自分の「好き」を思い出す2024年に

気が付いたら・・・

 皆様、あけましておめでとうございます。そして1年ぶりの更新になっていることに自分が一番驚いています。それほど2023年が私にとって変化と多忙だったと推察いただけるかもしれません。月々のことについては、noteやほかのSNSで更新している通りかわりもなくばたばたしているのですが、昨年もここに書くタイミングを大切にしすぎて、そのタイミングを逸してしまっていたなと反省をしています(これも通常運転ですが)。

 2023年が終わりに近づいたころからNotionという文明の利器が自分にとっても合うとわかり、その使い方をマスターしながら思考の整理と文章を書くということをもっと積極的に行っていく準備を整えています。これさえできれば(笑)思考の記録をきちんとつけていけるのではないかしらと思って自分に期待をしているところです。

拡張

2023年を一言で表すなら「拡張」の年でした。春から50の手習いでマニュアル免許を取りました。「オートマでいいじゃない」と教官に言われながら、半クラッチで何度も落とされてつつ、我慢づよい教習所の先生方になだめたりすかされたりしながら、知らない人と話す強制リハビリもかねての数ヶ月でした。これが思った以上に楽しかったんです。最終試験などは自分でもあっけないぐらいあっさりと通ってしまったぐらいで。先生方は心配して試験中の私の周りをぐるぐる別の教習車に乗りながら回って見守ってくださってたりして、本当に温かい気持ちで卒業試験に臨むことができました。

車を運転することで、自分の体以上に大きいものを動かす楽しさや、自分で運転することの楽しさを感じ、今まで経験しなかった感覚などに大きな刺激を受けています。仕事で頭を使いすぎた後に、近くの灯台までドライブして夕焼けを見に行くなんて言うぜいたくなリフレッシュをしたりしています。

身体意識の拡張だけではなく、ここでもおはなしをしていました、Time waverのセラピストとしてのスタートを切ることができました。こちらは意識や魂レベル、目に見えない世界での拡張です。ここ数年、セッションを受け続けていることで起こってきた様々な変化を自ら操作していくのですから、想像以上の意識世界、深層世界へのアプローチがありました。自分のセッションをとても喜んで受けてくださる方がいること、通訳者として訓練と経験を重ねてきたことが役立っていくこともかんじられて、セカンドキャリアとしては前職を含めた様々な経験を使えることもあり、まさかと思っていたセラピストとしての第一歩を昨年スタートできたことは望外の喜びでした。この意識と量子世界を融合させるデバイスには、未来を託せると改めてそのポテンシャルの大きさを感じることができました。

それから忘れてならないのは、AIによる拡張。これは何を拡張しているのでしょう、可能性を拡張させている、というのが今の私には一番フィットします。一昨年からAIには積極的にかかわってきたつもりでしたが、2024年はそれ以上に、今年はもっと業務を一緒にやっていけるなとワクワクしています。業務の効率化がすすめられることで、自由になった時間を何に使うのか、私たちの頭や手を動かすことでしかできない創造性をどんどんと高めるようなことをしていきたいと思っています。AIは使いこなすもの、共存するためのものであって怖がるものではありませんからね。シンギュラリティが起こるといわれている数年後を見越して、今から自分の立場や人生でいかに積極的にかかわるかが分かれ道かもしれません。いやだいやだと言っていても、身の回りにはAIで作られたものであふれかえっています。実際に自分が経験していなければ、これがAI生成なのかどうなのかもすぐに見極められない世界線がやってきます。その目を養うために早めに慣れておくことが、必要なんだろうなと思っています。AIにはない、私たちの感性の拡張です。

2024年への抱負

10年ぐらいかけてようやく長ーいトンネルが終わりかけて明るくなってきましたが、健康面を含めてまだ準備段階のことがたくさんあります。齢50を過ぎますと、いろいろと焦りたくなる気持ちもなくはないのですが、まずは心身ともに健康に、が基本です。

健康で笑って楽しく心穏やかに感謝しながら毎日一生懸命できる限りのことをやりたいなと思います。まだまだ体力がついていないので、体力づくりやセカンドキャリアのためにしなくてはいけない様々な勉強、それを円滑にするための技術の習得をしっかりとしていきたいです。

そのうえで、自分のクリエイティビティ、表現力という若いころから言葉でしか伸ばしてこなかったことを、もっと他のジャンルでも広げていきたいなと思います。面白いことに、AIやTimewaver などを自分で使いだすと、お料理のレシピの幅がすごく広がったり、ずっとお休みしていた絵日記を再開しても描くことに対して抵抗がなくなったことも感じています。「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」という頭の忙しさは変わりませんが、もっとシンプルに整頓されていて、スムーズに進むようになってきている感じがします。

今年は風の時代が本格化し、組織の時代から個々人の資質、価値観、自分軸が問われていく時代に突入します。周りがこうしてるから、みんながそうだからという時代は何回かの揺り戻しを経てどんどんと抜けていきます。それを証拠に今たくさんの不祥事が表ざたになっていますでしょう?そういう時代が終わっていきます。窮屈に毎日を過ごしていた人は羽が生えたように羽ばたける環境が少しずつ広がるといいな、と思います。窮屈だけれど「こんなもんだろう、仕方がない、当たり前」と思っていた人は少しずつ自分が好きなこと、得意なことを思い出していくといいと思います。

かの国でアテンドをし始めた頃、日本の麺と違って、おだしが薄い麺を食べてもらうときに「自分の好きな味つけにして食べたらいい」といっても「??」となっている人が多くて驚いたことを覚えています。人に出される味に「おいしい、まずい」をいうこともテレビやSNSの影響が入ってることも多いですよね、テレビで紹介されていた、とかなんとかランキングとか、インフルエンサーがなんとか言ってたとか。
「自分の好き」小さい頃はたくさんあったと思いませんか? それを思い出すもよし、「今の好き」を確認するもよし、好きと楽しいで満ちた1年にしたいと思います。

