「腹筋をやったらそれと同じだけの背筋を」と叶姉妹が書いていたのはあながち間違いではないなと思う。
私は何年間も思考や精神的な世界にばかりシフトをしていたけれど、それが自らのバランスを欠く原因になっていたことに気がついてからは随分身体を動かすようになって、その結果それが思考やもう一方の世界にも好影響を与えることを肌身で感じるようになった。
いろいろな病気の原因がスピリチュアル的なものや感情のバランスを逸したことに実は起因しているという記事が最近多くみられるのも今までの人生の中で何度も繰り返し経験して来たので納得することが多かったりする。
身体の右側をいためるとかばっている左側が痛んでくるという経験も身体という組織の中でのバランスを欠いたからに他ならない。
身体と心だけではない、身体の左右、腹筋と背筋、あらゆる組み合わせで「対」となるもののバランスが大切なのだと最近感じている。
腹筋だけをやっていると背筋とのバランスが悪くなって、痛みを引き起こしたり怪我の原因になるかもしれない。それだけではなく、足、腰など直接の部位ではないところに急に痛みが生じたりする。それはバランスを欠いたことが結果的に振動や波動のように他の部位に広がった結果、負担がかかりやすいところ、弱くなっているところに何かが生じる。
何かが何かとして独立して存在しているということはもはやない、ということをもっと認識するべきなのである。
すべては連続してつながっており、何かが変わると波動が共鳴したところから変化を生む。
周りにあるものはすべて固定されたものではなく、自らや周りとの波動によっていかようにも変化し得る。
何かひとつのものに執着しても仕方がないのはそれ故なのである。
自らの波動と共鳴するものが集まった状態こそが「ありうべき」なのかもしれないけれど、それも状況によって変化し得る。
「対」としてみるべきものの組み合わせは常に変化するけれど、その組み合わせだけは間違ってはいけない。
間違った「対」では上手く共鳴しないから、波動が純化してドラスティックな変化を生みにくい。組み合わせをたくさんもっているということは共鳴が鈍化するのと同じことだといえる。
要するに、効果が出にくいし、結果になりにくいということだ。
こういう法則が見えて来たとしてもそれを恣意的に動かそうとしないで、上手く感性と思考のバランスを取りながら行動をして行くことが必要。
目的にだけフォーカスして、柔軟に前向きに愛情と感謝をもって日々を生きる。
感謝も対の法則でいえば、「感謝する」と「感謝される」のバランスが良い方がいい。もう少し「ありがとう」と人様に言ってもらえるようにできればと思っている。(そのためにはもう少し人とコミットしないといけないのだろうけれど)