私にないものをあげつらってみたら、意外とこの世代で性別の世の人が当たり前に「ある」もしくは「いる」と思っているものを所有していない。
それが私の存在意義だ、と気がついたのは先週のことでしかない。笑
こんな私が自由で豊かに見えるのは幻想なんだけれど、取引先の私より何倍もお金持ちだったり、あれこれ満たされている人に「あなたって、いいわね」と言われてみたり「あなたが今着ているお洋服のブランドは」なんて聞かれることも一度や二度ではなかったかもしれない。
当時私はこんなたわいもない質問が示す意味が全く分かっていなかったとおもう。
先週、プールで泳いでいたら、小学生の女の子がビート板をもってやってきた。お母さんが付き添い。
彼女が子供用のプールにいても、一番離れたビーチチェアーでスマホから顔を上げないお母さん。
「おかあさーん」と彼女が何度「何秒潜れたか自慢」をしたくて呼んだって、顔すらあげない。
みていると切なくなった。
つった両足をジャグジーでほぐしている私をちらちらとみてはにかむ。
そうこうしていると、ビート板を大人プールに飛ばしてしまった。
彼女は「しまった!」という表情でお母さんをとっさにみるけど、当然みていない。
私が「ダイジョブよ」といって泳いでとりにいった。
「迷惑かけちゃだめじゃない、ありがとうっていって」とお母さん。
私がそばまで泳いでいっても、もちろん何かいう訳でもなく。
その数日後、Facebookをみていたら「夏休み親子教室」にくるお母さん達へのお願いが書いてあった。
スマホじゃなくって子供たちみててあげて。
想像じゃなくリアルな実感として、
安心して帰って眠れる家がある喜び
抱きしめる子供のいる幸せ
十分とは言わなくても好きなものを食べたり着たりする幸せ、
があるっていう喜びを人はどれくらい感じて日々生きるんだろうかって思う。
何年後のことや数ヶ月後のことを考えたら、今の時代ずっと不安だ。
だけど今この瞬間、感謝できることがどれだけあるだろう。
当たり前は変化のないことにつながって、退屈だったり、義務だと感じて窮屈に感じたり、十分じゃないとか、自分がスポイルされると感じてしまいがちだ。
だから、目の前の「おかあさーん」という子供より携帯に目が向いてしまう。
それは日常からのちょっとしたエスケープっていうエクスキューズなんだろう。それもわからないではない。
目の前より隣の芝生が青く感じることは、人生誰でも一度二度経験したことがあるだろうと思う。
でも、それと目の前や現実を抱きしめないっていうこととは話が違うと思う。
自分の今目の前にあることを生ききらなければ、次の世界もよりよい世界もない。
私はもっていないことがものすごく恥ずかしかったし、惨めだと感じていた時期がずっとある。
みんながもっていると見えるものが欲しくて仕方がなかった時だってある。
でも、欲しいと言ってお店で買えるものでもない。
世の中にはそう言うものがたくさんあるし、今しか味わえないかもしれない。
私は「もっていない自分」をきちんと受け入れられて、「もっていない」からこその人生を歩むようにと道を引かれている。それがようやく受け入れられたとき、それが自分にとっての「当たり前」だからこそ、人生を愛おしく感じられるようになった。
そうすると、周りの人にとっての「当たり前」が今までのような「うらやましい」「私にはないもの」ではなくて、その人たちに与えられたかけがえのないものと映るようになった。
できるならその人たち一人一人に「素晴らしいものをお持ちですね」と言って回りたいぐらい。
私は彼女達の母親をよく知っている。
下の男の子ができたとき、かけがえのない子供たちをこんな殺伐とした街(私が今いるところ)で育てるなんてとても無理だ。そう言って彼女は夫をこの街に残して大きいお腹を抱えて自分の故郷に戻っていった。都会のいい学校よりも何よりも我が子にとって必要なものが何か。彼女達夫婦はちゃんとよく知っている、二人と話してそう感じた。
時折こんな風に「こんなに大きくなったよ」「休みにどこも行かないなら、うちに来ない?」とメッセージをくれる。
この街の片隅で、プロ意識を持った職人の彼女なら田舎で暮らすよりもよっぽど金銭的には余裕のある暮らしができたろう。でも、彼女の選択はすごく早かったし、迷いがなかった。
彼女は目の前にあるものをしっかりと抱きしめている、と感じる。
だからこそ、一介の客だった私にもそんな思いやりを示せるのだ。
すべて目の前にあるのだから、抱きしめて大切にすればいい。それだけなのだけれど、実は一番難しいことなのかもしれない。オンラインに逃げることなく目の前の現実を抱きしめることこそが、自分を抱きしめて、満たして大切にすることだって気がつけば世界は変わるんだけどね。
自分がもっている、かけがえのないものをもってることに感謝する。
ホントそれだけでいい気がする。ありがとうございますって。毎日。毎日ね。
私はある意味とてもよく知っている。
今ある環境が当たり前でないことも、自分が欲しくて得られなかった、
多くの人が当たり前にもっているものがどれくらいかけがえないものかも。
だからこのプレシャスな人生とか世界に全身全霊で感謝する。
その結果得られるものって、想像以上のもの。