そういえば、お料理は昔から好きでしたが、パンやお菓子のレパートリーがどんと増えました。私みたいな人でも簡単に作れるレシピがたくさん出てきたおかげで、食卓が勝手に豊かになっていきます、ありがたいことです。笑

あと、どなたか必要とされる方に「教える」という仕事も再開できたらいいなと思います。何を教えるねん、というのはまぁさておきですが。先にちょっとできるようになったことを身に着けたい人に共有するの、好きなんだと思います。メソッドつくりはおとくいですので。もう少し元気になったら、そういう方のお役に立ちたいなと思っています。

読んでくださっている皆様お一人お一人がどうぞ、健康で穏やかでいられますようにと心よりお祈り申し上げます。本年もどうぞごひいきによろしくお願い申し上げます。

                     

堂々巡りからスパイラルを上がっていく

南伊豆、弓ヶ浜の朝

松の内も終わり、いつの間にか日常が戻りつつある中で年末年始とのズレを少しずつ戻そうと体や心がしている気がしています。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

昨年はセカンドキャリアに少しずつ足をかけてスタートの下地を作るような一年でした。心はいつも穏やかで感謝に満ちているおかげでとても心地よい毎日を送れたなと思っています。

その一因に一年間セッションを受けていることの影響があるように思います。元々は自分が仕事にしたい仕事のことをよく知りたい一心で受けていたのですが、思っている以上に自分の在り方に良い影響を与えてくれていると思います。

タイムウェーバーというのは量子の情報にアクセスして自分の心身を分析して調整してくれる機械なのですが、普通にあるエネルギー機器の倍ぐらいの次元までアクセスして調整してくれます。

わたくしのそこそこ長くなってきた人生の中で「謎」と思っていた事が少なからずあるのですが、それを幾つも解いてもらっている気がします。あ、それと占星術にもその辺りの分析は随分助けられたような気がします。

自分の陥ってしまっている堂々巡りには気がつきながらもその解決方法がどうしても見つからず、距離と検討する時間やタイミングを慎重に検討して丁寧なやりとりをしてもいつも残念な結果に陥る事が多かったことが解消されつつあります。すごく不思議な気分です。

ちょうど50歳の時に「タイとの関わり」について一つの答えが出たおかげで自分の気持ちがすごく楽になっていったように、人生の棘を少しずつタイムウェーバーが自分の望む未来に行くために抜いていってくれているような気がします。

苦しかった時代のことがどんどんと遠いものになっていくのは人生が穏やかになっていきます。もちろん世界や社会には悲しいことも辛いことも不条理もたくさんあるのですがそれでも、やはり自分の心や在り方が穏やかであるようにあるのは本当に大切でありがたいことだと思っています。

この一年非常にその認識を強くしたのは、人間にはそれぞれの器があって、その器なりの理解や世界観や正義や善悪があるのだということです。その器以上の認識も理解も世界観の把握もできないということです。そしてその器は簡単に大きくすることもできない。

それに気がついたのは、奇しくもChat GPIやTWのセッションがきっかけでした。膨大なデータベースに縦横無尽にアクセスできるということはすなわち、全知全能の神を味方にするようなものなのですが、その膨大な情報で一体何を受け取り、それを自分の中で理解して消化して自分の糧とすることは不可能です。

人間はその器にあった情報を得て、その器にあった理解をし、行動するということです。

その事実を持って世界を見ればさまざまな事柄に納得と容認ができます。さまざまな事象が変化し、崩壊し、複雑に絡み合っている現状を分析するにはさらなるマクロな視点を持つ必要がありますが、先ほど話したようなミクロな集合体が有機的につながり合っているのだというとてもリアルなイメージが持てるようになりました。

このような世界観を持ちながら自分との対話を深めていくことに必要なことのひとつが真言を唱えることだったり、深い瞑想でした。

何年もの間いろいろな宗教を投じて自らの精神世界を深く探求していたことが、結果的にとても役立っています。瞑想の方法や特定の力のある真言はあらゆる宗教に独自のものがありますが、どれが今の自分に合っているのかというのかは時期や何を求めているかにもよるのではないかと思っています。

上座部仏教に長く接してきて、そこでの方法論に随分と慣れていた自分が別の手法や真言について学んだり実践するようになったこと、それに伴い、当時学んでいたことの新しく学んでいることとの関連なども浮き上がってきて、長く学びや実践を続けていることの楽しさや意義を改めて実感しています。

精神衛生や心身の健康を保って生きることが難しい時代だなと感じることは時折ありますが、それはどの世界でも多少の差はあっても本質的に人間が生きづらい、苦難の中にあると思いながらその環境でサバイブしていくかということに尽きるのではないかと思っています。

原始の世界では、音なき音を聞き、見えないものとつながりながら暮らしていたと思います。何百年の社会革新の中で隅っこに押しやられた世界が形や手法を変えて戻ってきているのではないかという気持ちすら持っています。

いずれにせよ、目に見えるもの、見えないものを可能な限り縦横無尽に大きな視野で中庸の心を持って見守っていきたいと思っています。愛を持って。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「わからない」世界へ戻ろう。

写真はお借りしました

ご無沙汰しています。今日は1000hPaの台風で町がストップしている中、おかげで静かな時間を過ごすことができています。

瞑想も勉強も空間密度が高くないことが自分にとっては大事なのだな、と伊豆にいると気が付きます。物が少ない広い空間だとアイディアも清廉な気持ちで一つのことに向かうのも物がたくさんあるところよりもずっと楽なのです。

伝えたいことなどない、という風にずっと思ってきたのですが、最近の内観でもしかするとみんなに伝えたいことがあるのかもしれない、と漠然と思うようになりました。

それを感じているからなのか、「毎日30分ルーティン」と称して短いものを毎日書く練習をnoteにはじめました。そのnoteはこちらから

毎日書くことを通じて、さっと1000から1500文字ぐらいは30分ぐらい出かけるように習慣づけられてきたのですが、30分だと調べ物もできず、毎日だとあまり凝った内容もかけずでちょっとこれから違うことを模索していく時期だなと思い、毎週一回ぐらいの更新になっています。

