかなければ、お勉強たのしいねぇという満足で終わっていたと思います。

正直今でもこの勉強をつづけて、それを通じてどなたかの役に立つのかどうかは分かりませんし、誰かの手助けになるかどうかは分かりませんが、わたくしの何もなかった空っぽの部屋にひとつ気に入りの良いしつらえが入った事は明らかです。

その道を少し歩いてみようかと思った途端、そばにあった(軽く勉強続けていたことが)小道具が、あれとこれを一緒に合わせるとそれは素敵な感じじゃありませんか、ということになり、そこから話がトントンと進みそうな感じです。

江戸時代、今私がやろうとしているお仕事は大工さんの日当分ぐらいで受けるお仕事だったとお伺いしました。わたくしの先生もそれをお師匠から踏襲されていて、お師匠が見ても、ひよっこのわたくしでも明朗会計、同じお値段というその辺りも真っ当でよくわかるなぁと思っています。

誰かのためにではなく、自分のためにを突き詰めていくというのは、破綻が少ないのです。それは、大河ドラマ「麒麟がくる」をご覧になっている方は足利義昭が僧侶から将軍になり、貧しい人を助けようと思ったところが思い通りにいかず、それを信長の脅威のせいだとして、進軍したりしてしまいますよね。大乗仏教的な「皆を救う」というのは結局自分の大義名分、目的と化してしまい、結局救いたいという行動や結果ががおざなりになってしまうのです。それは具体的な「誰か」が見えない為でもあると思います。

上座部仏教は、自らの行動を通してそれを社会や世界に波及させようとしますから、誰かを救うというのは結果論であり、自らが何をすべきかということをいつも問われるところが大きく違います。

わたくしは、自分の新たなしつらえを良いものにしていくことで結果的にまだ見ぬどなたかを幸せにしたり、役に立てるのかは分かりませんが、ただこの道を歩んでいけば、何かが見つかるかもしれない、そんな気でおります。

学びの素地とは常に居住まいを正し、神仏に祈り感謝し、言葉も体も美しく、穏やかに凛と中道の心を持って己と世間に相対し続けることでできていくはずです。

その上にすっくとたち、学びを自分のものとし、より快適なしつらえの空間に自分の身を置いてやろうと思います。

今年は年末らしからぬ日常を送っておりますが、大掃除だけはぼちぼちと。
皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。どうか良い年末年始をお過ごしくださいませ。

紫陽花が終わる頃に

紫陽花の季節になると、学生時代の園芸の時間に紫陽花の学名がお滝さんという恋人の名前に由来することを四国の伸びやかな方言で話すゴロー先生の声と、美しく装丁された萩原朔太郎の「こころ」という歌を思い出す。

こころ            

                 萩原朔太郎

 こころをばなににたとへん

 こころはあぢさゐの花

 ももいろに咲く日はあれど

 うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 こころはまた夕闇の園生(そのお)のふきあげ

 音なき音のあゆむひびきに

 こころはひとつによりて悲しめども

 かなしめどもあるかひなしや

 ああこのこころをばなににたとへん。

 こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

 わがこころはいつもかくさびしきなり。

               ――『純情小曲集』より

高校生ぐらいの一時期、耽美的な文章が好きで、ふあふあと寂しいだとか切ないを弄んでいたのはまだ子供だったのだから、というエクスキューズが許されるのかどうか。

美しさもかけらもないように感じられる世知辛い現実を乗り越えるためには、自分の世界に浸ることもあの頃の私には必要だったのかもしれない。

対人恐怖症みたいな感じになってから、自分が世界や世の中の役に立てると全く感じられない日が続いていて。

誰かの役に立てる、と思うと本もかけるしブログでも色々言いたいことが湧き出てくるのだけれど、いかんせん、何も役に立たない、とおもうと発信の手は本当に止まってしまう。何度やり始めても止まる。

体を動かし、目の前で結果の出ることだけが実際として「自分が役に立てる」という事実であり手応えなので、そういうことは好きだし、一生懸命できる。のに、あの膨大なブログを書いたり、文章を書いていた頃がもう信じられないぐらい私は自分が役立たずということに溺れているような気がする。

