Facebookもブログもご無沙汰なので、身体を気遣っていただくメールなんかも頂戴してありがたい限りです。
今回はそういうこともあって、近況的なことを。
この数ヶ月ぐらいでしょうか、ずいぶんこの世界について自分なりに勉強をして目が開いたなぁというところがあります。今までは裏返っていたままでいたカードがどんどん開いていく。いろんな人の思惑や想いを歴史的に地域的に見通すという作業をあいた時間にせっせとやっておりました。
世の中には奇想天外な話の方が実は現実だったりします。そういうことも含めて、パートナーに教えてもらったり自分で勉強をしたり、Facebookのお友達の方に教えていただいたりしてきました。
勉強したい、知りたい、わかりたい。そういう私に「わかっている」人たちが決まっておっしゃることがありました。
「考えるな、感じるんだ」
暑い国にいるせいか?よる年波か?理解力はあるけれど記憶力は乏しく(苦笑)、詰め込み過ぎでしょうといわれながら、いろいろなことをつまみ食いしながら、自分なりに感じた結論は呆然とするものでした。
そして「考える」ことや「勉強」ではなく、「感じた」ことが私にとっての「真実」なのだろうと。
何がどうということはここで明かすのは適切ではないので控えますが、人生でそう受けることのない大きさの衝撃を受けました。本当に肩の力が抜けるような無力感がここ数週間ありました。私は外的ショックに強いので、自分の中枢までそのショックが届いてようやく「私は今ひどく混乱しているんだ」と気がつきました。
十分回復したとは言えないのですが、少し今の時点で言葉にしておこうと無理矢理キーボードを叩いています。
予測はしていたろうし、頭ではそう考えていたことを魂や心が「真実」としたときの衝撃の深さは思いのほか計り知れないことでした。
それでも世界は回っていくし、人は生まれ、死んでいきます。
今の私がローマ時代に何かを求める理由もおぼろげながらこの結論と関係があることもわかってきました。
私にとってラッキーなことはこんなドラスティックに今まで当たり前だと思っていたことが崩壊するということがはじめてではないということ、そして今回はそれを理解して共有してその先の未来を語り合える相手がいることが何よりの救いです。
何もかもが倒壊した更地のような心は、モノの見方をドラスティックに転換させます。
感覚的に、でもいろいろな情報ソースや今までの思考の蓄積を経て、私がこのブログに留め置きたいと思っていた「わかった」という感覚のスピードがあまりにも速く、また一般的な人の理解を超えていることは十分承知しているので「わかるように」言語化することに内容の取捨選択だとかいろんな要素が加わることになり、書きづらくなったことも事実です。私の考えを理解して、共有してもらうために前提とする概念や情報が今まで以上に深まって来たとも言えます。
スピードが速くなるということは、その先へと深める時間がとれるということになります。加速して今見るべき事柄や感じるべき事柄を全身全霊で受け止めているとも言えます。
今までのようなブログがどれぐらいかけるようになるか。
今はまだ見えていないのが正直なところです。寝かしているテーマや熟成させているストーリーがいくつもあります。
日々のこういった感度高い感性を維持しながら、若干迷いながら走っているのが今の私です。
その中で今ひとつだけお伝えできるのは「リアル」「現実」「体験」がすべてだということです。
手に触れられること、聞こえるもの、味わえるもの。そういうものを大切にしていくことが人生のすべてであるということ。
肉体の感覚と意識をリンクさせていくことこそが、これからの世界で生きていくための守り刀であり、自らを照らす光であり、「生きる」ということそのもの、すなわち、喜び、楽しみ、味わい、愛で、愛し合うということではないかしらということだけはおぼろげながら。