2016年、年末。

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意外にも日本で数年ぶりにお正月を迎えられるとは想像もしなかったけれど、キンと冷えた大阪の台地の澄み切った空気はやはり日本に住むならこの辺りが最善と思わせてくれるよさがある。

シンプルとは、真のエレガンスの基本
“Simplicity is the keynote of all true ellegance.”

ココ・シャネルの潔いこの言葉はファッションのみならず、人生やライフスタイルにも重ねると一層味わい深くなる。

”ぱたん”と何かを表現する、思いを言葉にする、ということへの扉が自分の前で閉ざされた時、今までほど慌てずにいられたのは、無意識にかかえていたものを実は手放していたからかもしれない。

人間というのは何かを常に得ようとし、それを消費しようとし、消費しきれないものは蓄えることに専心する。それを複雑に多様な形で支援するのが消費社会のメカニズムの基本構造だ。

2年弱の”欲しいものが手に入らない”という暮らしと数年の”大事だと思っていたものが手元にない”暮らしは、”欲求”という思い込みと”本当のニーズ”みたいなものを自分の中からあぶり出す作業だったように思う。

数年ぶりに帰国した私は、小さな私の城から今まで手元にないとやっていけないと思っていたもののほとんどを追い出した。寂寥感など微塵もない、清々しく多少は広々とした自室でようやく安眠できるようになった。

シンプル、と言うことは社会や周りにとっての選択ではなく、自分自身にとっての選択なのだ。
そこに何物も介在しない、言い訳のないものだからこそのエレガンス。

日本を離れる以前は、遥か遠い場所のように感じられていた大阪城が本当に身近な場所になり、ここで私は自分自身をよりシンプルにしていくために自分と対話しながら整えていくことで、今までのことも、数年間の日本を離れた暮らしむき、傷ついていたこと、変化して強くなったこと、整理していき、対峙することで捨てていく。そういう時間が持てたことは本当に貴重だった。

折しも私が一人になって10年を迎えようとするので、一人でやってきたこと、これからのことも改めて考える契機にもなった。何年もかけて十分に一人ででき、一人を楽しめる人間になったことは事実だけれど、それでいいとは思わなくなったのも最大の変化だろうと思う。

Facebookのタイムラインで、レディガガのこの表現が目に入った時に、ファッション好きなには気の利いた表現だなぁと思った。

私は世界を変えようとしているの。スパンコールをひとつづつ飾るようにね
“And now, I’m just trying to change the world, one sequin at a time.”

私も世の中を少しでもよくできるようにと毎日を整えているけれど、それだけでは少し味気なくて、やはり心から愛する人がいて、その人と同じ時間を過ごし、その人を大事にする日常もまた、私はスパンコールの一枚一枚だと言えるのではないかしら、と改めて気付かされた。そしてそのような日常を選択していくのだ、ということに。日常という今、一瞬に感謝と最善を。

スパンコールはあんなに小さくてシンプルなのに。
その連なったまばゆさは一枚からは想像もつかない。

全てはとてもシンプルでエレガントなこと。
その意思と思考を持っておこなわれた一つ一つの行動がスパンコールのようにきらめく。

2016年の終わりに来て、宇宙や神様から、”間違っていないよ”ではなく、”よくここまで来たね”というメッセージが届きだした。2017年に向けて。

私の拙い文章を読んでくださる皆様お一人お一人にとって、2017年が幸福に満ち、安寧であることを心よりお祈りいたします。

 

カプリ島へ想いをはせて

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“Wyspa Capri”. Licensed under Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 via ウィキメディア・コモンズ –

カプリ島は南イタリアのティレニア海に面した面積が10㎢しかない小さな島。
ローマ人の歴史を読んでいると、インペラトールに最初になったのはカエサル、その後継者のアウグストゥスが気に入って購入したのだけれど住むことはなく、後の皇帝ティベリウスがここで治世の半分を過ごす。ローマに住まずしてローマ帝国を統治したのだ。

ティベリウスはもともと優れた軍人だった。一時はアウグストゥスにもかなり大切にされるが、血筋をおもんぱかるアウグストゥスは彼を重要ポストにはしない。だけどその一方でティベリウスを愛する妻と無理矢理離婚させて自分の親戚と結婚させるという政略結婚の道具にもする。