昔のことを書いてという声をたくさん頂戴するのですが、どうしても過去のことを書くのが苦手で書けないでいます。どう書いても面白く感じられないので、読んでいただく人も面白くないだろうと思っています。笑

高校時代の話や昔の仕事の話をするのが大好きな人がいらっしゃるのはよくわかりますし、私の昔の仕事はあまり普段見聞きしない話なのでぜひにとおこえがけいただくのですが、今と未来に生きている私には「終わったこと」「成長の糧」でしかないのだろうな、と思います。

特に若いころのことは忘れちゃっていることも多いんです。辛いと感じていた出来事を覚えているために脳のビットを使いたくないんですよね。幸せで前向きで心や魂が成長することにすべてを使っていきたい、それはずっと変わりません。全部覚えていたら、もうとっくに命なんて放り出してしまっているだろうって思いますから。忘れっぽい頭を持っていてよかったな、なんて思っています。

そうそう、話をもとに戻しますね。(毎回の脱線ですね笑)

かの国で暮らしていたころのブログってもっと抽象的なことばかり書いていました。普段、脳みその中でぐるぐる回している言葉をそのまま書いていたのでそうなっていたのですがそれが定期的に「言ってることがよくわからない」と生徒さんによく言われていたわけです。

それは自分の文章力の問題なのだろうといつも深く反省して、書きたいことと表現のはざまであれやこれやと思っていたので、わかりやすさに努めるようにしすぎて結果的にあのころのような文章が書けなくなっているなぁということに気が付きました。

それはどんなものというと、具体性と行動に至る以前の感情と脳の中にある論理性や気づきの言語化、文章化ということです。

で、ふと「自分が今書きたいのはこれだ」ということに判然と気が付いたのです、同時に、以前は書いていたはず、とも思いだしました。

有名なOSHOの今際におっしゃったと聞く一言が思い出されます。調べきれなかったので、真偽が不明ですが、「簡単なことばかり、幼稚園児に教えるようなことばかり教えていないでもう少し難しいこと、せめて小学生、中学生ぐらいのレベルのことをもっと教えたかった」というニュアンスのことをおっしゃったと聞きました。

成長には背伸びが必要で、入門や初級がいくら大事で、そこをある程度理解していないと次のステップに行けなくてもそのレベルばかりやって安住していてはいけない。本当にそういうことなんだろうと思います。私が語学を教えていた時の後悔でもあります。もっとできるようになってから次のレベルに行ってほしいと思いすぎていたきらいがあって、上のクラスに行く人たちをうまく作れなかったのは今でも失敗したなと思っています。

とはいえ、わからないままミドルレベル、ハイレベルに上がっちゃうのはかなり問題で、そこをきびしくしすぎたわたくしは間違ってないけれどうまくなかった、とおもいます。

今、新規事業の一環でいろいろなことを学んでいますが、その学びの中で「これはずっと自分が考えてきた、慣れ親しんだ世界だ」と思えるところで仕事を始めようとしている中で、自分のスタンダードを見返しているといえるのかもしれません。

「わからない」という言葉におののいて、自分の思索の方向性までももしかしたら変えていってしまっていたのかもしれません。それに気が付いたのなら軌道修正なさい、というメッセージのようにも感じます。

ツイッター等SNSをやっていると、エネルギーの違うものは本当に引っかからないようになっていると最近強く思います。

一見すると、「わからない」と言われたころの何かを取り戻す作業と「伝えたいことがある」という事実は相反しています。でもそうじゃない、はずなのです。

自分の根源的な意識に戻ることで自分のコアを取り戻しながら、そこにある「伝えたいもの」を今の自分と調和させて再構築させる、今から当分すべき作業はこれなのかな、という気がします。

誰かにとっての「わからない」言葉は私にとってはとっても身近で「わかりやすい」言葉だった。その世界に自分を返してあげようと思います。

その世界に自分が戻ることで「伝える」ための方法や相手にもひらめきや必然が調和して起こってくるような気がしています。

滅私・無私のそのさきへ

2022年も立春と春分の日も無事に過ぎ、残すは来月の来月のソンクラーンでお正月シーズン?も終わりますね。

今年の太陽暦での年末は慌ただしくお掃除をしながら過ぎ去り、春分は久しぶりにがっちりと怪我をして、正直スッキリとは程遠い毎日を過ごしておりました。

通訳翻訳の仕事を経て、ようやく自分がやりたいとおもえる、社会にいただいたものをお返しできるような仕事を見つけてウキウキとしながら、まぁ相変わらずスムーズに一足飛びにそこに行けない自分を歯痒く思ったりもするわけです。

そんな中でその仕事を知るために定期的にお客さんになって、いろいろなことを学ぶのが今は目一杯なのですが、結局自己との対話をすることになっています。

滅私と立場〜人の間に神様が〜

というブログを書いていた通り、私の中で滅私・無私はとても大切だったのですが、いつも「ここが終点ではないだろう」という気がしていました。
これが50代に入っての最初の思索テーマだったように思います。私という字がついているかぎり、それは「私」という枠を超えないわけです。

何事も受け入れて、寄り添ってその流れに乗っていくことで神様の乗り物としてやっているつもりでしたが、それではまだ立ち止まっている状態なのではないかというサジェストをもらった時には正直衝撃でした。(まぁそういう衝撃がしょっちゅうくるんです)

それを意識の上に引っ張って持ってこられたことで、改めて自分のなすべきことをうーむと考えさせられることになりました。曰く、この辺りが自分の不調や不具合の根幹になっているというのですから、やはり早急に手を入れたくなるものです。

この新しい仕事で使うべき道具を使うことによって、「判然と」理解や気づきがあるとき脈略もなくもたらされることがあるのですが、今回も。

「滅私のその先を行け。」
なんて力強いながらも広大な荒野にぽつんと置かれたような気づき。

でもその先があるのであるならそれはなんだろう、その境地とはなんだろうと考えあぐねました。

それは何かわからない総体、宇宙とここでは呼びますが、宇宙との感覚の合一なのだろうと思います。その境地に常にあること、それが自分であるというなんともはや怪しい(笑)結論に至りました。

