Déjà vu

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人生はあんまり楽しんじゃいけないってずーっと心のどこかで思っていて。

もちろん今までの人生にだって嬉しいことも楽しいこともあったはずなんだけれど、人生楽しんではいけないんだからって、そういう部分にだめだししていた気がする。

30代は身体を壊してばっかりだった。それでも働かなくっちゃ、がんばらないとって思っていたから、余計ひどくなっていって。笑

そんな私だけれど、何度か人生で『これから全く違う世界に行くんだ』って感じたことがある。

十代での留学は、不器用すぎる自分が『どうにかまともになりたい』と思って選んだ選択肢だった。留学したら、自分はきちんとした人間になれるぐらいの勢いだった。人付き合いが苦手な私はとにかくここからはなれたかった、というのもあったのかもしれない。

大学に進学するときもそうだった。通るはずのない二次試験の100倍以上の倍率をかいくぐりなぜか通ってしまった。あの時は受験勉強が楽しくて仕方なかったから、浪人するのに何の問題もなく、通っていた予備校の特待生にもなっていた。

父が『お前は頭が悪いからかわいそうで』と決まった東京への進学だったけれど、これもまた『ここにいたくない』という強い思いが働いたのではないか、と思う。

そうやって踏み出した新しい世界に踏み込む前の自分がベッドで布団にくるまって『状況が変わる』というその瞬間を毎日のようにカウントダウンしていたのを生々しい感覚で覚えている。

不安とか喜びとかそういう言葉では表現できない、『別のステージに行く』んだ、という気持ち。もう今までもっていたものを出し切った後なのに、何か充実した感じがする過渡期のような。

その後、同期の7人と初めて降り立ったドンムアン空港はお手拭きに使われるちょっときつめの香水のような香りと、湿度のせいで道路脇の常夜灯の光が幾重にもアーチを作り、歓迎してくれるように感じたものだ。

大学の入学式は桜色のスーツを着て、たった一人で桜が満開になる大学へ向かう坂道を上った。風が強い日で桜吹雪の舞う桜のアーチをくぐり抜け、晴れやかな気持ちで大学の門をくぐった。

あの頃のように身軽ではないし、手軽に環境を変えるためのきっかけもないけれど、その分、『ここにいたくない』から始まる別のステージへの階段を長くのぼって来た気がする。

 

扉にたどり着くのはもうそろそろかもしれない。

 

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