記憶の上書き〜人生はミルクレープ〜

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この国で一番気に入りのホテルに初めて連れて行ってもらった日、感情の行き違いがあってギスギスした。

そんなことがあったおよそ一年後、私が一人でお茶しているところに「どこにいるの」と彼がメッセージをしてお迎えに来てくれた。

「どうしてここに来たの?」と彼

「記憶の上書きに」と私

良くない思い出や出来事は、小さい頃からいつも「上書き消去」していくように脳みそがなっているのだ、と思っている。

だから、ここに来る度に苦いやり取りを思い出すくらいなら、幸せな思い出を上書きしてしまえばハッピーだという単純な脳みそだともいう。笑

これで、私がお気に入りのホテルにあるエントランスが見える席は、苦い思い出ではなく、彼が颯爽とお迎えに来てくれた幸せな場所という思い出に上書きされた。笑

先日、ちょっとした旅に出た。その目的地は彼が数ヶ月前に一人でいって、オンラインでやり取りをしながら街の雰囲気を伝えてくれた街だった。彼と通信して話していたカフェに二人で座って飲むのは感無量で、その時に話してくれた場所に手をつないで連れて行ってくれるなんて、本当に待ち望んでいた時間が来たなぁと幸せな気分で満ち足りる。

離ればなれで心配しながら道中の彼を思っていた時とは随分と違う境地なのだ。

人間はもの・場所、いろんなものに実に様々な記憶を忍ばせているのだと最近思うことがある。

それはもしかすると、自分では気がつかない程のものなのかもしれない。
心身を開いて受け止めあう相手がいてこそ、そんな記憶も自分が気がつかないうちに、幸せな思い出はそのままに、辛かった思い出はひとつひとつ、上書きさせていければ、とおもう。

それこそ、大切な人に身を委ねることの大切さというか、意味のひとつなのではないかと思う。

自分で事業を始めた頃、よく「人生はミルクレープだ」という喩えを使っていた。その時は、いろんなパーツが重なって、だけれど、クリームという緩衝材があって実はひとつの事象=ケーキにまとまっているという意味で使っていたのだろうとうっすら記憶している。

ミルクレープを食べながら、その時とはまた違う意味で、人生っていうのはミルクレープみたいだなと思う。一枚ずつ食べるテイストと、クリームが挟まって何層にもなっているだけで全く味わいが変わるのは、何もそのクレープの味が違う訳でも何でもない、「重なること」でよりおいしさが増していくのであり、イチゴなんていうイレギュラーな食感と味わいも口に広がる。

ミルクレープにライフを重ねながら、自分の大切な人が自分に身を任せてくれていることの有り難さを思い、彼が私を受け止めてくれていることに感謝をしながら、これからもステキな思い出や時間をミルクレープのように上乗せしていこうとおもうのでした。

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