気付きと愛、褒めることと褒められること。

2014-10-09 09.33.26 のコピー

毎日考えて深めていくこと。それは魂を磨きに磨き、曇らないようにしていくことでもあって。
間違いに気付き、ただし、許す。よいところを認め、のばし、一層愛する。その連続。

愛とはなんなのだろう。
溢れ来るやむにやまれぬ暖かい何かが愛なのではないか、と言うのはあまりにもイメージ先行型というか感じている感覚や映像を言葉にしているにすぎないのかもしれないけれど。

愛と言うのは究極に暖かく美しく強い波動なんだろうとも思う。
その溢れる源をいつも感じているし、思っている。

自分がそれを回りに波及させたり届けるにはいろんな方法があると思う。
私は教えることを自分の仕事とし始めてから、「褒める」「いいところを見つける」という才能に長けていることに気がついた。褒めて伸びる人と伸びない人とがいる。
その話はあとにして、私が先日深く感じ入ったあるブログのエントリーの引用をまずはご一読いただきたい。

水晶の家れいさんのブログから一部引用させていただきます。引用元はこちらです。

☆褒められれば心が喜び感情が高ぶります。脳が生きる意欲の「ドーパミン」(快感増幅)を分泌させます。
エンドルフィンといって脳内モルヒネも分泌されて精神的ストレスの解消にも役立ちます。
免疫細胞の防御反応が強化されますから健康には最適なわけです。少しの心がけも自分への躾と考えましょう。自分を褒めたり評価してあげるのは当初恥ずかしかったり抵抗もあるものですが、自然と違和感なく善なる心が発信できるようになるものです。素直な心がそのとき役に立つのです。

☆この話の大切な部分は、これからです。何故意識の快である「褒める」ことが幸福や平安、調和をもたらすのでしょうか。それ実に論理的に出来ています。つまり人間の進化を司る愛の表現のワンシーンだからです。
意識の世界は実学であり人間本源の生命の本質を知る上で新時代には避けて通れないものです。

☆へりくだることが美徳と勘違いしている場合があります。「いえいえ、私なんか…」とはよく耳にする謙遜言葉ですが深層意識からすれば理解不能かもしれません。謙遜はのぼせ上った人には調整としていいのでしょうが、正しく社会活動をしている人がいて周りから評価されているとすればそれはそれで「有難うございます。」で返礼を返せば内外に良い影響が放散します。くれぐれも卑下し過ぎたりへりくだりすぎは深層意識には曖昧ととられますから注意しましょう。正しく評価判断して感謝の念を伝えましょう。

☆自分の善きことを評価し褒めることは意識に明確な快のサインを送ります。瞬時にそれは処理され次なる現象化の礎になります。
自分の善きことも必ず正負同等の価値を含むものであります。それを瞬時に看過し、創造の法則に則ったもので自然で無理のない建設的進歩的事柄であれば次なるイメージが新たに脳裏に浮かぶなり偶然としか思えないような現象が続きます。
評価され褒められ感謝される事柄は、創造の掟に叶ったものであることが望まれます。これが曖昧だと不自然な社会が出来上がります。

☆パートナー・夫婦同士も何かにつけて良いことは褒めてまずいことや悪習は互いに除いてゆきましょう。子供は親の背中を見て育ちます。感情で指導することのないようにしましょう。そして良いことはきっちりと目を見て褒めてあげましょう。

・・・・・・・・・・・・・・引用ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心が喜ぶ=ドーパミンが出る=エンドルフィンも出る=精神ストレスが解消=免疫細胞の防御反応が強化=心身の健康にいい。
褒めること=幸福や平安、調和=人間の進化を司る愛の表現のワンシーン
ということが明確に書かれています。

また一方で、「褒めるとは、感謝行であり自分に対する評価の現れです。また、それは鏡の法則でもあり、相手に見る美や徳や感謝は取りも直さず自分の優れた美徳の投影」とも書かれています。

私は仕事柄、多くの人を褒めて来たつもりでしたが、褒めても信じない人、褒めたところにあぐらをかいて何もしなくなる人、褒められたことを素直に感謝して受け入れる人と大きくわけて3種のパターンにわかれました。

「褒めて伸ばす」というのはこの3番目の人にだけ当てはまる手法なのかもしれないと思いましたが、褒め方が今からすると足りなかったのかもしれません。自分にないものを「素晴らしい」と素直に認めて褒めること「よくやったね」と言えることはやはり人間関係の基本です。

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褒めるという単語を聞くと、なぜか高倉健さんの「あなたに褒められたくて」 
というエッセイのタイトルが頭に浮かびます。

あの高倉健でさえ、誰かに褒められたいと願う。
褒められるというのは部分的であれ完全な肯定であり、賞賛です。
その積み重ねが自信になり、感謝になり、ますますよい芝居をしようと思うのか、内容を読んでいないので想像にしか過ぎませんが、このタイトルにはそれだけの想像力をかき立てる人間の素直な想いが出ている気がします。

みんなでなくてもいい、ただあなたが褒めてさえくれればいい。
人間というのはかってなものですから、褒めてくれる相手すら、実際は選んでいるのかもしれません。

私はあまり褒められるようなできた人間ではなかったので、このタイトルには何となく思い入れがあるのもそのせいかもしれません。褒められたいという一心で、なすべきことをなす。それだって立派な目的なのだから。

だから、精一杯、言葉と身体を駆使して褒めるということが必要なんだと思います。
褒めるというのは人生という長いレースの中のドリンクの補給や食べ物の補給だったり、道ばたでの声援のようなもので、その褒められるということを通してまたエネルギーをチャージし、ゴールに向かって進んでいく。

褒めるという行為を通じて人は自分を振り返り、人の魂にエネルギーを注いでいるようで実は自分の魂を磨いているのだと思います。その言葉や態度に人は癒されて、自信をつけ、一人ではないと安心して進んでゆけるのだと思います。

褒めることも褒められることも天秤にかけず、ひたすら自分と相手の美点に気付き、それをのばしていく。
それが魂を磨くという行為=愛なんだろうと腑に落ちました。

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