家の掃除や整理整頓と思考の整理というのは似ていて、自分だけのためだと散らかり放題、適当なものを食べ、ダラリとしてしまう。

そういえば、自律神経をやられて、食事もほぼ喉を通らず全く誰とも会えないし話せない頃に意を決して始めたことは、「まず自分のために料理を作る」ということだった。

自分のために作る。自分のために食べる。
自分のために片付ける。

Twitter民やnote民の人には多分?知名度のある田中さんの本。

彼の本を読んで(まだ読了していないのだけれど)、あぁ、自分の思考や思いを丁寧に整頓してあげるだけでもいいのかもしれない、と少し感じている。

先生のブログがわからないと言われて随分表現に迷ったことも、何もかもまぁそれで良かったのかもしれない。あの頃の自分は確かに読みたいことを書き続け、いい意味で自分がいちばんの読者だったと思う。

それがどんどん書くのが苦しくなり、オンでもオフでもどんどん語らない人になっていって、それはすなわち考えないわけでもないので、どんどんとひたすらにゴミ屋敷のように思考の塊が精神の何処かや魂の端っこにこびりついて、感受性や興味関心や探究心を十分に動かすだけのスペースが無くなっていたのではないかしら、と思う。

出せないことで、入れる量が制限される。人間の体でも、脳みそでも、魂でも、文章でも同じことなんじゃないか、とも思いだした。
「昇華される」大切さは思考を重ねていると痛感する。

昇華されないから、堂々巡りに何年も考える。結論をもって次に行けない。それは考え抜いたものを一つのまとまりとして自分に提示できていないから。

私も自分が読みたいものを書いてあげよう。
きっちりと時間をとって、丁寧に自分の思考と向き合って、「昇華される」喜びを自分の中に取り戻してあげられたら、また何かが変わるのかもしれない。

梅雨の晴れ間のような気分で今この文章を書いているけれど、そのまま梅雨が明けた夏空のように自分に向かい合って今抱えている色々な考えにひとつづつラベリングをしたり、マイルストーンを作ってあげたりしてあげられたらいいなと思う。

田中さんの本の結論が全く違うものであったとしても、読書半ばでこういう風に思えたことがたまらなく清々しい。良いタイミングで良い本に出会えて素直に読めたことが良かった。いつもなら手に取らないんだろうけれど、このタイトルは「お前が読まなあかんやろー!」と見るたびに言われている気分だった。

そのタイミングでフリーライターの雨宮さんの記事もよむ。「だって、わたしは“できない子”だから」。異国の地で心が折れていた頃の私へ 言葉の壁で萎縮するっていうのは私も経験あるので本当に胸にしみる。

必要以上に萎縮しないでいる、伸びやかにいるというのは安定した精神での真っ当な自己肯定によってなし得るのだなぁと思ったりする。そのためには社会参加も必要だし、親しい人との交流も必要。一人で考えぬくのだけれど、一人でいると到達しにくい境地でもある。

私は最終的に自分が言葉を紡ぐことすら自分から取り上げてしまったのだから、随分と深くやらかしてしまったんだなぁとおもう。

自分を取り巻く環境を客観的に眺めてみると、大変な割には頑張ったんじゃないの、と言ってあげたいところだけれど、結構追い詰めてたのかもしれないね。

だから、これからどうなるのだろう、ということをもう敢えて今回は書かないでもいいんじゃない、なんていう気持ちになっている。書いてもその通りになるかどうかすらわからないもの。

でも、明らかに違うことは「書きたい」という気持ちが先んじていることを感じている。これが何より違う。それをいつか自分が「読みたい」だろうと思って書いておこう。

耽美的に「書けない自分」を見つめていた自分はもう卒業となるのか。自分が一番楽しみだったりしている。

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当たり前。

芍薬を買ってきて、最近の海外旅で唯一の戦利品?だったヨーグルトドリンクのボトルに入れたとたんに、ふわぁ、とため息が花から溢れてくるのが聞こえるほど一気に開き始めた。