でも不思議なことに、それを認識することでなんだかとてもホッとしたと申しましょうか、安堵しました。

留学から戻ってきて、一人で修行を続けていたときに「悟り」と言われるような境地に辿り着き、「あぁ、こんな幸せな境地があるのか」と思う一方、「欲」なく生きることは社会においていかに難しいことかを知り、出家の道を選ぶ前に社会との接点として人の悩みや苦しみを理解するためにたくさんの経験を積まなくてはと思って出家の道を思いとどまったことを思い出します。

「出家」も「悟り」もある状況ですが、そのような状況を自らの性質の中に内包させてしまう。自らと一体化させてそのような人間として生きていけば良い、という境地になりました。18の頃には足りなかった人生経験も、今となれば十分過ぎるほどですから。

年を重ねるごとに自分が楽になっていくのを感じていますが、今回のこの気づきは10代から抱えていた、「いつかは出家」という何かを昇華させてくれるのかもしれません。この気づきのおかげで世界がより一層シンプルに感謝と愛に満ちていくのではないか、そういう感覚もあり、それが何よりもありがたいのです。

自分はそういう人間なのだ、と私自身が認めてやることで身軽になれる、風のようにふあふあと行けると感じています。

何にも巻き込まれない私。
一昔前の自分から考えると信じられないぐらいの境地に清々しさを感じています。

Mia 2.0?

フェリックス君

師走に入りまして、ようやく少しずつ冬らしくなってまいりましたね。
わたくしは夏の終わり頃からのバタバタの渦中におりますが、不思議と心は平静で楽しんでいるようなところがございます。皆様はいかがお過ごしでらっしゃいますでしょうか。

今日のお写真は「フェリックス君」にしました。なぜかFelix the cat を高校生の頃フェリックス君と呼んで気に入ってたことをさっき思い出したんです。好きすぎて、お友達には「ふぇり」と呼ばれていました。

タイでつけていただいた呼び名もMeaw(Mia)という猫の鳴き声の音写で猫を飼う機会には恵まれていませんが、猫ちゃんは大好きです。先日は吉方位でお茶をいただいてお店を出た途端、白と黒の猫一匹ずつ目の前を横切って行ったり、その前は猫ちゃんが山上お堂から麓まで道案内をしてくれたこともありました。猫ちゃんは時に、神様のお使いのように現れますね。悩んだり辛い思いをしているといつの間にか寄り添ってくれていることがあると聞いたこともあります。

大学に入ってすぐの頃、一階のあまり日の当たらないお部屋だったのですが、野良猫ちゃんが来るようになって「おじゃこ」と名前をつけていたのを思い出します。おじゃこも離れた見知らぬ土地に来たわたくしの様子を見に来てくれたのかもしれません。

バージョンアップ

相変わらず、脱線したところからブログがスタートしました。
最近、ペーパーワークでさまざまな官公庁の資料や研究所の作った資料によく目を通すのですが、〇〇2.0ってよく使われていることに気がつきました。

もちろん資料だけではなくって、電化製品や色々なバージョンが上がると2.0,3.0 とバージョンが上がっていきますよね。

50歳になって、色々なエネルギーが変わり、清々しい気持ちになっているお話は先日もさせていただいたかと思いますが、わたくしそれぐらいでは軽々しく2.0とは言えない性分なのです。

先日、たまたま乙女座的な突き刺さるような一言を店員の人についかけてしまったのです。そういう時というのは自分にではなく、大事な人に失礼だったり面白く無いことをすると脊髄反射できつい物腰になることがあって、あまり褒められたことではありません。

それを後日指摘された時、何か精神的なスイッチが切り替わったような感じになりました。もちろん、良い方にです。今後はおそらくあまり脊髄反射的にキツーい一言を投げかけることも無くなっていくのではないかしらと感じています。

周りの人に優しくあるというエネルギーは転じて自分に返ってきますので、それを全て他の人類や宇宙のために使っていければ一番幸せだなぁと溢れるように心が言うのです。

仏教の教えではいろいろな執着を捨てるようにとお釈迦様がおっしゃったように言われますが、わたくしはお悟りの時、感謝で満ち足りていたのかもしれないと感じます。

わたくしはもう血縁との付き合いもほとんどなくおりますから、そんな中でもあぁ、いかようにも感謝を持って生きていければそれでよしと思っています。住むところがなくなれば、飛行機のチケットだけどうにか手に入れて、タイのお寺にでも住まわせてくださいとお願いしてひっそりとお寺で暮らさせていただければいいなぁと思います。こんなご時世ですから、日本でもそういうところ探しておいたほうがよいのかしら(笑)

そういう場所なら、わたくしのエネルギーをうまく使ってもらえる、そんな気がしているのです。もちろん、自分でそのような場所ができて、そこに皆さんが集まってきてくださるようになれば素敵ですよね。

なんでもできる

ずっと引きこもりの暮らしから、少し昔のように仕事をするようになって、新しく知り合う人も増えてきているのが少し新鮮なんです。まだまだ自分からお声かけるのは難しいのですが、お声かけていただけるのは本当に嬉しくて、ありがたいなぁと思います。

この10年ほどは、自分は何もできないから、どうしたらいいかと思い悩んでいる時間でもありました。今こうやってお外に出て他の方と接してみると、なんでもできちゃうんですね、なんて言われて恐縮することがあります。

専門家の方に資料を誉めていただいたり、数字苦手だったはずがサクサクと資料を作ったりしていると、今までの人生の積み重ねが全てにつながっていて、それを自分だと認めてあげるべきなのだなぁという気持ちになります。

お褒めの言葉はありがたく頂戴して、ちょっと勘違いでも「ほんまになんでもできたらええやんねぇ」ぐらいの感じで、自分が関わったり取り組む全てのことを大事に扱っていこうと思っています。