政治的にこれ以上無理だと判断した時、彼は早期の引退を決意してローマからはなれる。しかし、アウグストゥスの狙っていた親族の後継者達が見事なまでに亡くなったり、自身で身を滅ぼしていく。その結果、アウグストゥスは選択の余地なく再度ティベリウスを登用する。

アウグストゥスに選択の余地がないということはティベリウスにとってもない。
やらないと仕方がなくて皇帝になった人がティベリウスなのだ。

彼はカエサル達のような人間的な魅力のある皇帝というよりむしろ、システムを構築して人材を上手くそこに当て込むのが上手な真面目でよく考え、周りの人間や部下の能力や気持ちがよくわかったのだろうと思う。だから、島からローマ帝国を管理することができたのだろう。そう、彼はおさめていたんじゃなくて、管理していたのだと思う。

与えられた役柄をただただ全うする。そこにつきていたのだろうと思う。
だからこそ、先代の皇帝達がされたような神格化や自分の人気取りのような事業や施策は全く行わず、むしろ全否定して淡々とローマ帝国を維持するための行政を行ったのがティベリウスだといってもよいと思う。

どうしてローマでしなかったのか。歴史家のタキトゥスや当時のローマ市民はその彼の態度を非難し続けたけれど、私には自分なりに痛い程よくわかる。

戦場という命をかける場で、人の性質や人心を把握して目標を遂げることと政治は全く違う。彼は人間に傷つき、疲れきったのだろうと思う。アウグストゥスをはじめとする周りの自己中心的な横暴さ加減や、相手の気持ちよりも自分の欲を優先させたりだましあうことを。

ティベリウス自身がその欺瞞的なやり取りの中で踊らされたとしても、自分も誰かに対してやってやろうとは思えない人だったのだろう。自分はやらないし、そういう人やことがらに心を煩わされたくない。だけれど、皇帝という職務は果たさないといけない。男らしい強い人だったのだと思う。

無理矢理愛する妻と別れさせられ、政略結婚の相手と離婚した後の彼は独身を貫いている。全く女性を近づけなかったと言うし、昔の妻を偶然最後に目にした後、二度とあわなかったと言う。

彼のように高潔で責任感もあるが、繊細で応用が利かない人の最終的な選択肢だったように思う。行政的手腕を円滑に発揮することだけに集中する。それ以外のことに心を煩わされたくない。
もう自分の心を壊されるような出来事を遠ざけたかったのだろう。誰に何を言われても。
そうすることでしか、皇帝の役割を無事に果たし遂せないと思ったのかもしれない。

カプリ島の静かな場所で、彼はきちんと自分の役割を果たし、自分の心を守った。皇帝らしくないし、魅力的とは言わないけれどその想いが手にとるようにわかる。

ティベリウスがもう一度その愛した妻か誰かと恋に落ちたなら。
疑心暗鬼から新たな愛を構築することがどれほど難しいかは多少知っているので、そんなことするくらいなら一人の方がいい、と思うのが自然だとも感じる。

柔らかな心が傷つき、ようやく守り抜いたものをまた人にさらすのだから。
今一瞬を生きる、過去の疑心暗鬼も苦しく辛い想いもすべて捨て去ることを愛は要求する。

ティベリウスのいけなかった境地、それはその辛い過去の気持ちや疑心暗鬼すら捨て去るという境地だ。

私は自分にとってのカプリ島に行くことをやめたのだから、彼のたどり着いた境地の先にあるものを目指して歩いている。いつかカプリ島を旧友に会うような気持ちでたずねられたらと思いながら。

 

追記:国際政治学者の高坂正堯先生がローマ皇帝の中でティベリウスに他の誰よりも共感を抱くとおっしゃっていたと言うことで著者の塩野七生さんはこの章を高坂先生に捧げている。

魂とこなれたシーツの質感

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私の個人的な内面変化を全体的な流れとして追ったエントリーは、多少の反響があり。
辛そうだったもんね、という声だとかいろいろ。