いつも飲んでいるお水を入れているおかげなのか、海外で飲んだヨーグルトドリンクの空瓶のおかげなのか。今日もひと束買い求めて、どんどん開く姿をワクワクと見守っている。

「君といるようになって、花に目が向くようになったよ」と言われるのは嬉しいことで、自然の息吹を大事な人と呼吸しながら感じられるっていうのはなんて幸せなことだろうと感謝する。

みんなそれぞれ自分の「当たり前」を持っている。花に話しかける毎日が当たり前の私、咲いても枯れても関係ない毎日が当たり前の人もいる。

学生時代、東京で過ごし始めて間もないこの季節だったと思う。高校の同級生数人、私とW君やM君、他にも誰かいたっけな。ごめん。失念。故郷から離れている友達で集まったことがあった。標準語で話しはじめて、途中で大阪弁にいつの間にか切り替わった状態で話すわたしに「Miaの標準語はウルトラマンのカラータイマーと一緒やなぁ、3分ぐらいで大阪弁に戻る。」と笑っていたのを思い出す。不本意だったけれどその通り。今でも標準語をきちんと話せるには至っていない。

ということで、今では丁寧でエレガントなさらりとした大阪の言葉が私らしくていいんじゃないの、ということになっている。船場商人の娘なのだから、美しい大阪の言葉への愛着もある。ふんわりゆったりと大阪の言葉を話す。なんかええやん、ということ。

関西じゃないところで、そんな風に話していると「京都の方ですか?」と大体聞かれる。「大阪なんですよ」というと、こちらがびっくりするほど驚かれる。よく聞いてみると、「大阪の人が話しているイメージの言葉よりも品がよくゆったりと綺麗に聞こえる」のだそう。

端的にいうと、日本中にテレビを通じて大阪が下品の総本山と言わんばかりに喧伝し、それに大阪の人たちの多くが乗っかってしまった結果、大阪の言葉すなわち、テレビで聞くようなお下劣な言葉、となってしまったのでしょう。残念なこと、本当に。

かの国で暮らしていればいたで、「この国に住んでいるようには見えない」とか、かの国の田舎で暮らしが好きなんて想像できない。都会の涼しいところでスタイリッシュに暮らしているんだろうどうせ、とか言われてしまう。

かの国の言葉の講義をしているときは、生徒さんのかの国での趣味趣向と私のそれがあまりにもかけ離れていて、「先生の教えてくださることは高尚すぎて合わない」と生徒さんたちに口ぐちに言われた。それに深いショックを受けつつ、関心がないことを教えては申し訳ないと、全く聞いたことすらなかった演歌やポップスだの外国人なら楽しまずにはいられないナイトライフだのを一生懸命リサーチして取り入れたものだ。

人というのは皆それぞれの「当たり前」を持っていて、「こうであるのが多分自然なのだろう」ということがどれほど他人のそれと重なっているかどうかということは意外と無関心なのではないかと思う。おそらく、「みんなこうだろう」という想定に安心して毎日を過ごしている。だから、その想定自体が違っていると気がついて「はっ」とするのではないかと思う。

そういう「当たり前」が日々のご飯とつながっているときは私も自分にとっては決して「当たり前でない」ものを見聞きして、お金もずいぶんつぎ込んだけれど、何一つ身にならず、結局楽しいとも思えないままだった。

もちろん、楽しいことを発見することだってある。
全く知らないスポーツや業界は私にとっては好奇心の対象だからどんどんと調べて学ぶのが好きだから、そこからどんどんと自分の「当たり前」が覆されていくのもまたそれは楽しい経験である。そういう柔軟さはいつまでも持っていられたら良いなと思うこと。

写真はお借りしました。

結局、みんなが同じに見える世界でポツンと自分だけが違っているような感覚や認識を持った時に自分をどれだけ違うあり方の自分を「それでいいよね」と肯定してあげられるのは自分だけな気がするのです。
誰かがのぞいている窓と、自分が開いた扉が決して同じとは限らないのだから。