気持ちよく過ごすために。三昧のススメ

吉方位にあった水琴窟

どうしてこんなことを体験したり、思いしないといけないの?と思うことって50年も生きているとぼちぼちあるなぁと思います。

面白いことに、これぐらいで最後だろうと思ったらもっと辛いことって底なし沼みたいにあるもんなんですよ。ほほほ。

暮らしが大変なのが収まったら、精神的に追い詰められることもあるでしょうし。皆さん穏やかに暮らしているように見えながら、それぞれ思うことやお辛いこともあると思うんです。もちろんわたくしだってその一人。

もちろん、震災の後に契約がぜーんぶ飛んでしまって、経費すら払ってもらえなくてもう首括る?とか、チャオプラヤ川に身を投げてしまいたくなるような気持ちになったことだってあります。笑 祖父母の介護も両親の会社の倒産も結構大変でしたが、今になって思えば自分にとっては良いお勉強だったと思います。もちろん周りに助けてくださる方がいて、ご迷惑をおかけした方がいることも忘れませんし、感謝しています。

家族であっても人の大変は、他人事なのでちょっと俯瞰して見ていられるところもあるのですが、自分ごとの時は本当にキツーイ時間でございました。

仕事もタイトで精神的に本当に追い詰められたときには身体までおかしくしてしまったおかげで今は普通に暮らせるありがたさも心から痛感しています。

こんな話をすると、資金が底をついてマイナスでもう本当に死にたいと思ってチャオプラヤ川に行った日の洋服と幽霊みたいに真っ青な顔の鏡に映った自分の姿を鮮明に思い出せます。

会社勤めの方には理解できないうような仕事をしているものですから、「自分、大丈夫なん」というようなことを昔の知り合いに数年後に言われたときには立ち直っていましたが、大丈夫じゃない、と思ったら大丈夫じゃなくなるんですよね。

自分の人生をどうにかこうにかやっていくためには、「わたくし、自分でなんとかして参りましたので、今回もなんとかしてまいります」という凛とした姿勢も必要です。「あかんねんー」と泣いてもお金が降ってくるわけでも、契約が元通りになるわけでもありませんからね。

腹を括るしかないのです。心配や辛い気持ちは胸にきます。胸が押されて胃が痛くなったりします。辛いとか嫌やと言っていても状況は変わらないので、「はい、わかりました」と自分と宇宙に言い聞かせるのです。

そして目の前のことを気持ちを入れず、「ジャッジしないで」ただこなしていくのです。暮らしのこと、仕事、どんどんこなす。目の前にきたことをプライオリティー順に片付けていくときに、感情なんて必要ないのです。合理的に進める、早く終わらせることで次にかかれる。

感情に支配されているときは、掃除と片付けが本当に役に立ちます。スーツケースだけで暮らしていても、整理して不必要なものは処分してを頻繁に繰り返していました。それで今の自分にアジャストした環境を整えていけるのです。合わないものを手放すことの大切さ、ですね。そういうものが溜まっていればいるほど、処分が難しいので人に任せないといけなかったり、「ときめくか、ときめかないか」とか言いながら、過去の思い出に浸って進まなーい、なんて言いながらやらないといけないのです。でも本当はね、自分のことだから自分で決めて行動しないと仕方がないんです。

不用品の片付けも、溜まっている仕事や家事、それをやるべきか、どうやってやるのかという判断などは必要です。でも、嫌とか好きとか楽しいとかなんにもいらないのです。
ただ、無心でやる。

その無心の状態こそが修行みたいなもので、三昧の境地というものです。

三昧 さんまい

[名]《(梵)samādhiの音写。三摩提・三摩地とも音写。定・正定・等持などと訳す》

  1.  仏語。心を一つの対象に集中して動揺しない状態。雑念を去り没入することによって、対象が正しくとらえられるとする。

タイ語で瞑想のことを ナンサマーティ、直訳すると座三昧と呼びます。もちろん、座ってゆったりと行う瞑想は本当に心地よく精神を満たしてくれますが、座禅を組んで座らなくともいつだって三昧の境地には辿り着けるものなのです。

わたくしは忙しければ忙しいほど、この三昧の境地に入っていきます。ですので忙しいほど仕事が捗りミスが減るのでありがたいことです。笑

人のことや自分の気持ちに振り回されるより、ずっと気持ちよく毎日を穏やかに暮らすことができているなと思います。

自分の若い頃への反省でもありますが、気持ちにあまり振り回されないで、ちょっと放ったらかしにして、たまにケアしてあげるぐらいで己の感情というのはちょうど良いのかもしれません。自分が無心で淡々と行った作業の山を振り返る余裕が出たときに、「まぁ、あなたよくやったのね」と自分を褒めてやる。それぐらいでちょうどいいのではないでしょうか。作業の山ですよ、丘ぐらいじゃだめ。しっかりとした山を築く意気込みでやれると心もいつしか晴れて不安も道の脇に置いていける気がします。

なんにもたいそうなことはないのです、持ち物は強い決意。ただはじめるだけ。できなかったらTwitterやFacebookにでも宣言しはってもよろしいかも。
それが自分のものになったら強いですよ。
選択も行動も全て自分に返ってきますからね。ご機嫌さんで参りましょう。

半世紀という時間

今日はやるべき仕事を少し脇に置いてこの文章を書いています。

今生に生を受けて半世紀も経ってしまいました。半世紀です。もっと長く感じるような、いやいやあっという間だったような。

当日は、お誕生日おめでとう、と言ってもらって1日が始まりました。そんなことは基本的にないのですが、半世紀ですからそういうことがあっても良いのですよね。いい気分でお気に入りの着物に着替え、帯も格好良く決まりました。今住む街の老舗なお店に伺って、おいしいお食事いただいて、大好きな観音様の縁日なのでお寺に参りました。

 なんてことはない1日なのかもしれません。

 これまでいろんな形でこの日を過ごしてきました。

 プノンペンではホテルスタッフの女の子たちが部屋をトントンと叩いて、「Sister! Happy Birthday!」とケーキをもって現れてくれたり、生徒さんに囲まれて飲んだり食べたりしたこともありました。

半世紀、50年です。笑っちゃうなぁと思います。よくそんなに生きたね、と自分に言ってやりたい気持ちでいます。泣いてる時間やしんどい時間も本当にながくて。何をやっても納得いかないし、上手くいかないこともありました。それでもあんまり腐らずにいけたのは生来の前向きで明るい性質に救われたのかもしれません。