「もっと気楽にしていたらよかったのに」ともいわれた。

そういう思いが全く当時の自分にはなかったであろうことを思い出して、一瞬言葉に詰まったけれど。

今思えば、いつだって緊張していたのだって、ずっと不安で仕方がないことの裏返しで、それをどうにかするために仕事だってなんだってむしゃぶりつくかのようにやっていたのではないかなぁと思う。あとで文句いわれないようにってすごく思っていたもの。

そこまでの緊張状態でいると、失敗だとかクレームがちょっとの修正のつもりででいわれたものでも存在意義だとか是か非かみたいなところにまでいっちゃうこともあったんだろうねと思う。

私みたいに、「安心」みたいなものと縁遠い人間はどうしても緊張しやすいと言うかリラックスが苦手だったからだろうと思う。オンオフ切り替えた方が効率もいいってわかっているのに、休むことにものすごく罪悪感があるからふらふらしていても仕事するし、眠れないほどに追いつめたりするんだろうと思う。

誰といれば、どこにいれば、何をすれば「安心」するか。
ちゃんとそれを見つけて、認識したのなんて最近のことだもの。

「魂」とか「肉体」が「自分の果たすべき役割」にフィットしているかどうかっていうのは、意外と大切なことだろうと思う。
そういうところでフィットしていないとずっと「疎外感」に苛まれて生きることになるから、そのころの私のようにむやみやたらな生き方をせざることもある訳で。

まるで、車が運転できないくせにカート場でカートに乗っているみたいなものだ。急ブレーキしたり、急発進したりぶつかったり、くるくる回ったり。本人はいたって真剣なのに。

そうこうしていると「魂」にフィットしたものが降りてくる時がある。その時は「私」には不相応なんじゃないか、ってずいぶん思った。
はっきり言えば「身に余る」という感じだったのかもしれない。だからあらゆるものを諦めてここに集中しようとする自分がいた。

受け入れるっていうことは諦めるっていうことと同義なのだ。
勝ち負けでいうと、負けを認めるっていうことを意味していると思っていた。
誰の手も借りたくないと思ってふらふらになっても一人でやってきたのだから、本当に負けみたいな感じだった。

今の私なら「ようやく魂にみあうものが来た」って思えてほっとしたかもしれないけれど。

当時の私は、諦めて負けを認める(正しくは藁をもすがる、なのかもしれない)っていう気持ちと、分不相応っていう両方の気持ちを持っていた。

でも今これを選択することが正しい、と直感的に思ったのは、その時はわからなかったけれど「魂」に沿うものにつながると知っていたのだろうと思う。

不相応なら、相応に磨いて行けばいい。そこに自分の生きる道があるのだから。

そう思える私にとって、その案件はもう「身に余る」モノじゃなくなっているのだろうなぁと思う。
ひとえにそれは未来がそこにあるからだ、ともいえるし、何かを諦めるのではなくむしろその正反対なのだと知っているからだろう。

気が楽であるっていうことは意外とやさしいことではないのかもしれない、実は。
波動だとか目に見えないものも含めて様々なものが影響しているから。

ひとえに「カミサマノイウトオリ」と預けてしまえれば、それが一番気楽になれるのだろう。笑
「カミサマ」はきっと自分の一番フィットするものをご存知で、それを私の前にだしてくださっているんだから。

買い立てのシーツよりも何度も洗ってこなれた質感のシーツの方が心地よいように、私が気楽である環境がもっともっと心地よくなって行くんだろうと思う。それは何より私が欲しかったもので満たされている場所であるはずだ。

フィットするものと自分仕様にこなれているというのは似ているようで実は違う。
自分の魂に合ったものでも、はじめてまとうものであれば、どんなに嬉しくても、最初は気後れしたり戸惑うものだ。
そんな感覚だって、本当に最初しか感じることはできない。
いつの間にか何十年もそれをまとって、その場所で暮らしたり眠ったりしているように、自分にとって当たり前になり、他のものよりも急速に馴染んで行くのだから。

するりと馴染んで行けるのは、魂がそれに先に馴染んでいるからだろうし、それが自分に実はふさわしいことを魂が知っているからでもある。そこにこそ、安らぎが存在するのだから。