みんなが不幸で不満たらたらだからって、自分も一緒に不満たらたら、不幸せですって言わなくてもいいのですよ。周りはどうあれ、幸せでいいし、穏やかでいいし、感謝していられたらいいんです。それを周りに周知することも、強要することもいらない。ただ自分がそうあればいい。

私は私なりにかの国への思いを持っているし、古き良き大阪の文化やしきたりには深い愛着を覚えている。他人がどうであれ、それでいい。

誰かと「そうだね」と言い合える幸せは、実はあんまりいろいろなところに転がっていなくていいのではないかと思うのです。
「私はそうは思わない」とか「私はそれを好まない」に満ちている世界の中で、「そうだね」と言い合える感性と出会える時こそプレシャスな瞬間はないからです。そういう魂の喜びは、なにものにも代え難く、そう簡単に得難いものです。

たくさんのがっかりを重ね、ほんの小さな「そうだね」に幸せを見出しながら、いつか魂が響き合うような相手と「当たり前」な何かを共有できる日が来ることを選べるかどうか。

いくつかのことに「そうだね」と言い合える幸せな経験をさせてもらって、魂が充足する喜びを学んだ私ですが、残念ながらかの国に対する感性で「そうだね」と言い合える相手とは出会えていません。

それでも、自分のかの国に対する見方や思いは紆余曲折を経てもやはり本質は変わらないのです。それは自分の実体験と実感に基づいているからで、それがある限り、誰かと共有できる日が来なくても、私はかの国に対する自分らしい思い入れを失うことはないのかなと最近は思っています。

#そうだね #当たり前 #船場言葉 

積極的受容


ジョバンニ・シュトラッツア のベールを被ったマリア。 カナダの聖ジョン・バプテイスト教会にあるそうです。いつか見に行きたいな。

気がついたらひと月半も書いてませんでした。

今までの私は、「これはあなたのもの」と言われても「あげる」と言われても、「いらない」と言うことが多い子でした。

小学生の時、誰かのお母さんだっけな、いつもみんなが買って食べているアイスクリームをいただいたんです。
すごく悪いことをした気分になって、もちろん多分家でお小言ももらって。

「もう、こんな胃がムカムカするような気持ちにはなりたくない」
と、幼心に強く思ったものです。

あげるのは得意、もらうのは苦手。
でもそういうのって大抵「おせっかい」と言われたり「重い」って言われることも多く・・・。笑

そういうことがずっと重なると、結局、「距離感上等」みたいな感じで。

「よらば切るぞ!」みたいになっちゃうんですよ。
猫がシャーって塀の上からしてるみたいな。

でも、結局バランスで。

惜しみなくを存分にしたい分だけさせてもらえるような環境が整い。
それを取り上げられる(自主的に出て行く)みたいな不安も随分と緩和されるとですね。

今までは、何かあげるーって持ってこられても、
「今仕事忙しいからそこ置いておいてください」みたいな、ぞんざいじゃないんだけれど、きちんと向き合えない感じ。

でも、なんだか片側が満たされることで、自分にももっと流れが欲しくなる。

流しそうめんじゃないけれど、水は流れていくから、ちゃんと麺も流してみたいな(ちょっと違う)。
自分が満たされてないと、惜しみなくってできない。

自分が干上がっていては惜しみなくなんてできないんだよね。

誰かに注いでパサパサな人は、また別のしっとりな人に惜しみになく注いでもらってっていう循環。

関西の人たちは、目上の人の介護を「順送り」と呼んでいたのが印象的でした。
そうやって社会のシステムが流れていくんだっていうことを病院で祖父母の介護しながらいつも耳にしていましたね。

今までは自分がパサパサにならない程度に受け取っていたけれど、これからはそうでなくてもいいのかもしれない。

自分がしっとりになればなるほど、他の人に注いであげられるし、きっと注げる場が出てくるんだねっていう気づきというかタイミング。

受け入れるのも注ぐのも、バルブいっぱい開けていい時期に来ている様子です。
全てに感謝と愛を今以上に込めながら動いて行けるタイミング。
私らしくて嬉しいね。

持たないことと使うこと

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できるだけものを持たないという話を自分の中でまとめて間もないのに、毎年のようにまた変わりなく、スケジュール帳と日記帳を探す時期がやってきた。