そんな風に生まれてこの方ようやく何とか生きてきたのは、何かお役目があるのだろうと自分に言い聞かせてきたからこそですし、それがようやく身に付いてきたのだろうと思います。

ちょうど今、気学とか運勢的には良くない時期のはずなのですが、この社会状況のおかげでなんだか大っぴらに引きこもりながら自分のなすべきことをしていると、東南アジアで消耗してもうどれだけ絞っても何も出ません!ぐらいになっていた自分に力が戻ってきているのをようやく感じ始めてきました。

50歳になるのだから、とピンときた方にこれからのことなどを伺ってみました。小さい頃から、あなたの運勢は大器晩成と言われましたので、半世紀も生きたのだからそろそろ器を作り上げていく時期に入っているはず。
 数人にお話聞いたのですが、面白いぐらい中身が似通っていました。あなたは好きなようにやってよろしい。お金の心配も何もしなくてよろしい、あなたはそのままで良い。自分をもっと売り出しなさいというところまで。

 ずいぶん長い間、いろいろな意味で引きこもっていましたが、その時期がそろそろ終わりに来たのかもしれないね、とお話を聞いて思うことができました。他にも面白いお話を聞けたので、その話はまたいつか。

お誕生日に前後して、また改めてこのお話は書くことになるかもしれませんが、新しい自分のやりたい仕事というのがはっきりと見えてきました。その仕事を自分のものにするための道が今まっすぐ自分の前にあると感じています。

今までの言葉の仕事も無駄にならず、人や社会の心身の健康の一助になるような存在になりたいとぼんやりと思っていたことが全部つながりつつあります。

誕生日を迎えてから、陰と陽が逆転したような晴れやかな気持ちで毎日目を覚ませているのが本当に不思議です。何かから解放されたような清々しさがずっと続いています。陽子、という名前に相応しい内面の活力と明るさがどこからともなく湧き上がってきているような。

Deserve という英単語がありますが、何かにふさわしい、という意味があります。わたくしはこの単語がとても好きなのです、ふさわしい、ということはそれ相応の資格があるということですよね。

自分にふさわしいものが何であるのか、何を持ち、何を持たないでいるのかは自分がしてきた選択の連続の結果です。ですから、恨みっこなしですし、文句を言っても自分に跳ね返ってくるだけです。

わたくしは、神様の言うとおり、神様の乗り物、器として滅私の気持ちで自らを磨いていくということを人生でなすべきことと思いながらこの数十年生きてまいりました。
そのあゆみやそうすると決めたことが正しかったかはこの世を離れて知ることになるでしょうが、今の時点では”相応しい”器に近づけていると教えてもらえたような心持ちがしています。

神様により相応しい、生き物としてこの世に置いておくに相応しい器でありたいなと思います。

Permitte Divis Cetera.

これからも感謝を持って丁寧に、凛とした心持ちと姿勢で一歩づつ進んで参る所存です。どうぞよろしくご指導くださいませ。

自分らしさとともに

日本に改めて居を移してから数年、ようやく日本にいると言うことになれた一方、生活習慣病の様な”ここではないどこか”に戻りたい気持ちがあります。

ある場所に暮らすことで生活は一変します。着るものや食べるもの、生活にまつわるものは変化を余儀なくされていきます。

暑い国がホームグラウンドとして長かった私にとって、自然な素材で作られたシンプルなラインのワンピースにヒールのスタイルは自分が一番リラックスできて心地よくいられるファッションでした。リネンやシルク、上質な8枚はぎのワンピースが日本では考えられない様な値段で買えたり、オーダーできるのですから無理もありません。笑

そんなお洋服を身にまとって、ひらひらと暑い国で暮らすのがずっと続いていくのだろうと思っていましたが、人生って不思議ですね。

日本に戻ってきてまず最初にしたことは、日本的なことに自分自身を浸すと言うことでした。着物に日舞、お茶など色々なことを一度にではありませんがそろそろと。

食べることも長くリハビリにかかりましたが、数年かけてようやくお料理も自分らしくまたできる様になってきました。野生に近い?ところに暮らしていたと言うか、この国は化学製品に溢れていて、残念ながら美味しいとおっしゃって食べていらっしゃるものを食べては身が悲鳴をあげ、お買い得やね、と着ていらっしゃるモノを真似してきては湿疹が出る身としては、本当に試行錯誤が多い数年だったと思います。

そんな中で、一枚お洋服を買うお値段で正絹が身に纏えるシステムが日本にはあるのですよねぇ。いわゆるフリマサイトです。日本に戻ってきて最初に感心したのがこのシステムでした。今の状況にマッチした物々交換システムと感心しました。

着物という消耗品と工芸品の間の様なものには特にこのシステムは有用で、断捨離と称して現金化するんでしょう、と言われればそれまでですが、これからの経済活動としては面白いなぁと思いながら楽しんで使っています。

フリマサイトの件はともかく、日本でバリバリ仕事をして、検察庁や入管や裁判所に行っていた頃はすきなブランドのスーツを数着並べてピンヒールで仕事をするのが自分らしかったですし、海外に暮らしているときはサラッとした天然素材のワンピースと動きやすいサンダルやヒールを好んで身につけることで「自分らしいわたくし」という殻にほっとしたものです。

ヤドカリは自分のサイズで頃合いの殻を変える様ですが、わたくしなどは生き方や住む場所でその「殻」を買えていった様な感じがします。

それがずっと見つからないと言う時期が日本に帰ってきた時期と重なったときは本当に、生きることもくらすことも、何を着るかと言うことも全部はっきりしないと言うか、暗中模索だった様に思います。

そのときは、年齢のせいかしら、日本に馴染んでないからかしらと思っておりました。最近、自分の着物を着て暮らしたいという気持ちの強さはなんだろうと考えていましたが、キュッと帯を結び終えたとき、「あぁ、これが自分らしい殻なのだ」と思いました。

