リハビリ。

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リハビリ(Rehabilitation)とは、re(再び、戻す)とhabilis(適した、ふさわしい)からなりたつ言葉。

適した、ふさわしい状態に、(今ある状態から)再度戻すことをいうのだと思う。

数年間、笑っちゃうぐらい表に出なかったし、すべてをミニマムにしていくことを自分に課しているような感じ。どこまでいろいろなものを削ぎ落とせるか、心身共に挑戦しているような時間を過ごしていた。

日本にいようが、別の国にいようが私は「引きこも」って居た気がする。

仮住まいとはいえ新しい環境は私にとってよい「リハビリ」の期間なのだ、と感じる。
日常の家事が自分をいきいきとさせてくれる。
床を拭きながら鼻歌を歌い、値段交渉をして百合の花を一束買う。

行きつけのジムのスタッフが名前を覚えて「次回お待ちしております」と手を振ってくれる。
顔見知りな人たちと挨拶をして世間話をする。

大切な人と笑いあい、語り合う時間がますます上質のものになってくる。
同じ時間を積み重ねていくことほど、関係性を深めていくものはない。
そばにいられるというシンプルな事実にまず最上級の感謝を捧げずにはいられない。
ありとあらゆることが「一緒に居る」ことからはじまっているのだから。

じっと動かないでいることが修行だったかのような感じで、丸1日一歩も外にでないことなんてそう珍しくなかったことが嘘のように毎日あれやこれやとすることが出てくる。些細なことでも一人で「いってみよう」「見に行ってみよう」と思えるようになったのは、自分の中に閉じ込めてあった「好奇心」みたいなものがピッチング練習を始め、「不安」や「臆病さ」が逆にベンチ入りしつつある。初めてこの国にきた時に「どこか違うところに連れて行かれるのではないか」と不安で地図をにらめっこしていた自分が、ここで生活してからは、まだ乗り物で値段交渉したことすらない。「マダムが下さる分で結構です」と言ってくれる。

自分の感じている世界は自分が描くすべてなのだ、と改めて気がつく。

この国が以前いた国よりもカフェ文化が発達しているのもよい理由なのかもしれない。
散歩の途中「あぁ、このお店はここにあったのね、こんなところにステキなお店ができたのね」と、
地理が頭の中でつながる些細な楽しみ。

散歩休憩や書き物するのによい、コーヒーのおいしくて雰囲気が良くて居心地の良いお店がいくつもある。
カフェのスタッフがたわいのない挨拶をして話しかけて来てくれる。

私のいつの間にかかたくなになっていた何かを少しずつほぐしてくれる、これも「日薬」のひとつなのかもしれない。

「ねばならない」から「あることへの喜び」に大きくシフトしたからこそ、すべてが穏やかで感謝に満ちあふれている。だからあらゆるものがナチュラルで当たり前のように感じられる。

「当たり前」にあるということが実は「有り難い≒めったにない」こと、相反するものはひとつなのだ。
この一対のバルブで感謝というエンジンがぐるぐると回る。

身体を動かすことで心が動き、宇宙との連動がますます良くなっていくのを感じる。
鳥がさえずり、蝶が花の周りを飛び交う中、身の回りのものがますます、一層美しいハーモニーを奏でてゆく。

一足飛びに新しい世界に難なく馴染んでゆけるよう、仮棲まいの街は私を上手くリハビリさせてくれている。

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