偶然、買い求めに行ったら毎年使うものが揃っていなくてふと、考えた。
「そういえば毎年書いたものが束になっているよな」と。

小学4年生の時から日記と言えるかどうかわからないものを書き続けていて、もう数十年分は処分して、留学時代の数冊と近年のものだけ残していたのだけれど、留学時代のそれらは先日の終活で処分してしまった。

せっかく処分したのに、また私ってば捨てるべきものを作るのか。
という気持ちが頭をもたげる。

社会が一人一台コンピューターや、スマートフォンの時代の始まりの頃から「すべてをデータ化する」というミッションがIT業界の中に前提となっているのは誰もが意識してようともしていなくとも公然の事実なのだろうと思う。「テレビのチャンネルを変えて」「エアコンの温度下げて」みたいな今まではデータとしての価値すら見出せないような瑣末なことですら、GoogleのAIスピーカーのGoogle home などにかかってしまえば、結果的にビッグデータとなる未来が確実に我々の社会の一部になり始めている。

終活という視点から見ると、パソコンのハードディスクを粉々にしてもらえれば、自分の所有をしてもらっていたものが自分と一緒に消えてしまうのは処分してもらうことを考えると簡単だろうと思うし、私も多少は気が楽だ。

パソコンやスマートフォンの「記録」のためのアプリや製品は昔から随分注目して、実際自分でも使ったりしてきたけれど、最近は「記録」と「データ化」をつなぐアイテムも含めていろいろと出てきている。

ちょうどその時にたまたまKindleで提供してもらう無料の一冊で「日記の魔力」表 三郎 著を読んだところ、彼がデジタルな日記の利点を随分と力説されていて、なるほどと思うこともあったので、iPhoneで日記を書いてみることにした。

確かに、紙を持ち歩かなくていい、どこでも書ける、データの貼り付けも随分楽だから、悪くない。順調だなと感じられたのだけれど。

字が書きたくなって仕方がなくなったのだ。

日記や手帳を書くことで満たされていた書きたいという願望が切々と。

書くということの効用は明らかに打つということと違うのだと改めて実感する。

かの国の言葉の仕事をしていた時に、最初の本はお師匠との共著予定だった。彼は原稿は原稿用紙に書かないといけない、という主義だったのでワープロも当時はおぼつかず、自分で入力はしないと宣言していたので、彼の本はこれまたアナログの編集者がそれをぽつぽつと入力していたと聞いた。結果、彼の遅筆のおかげで?私の専門分野で最初の本を単著にできたのは、まさにたなからぼたもち、ありがたい幸運をいただいた。

人に見せる書きものと自分のための書き物は正確には少し違う。私も原稿はデータで入稿したけれど、その元になるもののほとんどは指を動かしながら脳を動かし、書いていた。人に見せるためのデータ化だったわけだ。

「書く」という作業には「打つ」のとはまた違う、思索の放出を促す何かがあるのだろうか。先ほどの表さんはその著書の中で、日記は直接入力していても、「読む」時には「紙」に打ち出して読む方が頭に入り、より精査できるということを述べている。それに、誤植が画面で確認しているよりも見つかる確率が上がるのも事実だ。

脳神経と末梢神経の関係は深く、指や手のひらへの刺激は脳を刺激することはよく知られているし、手仕事をする人たちの多くが若々しくいらっしゃるのも通じるところがあるのではないかしらと思う。

ということは、「書く」と「打つ」では脳からの出力に多少の違いがあるのかもしれないということを久しぶりに体感することになった。

書くための道具や書かれる紙にこだわるのも、もしかしたらその多少の刺激の差に自分のフィットする如何があるのではないかと考えると、最善の一本、状況に適した一本を探そうという試みもそれほど理解が苦しいものではなくなるから不思議だ。

で、私は結局どうするのだろう。

まだ結論を出すまでには至ってないけれど、せっかくの少ない楽しみを自分がいなくなった後のことにばかり注目して我慢するのもおかしいので、処分のタイミングだけうまく考えればいいのかな、他とのバランスをとりながら。