今は着物を身に纏うことがなによりわたくしという存在を表すのに適しているのだなぁと思わせられるのは、紐でぐるぐる縛っているはずの自分の体が自由で楽だと感じるからなのです。

着るものが好きな方ならおそらく感じたことがあるであろう、着るものによって自己が開放される感じを着物を着ることによって感じているのですね。

着るものぐらいで、とお思いになるかも知れませんが、身に纏うものって自分らしさの表象ですし、それを見て周りはどんな人かと見られます。顔や髪型と同じ様に、身につけるものは「見せたい自分、ありべき自分、なりたい自分」という自分らしさの表出なのです。

面白いことに、モノトーンがほとんどだった洋服から、着物だと色々なカラーを着ている自分もまた楽しいと思えるのも今まで気づかなかった自分らしさの表出だと感じています。

暖かくなってまいりました、少しおしゃれをして街を歩いてみませんか。新しい自分らしさを発見することができるかも知れません。

新しいしつらえ

しつらえ、という単語は漢字では設えと書きます。基本は動詞のしつらえる、という語ですね。こちらの意味はこんなふうに出ていました。

しつら・える〔しつらへる〕【設える】 の解説

[動ア下一][文]しつら・ふ[ハ下二]《「しつらう」(四段)の下一段化》

  1.  こしらえ設ける。備えつける。「庭に物置を―・える」「部屋に飾り棚を―・える」
  2.  部屋などを整え、飾りつける。「洋風に―・えた客間」

しつらえるという言葉はとても日本的で美しいなぁと思うのですが、いかがでしょう。

わたくしという存在には長く、彼の国のことやそれにまつわる言葉や文化ばかりをしつらえて、それが自分らしいと思い、それが自分の好みなのだと思っているきらいがありました。

でもそうではないのではないかしら、もっとわたくしの今の身丈にあったものと思い始めて数年、赴くままに学んでいたことや一人でコツコツと続けてきたことがございました。

学ぶということは、止むに止まれずやることで、それ自体を使ってお金を頂戴しようだとか、人を幸せにしようということはありません。ただただ、勉強をするということは社会の役に立っていない気がしていて、心苦しくて仕方ありません。大学生の時は、自分は研究という歯車の一つなのだという気概を持って、自分は長い研究の歴史の一端に入るような気持ちでいましたが、実学というのはわたくしにとってそういうふうに決して思えないものでした。

若い頃、司法試験を受けている準備中の友人が、試験勉強を「これは僕の仕事」と言っておりました。弁護士になったら仕事でも、受かるまでは仕事とはならないのでは? と、どうも納得できず胸に引っかかっていたのとも同じところから来るかもしれません。

仕事というのは(誰かに)仕える事、と書きます。人のためになるというのは一体どういうことなのか、誰かの役に立つということはなんなのだろうということを今ずっと考えています。それに金銭が絡むとことはより一層難しくなり、今のわたくしにとってはそばにいる最愛の人が快適に心地よく幸せで穏やかにいてもらえるよう最善を尽くすこと以外に、人のためになったり誰かの役に立つという言葉を実践したり理解したりすることができないでいます。

まぁ、これもまたわたくしの10年ほどのらりくらりと考え続けるテーマの一つになるのではないかしらとぼんやり思っておりますが、とにかく、エスニックテイストなしつらえの部屋から一歩出て、空っぽの何もない部屋にポツンと座ったのがもう何年前になるでしょうか。

どこに座って良いか、何をおいて良いかわからないほどの空間に、ぽつりといたわたくしですが、一人遊びも上手なのでわからないなりに機嫌良く穏やかにいたと思います。

これは好き、これは合う、これは大事。
そんなことを大切にしながら、あれこれとやってみました。とはいえ、丁寧に毎日を暮らすことが基本、食べることが基本。体が資本。それが万事ですのであゆみとしては決して早いものではなかったように思います。

何人かの先生に教えていただいたり、自分で学んだりしながら、ようやくこの先生はという方に巡り会えたのも、オンラインの授業のおかげかもしれません。自分もたくさんオンラインのクラスをしてきましたが、これぐらい需要があるようになるとまた見える世界やレベルも随分変わるのねということを体感しました。わたくしは何かと手を出すのが色々早いもので、世間でそれが流行り出す頃にはもうやめていることが多いのが残念です。今回は自分が習う側となることで世界が変わったことを感じられました。もちろん、玉石混交、石が多めなのは否めませんが。

今回の学びも実は、プロになるだとか仕事にしようという気は一切なく、この先生ならロジカルに教えてくださるだろうという目論見だけでした。このかたが本当に先生だなぁと思ったのは、要所要所で今のわたくしに必要なことをさらりお話しくださることでした。

あなたはこもっているような人じゃないから、どんな形でも人の役に立てるわよ。今学んでいることは人の背中を押して誰かの役に立つのよ。と何度も講義の中でお話ししていただかなければ、お勉強たのしいねぇという満足で終わっていたと思います。

正直今でもこの勉強をつづけて、それを通じてどなたかの役に立つのかどうかは分かりませんし、誰かの手助けになるかどうかは分かりませんが、わたくしの何もなかった空っぽの部屋にひとつ気に入りの良いしつらえが入った事は明らかです。

その道を少し歩いてみようかと思った途端、そばにあった(軽く勉強続けていたことが)小道具が、あれとこれを一緒に合わせるとそれは素敵な感じじゃありませんか、ということになり、そこから話がトントンと進みそうな感じです。

江戸時代、今私がやろうとしているお仕事は大工さんの日当分ぐらいで受けるお仕事だったとお伺いしました。わたくしの先生もそれをお師匠から踏襲されていて、お師匠が見ても、ひよっこのわたくしでも明朗会計、同じお値段というその辺りも真っ当でよくわかるなぁと思っています。

誰かのためにではなく、自分のためにを突き詰めていくというのは、破綻が少ないのです。それは、大河ドラマ「麒麟がくる」をご覧になっている方は足利義昭が僧侶から将軍になり、貧しい人を助けようと思ったところが思い通りにいかず、それを信長の脅威のせいだとして、進軍したりしてしまいますよね。大乗仏教的な「皆を救う」というのは結局自分の大義名分、目的と化してしまい、結局救いたいという行動や結果ががおざなりになってしまうのです。それは具体的な「誰か」が見えない為でもあると思います。