カミサマノイウトオリにズルはなし。

カミサマノイウトオリに、よい入れ物になりたい、と何度もここでも書いているし、思っている。

何でもそう思っていたら、回るんだと知っているのに思い通りにならないことにものすごくイヤな気分になる。

その理由はいくらでも付けられるのだけれど、そんなことをしても気も晴れなければ思い通りに物事が動く訳でもない。

いつもいつも、物事が進まなくなるたびにそんなモヤモヤを心の中に持っては一週間ぐらいは何のやる気も起きないまま、小さく消えそうになった希望という種火にふーふーと息を吹きかけて、またその火を大きくしてきた。

ある事柄をカミサマから託されたと思っているとして、その事柄が自分の存在意義、自分がこの世に活かされている理由だ、誰かのために何かができる、と思っていると。

それが遅延したり、最悪ポシャってしまったら、自分の存在意義もこの世に活かされている理由もなくなるのだろうかということ。

今まではもれなく「存在意義なんてないでしょう、もはや」と即答していたし、それを心のどこかでずっと心配していた。

今日の気付きは、存在意義や価値があるのかどうかも「カミサマノイウトオリ」というジャッジに任せるのが本筋じゃないか、ということ。

自分が今この世に生きていることも、誰かに愛されていることも、いつかは死に行く瞬間へ向かう過程で、そこがもう「カミサマノイウトオリ」なのだ。本当の意味でお任せできなければ、よい入れ物とは言えないんだということ。

日々、周りで起こるミラクルには「カミサマノイウトオリ」を適応しているのに、どうしても「自分」かわいさでの不安がカミサマのジャッジを妨げる。

「捨身」ができていない、と言われたことがあったのを思い出した。
まだまだだなぁ、と一人つぶやく夕方でした。

望む先への変化と自信

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そう言えば、こんな木漏れ日をしばらく感じていない。

いつぐらいからか、自己啓発と呼ばれるジャンルの本をたくさん読んだしセミナーもいくつも出た。なんだかそういうのを一生懸命読んでいた頃の「必死だった」自分をふと思い出す。なりたい自分になりたくて、すごく一生懸命だった。

良くも悪くもまじめすぎるので、書いてあることはとりあえず何でもやってみる。アファメーションでも何でも。そうやっていろんな本を読んだりしたおかげで日本のセミナー産業というか、業界の構造みたいなものがよくわかったし、何をどうやっているのかもすごくよくわかった。わかってしまった時点でもう、その歯車の中に入るようなことは面白くないのでできない。

一時期はその流れの中で自分の会社を組み込ませることに実は一生懸命だったのになぁ、と思う。

会社をはじめた頃、お仕事先で親しくなった社長さんに「お金儲けする柄じゃない」と言われたことを思い出すけれど、数年経ってその意味がだんだん分かり始めたように思う。

お金を儲ける=ビジネスするのは下手だけれど、やりたいことにはお金がいる。スタッフもいる。
その意味が分かり始めた頃、一つの大きな転機があって。

そこから私の長い旅が始まった。

詳細は省くけれど、今までに考えたことのないことを考え、計画を立て、そのためにいろいろな人に会い、話を聞いた。
今までの経験では足りない経験や人の本質を知ったりする機会にもなった。

その長い道のりの中で、何度も「ここまで来たら大丈夫」と思ったことがあった。何をして万全と思うのか、根拠を自分の中に無理くり見いだしていたのだろうと思う。でもそんな根拠は幻想なので、結局は「まだ道の途中」。

そうかと思えば、「もう大丈夫」と安心していたら、何かが起こって「まだ終わっていなくてよかった」と胸をなで下ろすことも何度もあった。

予想外に長い道のりに疲れ果てて、「もう、やめよう」と何度も思ったけれど、なぜかできなかった。

違う道もあるはずだけれど、結局はこの選択肢を信じた自分がいて。その自分を信じていたんだろうと思う。

他のことではすぐ自信がなくなるし、不安になるのだけれど、このことだけはいくら不安が襲おうとも、内側から何かがわき起こってくるような。冷静になることを促して、改めてまた歩き出すように折り合いを付けてくれるのである。

