習慣と意志、波動。

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毎日を誰かと過ごすなんていうのは何年もなかったことだけれど、一人も楽しんでいたけれど、自分の大切な人に尽くして過ごせる毎日というのは格別なもの。

一人で暮らし始めた頃、放心状態だったのか、暮らしが随分荒んでいた頃があった。そこから立ち直るために私がしたことは、「自分のためにいろんなことをする」ということだった。

「一人だからいいや」と何でも乱雑や怠惰になることがある。それを「たまのご褒美」として楽しむ人もいるし、「それよりも大切なものがあるから」とエクスキューズするのも自分もそう思いがちだったのでわからなくはない。

だけれど、日々の暮らし以上にプライオリティーをもつものが果たしてあるのだろうか。

「ご褒美」としての怠惰さや乱雑さは、心身を荒ませて、運も離れていくのを感じた私は強制的に「習慣化」することにした。ある調査によると人は21日以上継続できると習慣として身に付くと聞いたことがある。意志の問題を超えてやれるようになるのは確かにそれくらいなのかもしれない。

朝の掃除、お祈り、「習慣」と銘打つのには疑問をもつようなことも私は「毎日すること」のリストに入れて、毎日やったものにはチェックを入れた。何十もあったそのリストにすべてチェックがはいると何だか嬉しくて、また明日もやろうと思ったものだ。

私のように毎日会社つとめでない人間にとって、日々のルーティーンで自分を律することが昔から自然だったから、元々性に合っていたとも思う。

そうやって、日々の暮らしを整えることには「習慣」という一般的な意味とは少し違うニュアンスを持っていることを感じてもらえるかと思う。ただ、無意識に毎日行うことも「習慣」なのかもしれない。だけれどそこに「意志」を持って「習慣」とすることの先に意外な世界があるのだ。

三日坊主という言葉があるように、暮らし向きを整えるにはある程度の意志を必要とする。そのためには「何をその習慣をもって得たいのか」というイメージが自然とあるはずで、それがないと「無意識」の習慣に押しつぶされてしまうのだ。

リストを寝る前にチェックする生活を数ヶ月して、私の暮らしは落ち着いてゆき、それと同じように気持ちも随分落ち着いた。生活を整えることがすべてに通じるということを身をもって感じた大切な経験だった。瞑想よりも写経よりもお寺巡りよりも、自分の食べる物を丁寧に作って、よく噛んで食べ、感謝して居住まいを整える以上の心身のベース作りはないとその時に知ることになった。

生活を整える、ということがなぜ心身を整えるのか。
整えるということは、余分なものを処分し、整然とさせること、すなわち浄化なのである。

昔知人で一週間お風呂に入らないでも平気だという人がいたけれど、毎日の暮らしを粗雑にするというのは「におわないから汚くない」といって、日々身体からでる垢や汗をそのままにし、外でまみれた埃をまとったまま眠るのと何ら変わらない。残念ながら「愚鈍」だからそういうことに敏感ではないのだろうと思う。

どうして「愚鈍」でいられるのか。それは「整然」とした「浄化された」状態をしらないからである。

日々風呂に入り、自らの汚れを落とす時、わたくし、人間とはいかに汚れた存在だろうと思う。
そこに善悪、正誤の判断はいらない。「私は今汚れている」という事実だけがある。
自らを汚れていると忌み嫌うのでも、許しを請うのでも、神様に頼るのでもなく、「日々清くあろう」と決める。
「汚れているなら、きれいにすればいい」
ただ、それだけなのである。

さらに身体を動かすということ、イコール身体を整えることも同じ流れ、浄化の一環だということ。

これらの浄化のための日々の習慣は義務でも何でもない。だけれど、感謝をもって行えるようになると荒んだ怠惰な生き様とはかけ離れた毎日を送ることになる。

それは、「清浄であろう」という行動を心身が求め、その習慣こそが快適な状態に変化するからである。
人は快適であることを求める。その快適を阻むものが今まで「快適」だと思い込んでいたものだったりするのだから面白い。いずれにせよ、「不快」なことに人は敏感だから、快適さを追求するとますます清浄さを求める。

そのサイクルから生まれるものは「善」と呼んでも良いのかもしれない、と思う。

毎日毎日の浄化は数年来の汚れすら落としていく。大掃除も必要だけれど、毎日のクリーニングが一番だ。

そうやって日々自分に向かい合うことでの気づきのなんと多いことか。

私は数年来、一人でずっとそうやって暮らして来たけれど、パートナーと一緒にいることで浄化のすごさを改めて知ることになった。浄化しあうということ、浄化した環境と感謝が満ちることでどんどんと良い波動が高まり、強くなっていく。

波動はバイブレーションだから、清浄なものの方が当然、よく伝わる。
良い波動が良い波動をどんどん生み、引きよせ、ハーモニーを奏でる。
こんな美しい調和で宇宙は満たされている。
それを日々体感し、宇宙との調和を実感している。