上座部仏教は、自らの行動を通してそれを社会や世界に波及させようとしますから、誰かを救うというのは結果論であり、自らが何をすべきかということをいつも問われるところが大きく違います。

わたくしは、自分の新たなしつらえを良いものにしていくことで結果的にまだ見ぬどなたかを幸せにしたり、役に立てるのかは分かりませんが、ただこの道を歩んでいけば、何かが見つかるかもしれない、そんな気でおります。

学びの素地とは常に居住まいを正し、神仏に祈り感謝し、言葉も体も美しく、穏やかに凛と中道の心を持って己と世間に相対し続けることでできていくはずです。

その上にすっくとたち、学びを自分のものとし、より快適なしつらえの空間に自分の身を置いてやろうと思います。

今年は年末らしからぬ日常を送っておりますが、大掃除だけはぼちぼちと。
皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。どうか良い年末年始をお過ごしくださいませ。

この世の儚さ

皆様いかがお過ごしでしょうか。年も押し迫ってまいりましたが、今年は本当に不思議な時間を過ごしたという印象です。皆様はいかがお考えでしょう。

今日は、大好きな弁天さまのお写真をお借りしてあげました。弁天さまにはご縁が深く、今度京都に行った折には、祠の修復をお手伝いした湖のそばにある弁天さまにお参りしようと今から楽しみにしていたりします。

世界や社会や周りの人々の普段の生活では窺い知ることのできない一面を垣間見るような年だったように思います。思うにそれでも私が何十年も前に暮らした異国の村は同じように時間が流れ、毎日同じような暮らしをし、毎日同じような会話をし、同じようなものを食べ、恋をしたり喧嘩をしたり、同じような噂話をしながら酒を飲み、そして誰かが死に、誰かが生まれていっているのだと思います。

単調な暮らしの中に安寧を見出せるということは、単調、という言葉が示すように短い調べ、同じようなルーティンという周波数が短く淡々と繰り返されていることが生活であり、人生であるからこそ、そのことに安心を持っていられるのではないかと彼らの暮らしを見ながら考えていました。日本人の暮らしも同じような単調さを内包しているように感じますが、少し彼らの社会よりも複雑です。単調さの中にただその身を置いておけばそのような不安も起こらないのでしょうが、この情報社会となった世の中では難しいこと。誰もが単調の中に違う周波数のメロディを感じる中で判断が求められているのですが、情報過多、扇動的な表現やbroadcastingにまみれ殺伐とした雰囲気を敏感に感じ取り、不安感を増長させ、自らを失っているのではないかしらと思います。自己判断、決断が本当に難しい時代だと思います。

世界中がそのような漠然とした不安感の中にあるにもかかわらず、数年に一度の国家的お家芸をさらに加速発展させて、俺らの税金を返せ!とシュプレヒコールを若者たちが中心になって声をあげている姿を見ると、この単調な旋律は何があっても世代をこえて変わらずつまびき続けられるのだ、とニヤリとしてしまったりするほどです。

仏様や神様は天界からこんな時代をどのようにご覧になるのだろう、神様も仏様もさぞお疲れなのではないですか、ご自愛くださいませと手を合わせることが多くなりました。

私にとってこの時期はむしろ心穏やかに、静謐な時間だったと総じて言えるのではないかと思います。毎日のくらしをひそやかに、子供時代に帰ったようにピアノを弾き、学び、考えておりました。

儚さを尊ぶという気持ちでしょうか。
すべてが借りもので、今ただこの瞬間手にあるだけのことなのだとしたら、それを十分慈しむこと、愛おしいと思うこと以外に何ができるだろうかということです。それ以外の気持ちを持つようなものはできるだけ遠ざけて過ごしてこられたと思っています。

ただ、人間というのはやはり恐ろしいと思うこともございました。丁寧にすることで軽んじられること、純粋な思いが返って疑いを持たせてしまうこと。こんな時代や世界になぜ生を受けてしまっているのだろうと思いますが、いつだって本質は同じ問題ですから、わたくしにも非があるのでしょう。やらなければよかったと後悔しきりですが、お節介なのでしょうね。

絶対とか必ず、なんていう言葉を軽々しくお使いになる人とは長続きしないなぁとも思います。今まで以上に刹那に生きるということを実感します。一瞬後が是なのか非なのか。刹那の変化を受け入れていく時代といって良いのかもしれません。

20代から30代はずっと刹那の感覚の中で生きていました。今一瞬と次の一瞬は全く別の世界である、全ては諸行無常であり、愛も信頼も全て刹那レベルでしか続かない物だと強く思っておりました。その刹那の連続がいつどこで途切れるのか、それは誰にもわからない。それこそが今生を生きることだという認識でした。

その感覚を少し横に置いて、永続する何かに目をやる数年でしたが、やはり今年を生き抜いていけたのは、その刹那の信頼、確信を淡々と重ねていくことだけでした。厳しい時代、厳しい感覚といえばそうかもしれませんが、逆に過度な期待をせず今この瞬間を誠実に実直に生きるということに尽きます。その先にあるのが結果的に未来と呼ぶ物でしょうが、そこにたどり着くこともそのあり方も刹那の結果でしかないと改めて感じ入ることで恐れることは無くなりました。

その中で心に残るようなやりとりや思いやりを持って生きていければ、それが一番ありがたいと思っています。

面白くないという気持ちも、悲しい気持ちもできるだけ小さくして、心穏やかに全てを包み込んで大丈夫という気持ちで全てのものに接していくことができれば、それで上々。

上々のわたくしでいられるように、好きな着物に袖を通し、自分の美味しいと思う料理をし、花をいけ、居所を整えて良い言葉をかけていければいいなぁとそればかりです。

今日はたわいのないことばかり書き連ねました。

また次回ゆっくりとお話しできるようにと思います。