「もう大丈夫」なんて言うのは、たどり着いたことのない先へ到達する本人が言える台詞ではない。そこに気がついたときから、今起こることとやるべきことに専心してきたのだろうと思う。

「何でも思った通りの世界が実現する」というのはもうパラレルワールドが明らかにしているように、事実である。だけれどそこに行くスピードは、現状と乖離していればいるほど、上る階段が高ければ高いほど、時間がかかる。

そうしていろんな執着がとれて、一瞬を楽しみ、感謝に満ちて、階段を昇りきる日にそなえようと決めた時、扉の先が見えるような出来事があった。こんな出来事を通して、私が選択してきたことって言うのは間違いないのかもしれないと思えることがあった。もう間違いないのかもしれないって。そうはいっても、あくまで状況証拠なのだけれど。

何度か、過去のエントリーで成功体験が少ないことが自分を矮小化させて無価値な人間だと思わせているということを書いた気がするけれど、成功って言うのは一体なんなのだろう。
行動に自分の満足いく結果が伴ったとき、人はそれを成功、というのかもしれない。
それは外からの基準であるかもしれないし、自分の基準かもしれない。

いずれにせよ、自分が「よくやった」と思えることを重ねるということが成功体験であり、自信につながる。

そう考えてみると、私のこの選択とそこからくる結果を手にしたとき、私は成功した、と思えるんじゃないかなぁと思う。
かけっこで一番をもらえたような感じの成功ではないけれど。

自分の思いが現実化して環境が変わる過程は、その願いが叶った後にフィットする自分へまた自分自身が変化することも伴う。毛虫は畑にいるけれど、蝶は空を飛ぶように、その環境にそぐうように自分自身も当然変化をするのである。でも、この経過の中で本当の自分がどんな人間なのか見えてきたと思う。

長かったトンネルを抜けて、「もう大丈夫」という現実の中に自分がいるとわかったとき、それは私にとって何にも代え難い自信を与えてくれるんだろうと思うし、そこからは新しい自分として生きられそうな気がしている。

情景の断片という執着

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私のもうそんなに短くない人生で、情景の断片がたくさん重なって冊子のようになる、なんて言う経験はなかった。

誰とであっても、どんなことであっても継続性をもって意味付けすることや記憶していることがあんまりない。結果的になにか一瞬、刹那にそれを閉じ込めること。その出来事自体に意味を持たせるのではなく、その出来事やそのときの感情が思考やテーマとして考えていることに彩りや気付きを与える。

だから、思考やテーマとして考え抜いている事象に関わらないものでインパクトのないものはすべて記憶から消えていく。私という身体は現実の世界で生きているのに、いつも自分が抱えているテーマについてばかり気持ちも頭も使っていたように思う。『心ここにあらず』でいたと言えばそれまでなのだけれど。

そんな風に虚ろに生きていたからこそ、死を恐れなかったし、現実や目の前にあるものに価値を置いていなかったような気がする。

私が長らく親しんで来た仏教の教えの一つに『何にも執着をもたない』という教えがある。執着をもたないということは、突き詰めれば生きることにも執着をもたない、言い換えればいつでも死ねるということだし、今の現実目の前にあるものをすぐに手放せるということだと思っていた。

そんなことは在家でやるんじゃなくて出家して修行の中でやるべきことなのかもしれないけれど、『出家するには人生の経験値が足りないから』と気がついた18歳のときから『いつか出家したときに人の痛みや悩みにちゃんと思いを馳せるようになりたい』と思って現実世界という在家社会で暮らすことを選択した。

現実世界にいても執着のある自分を醜いと思ったし、生きることに執着して何かをするのも間違っているような気がしていた。だから必要とされることを確実できる自分になる。それが私の目指すところだった。

自分の能力を高めないと求められることができないから、能力を伸ばすことだけには執心することを許せていたのかもしれない。

今思えば、なんて言うバランスの悪い生き方をしていたのだろうと思う。

そんな風に執着しないで生きることを旨としていたのに、忘れがたい一瞬がある。
その一瞬が一枚の写真のように情景とそのときの感情とともに押し込められて、私の記憶のすみっこに置かれている。