仕事をし始めた頃。失敗したりした時の想定が不十分で対応が後手に回ってしまってひどく後悔するということを何度となく経験した。
学生時代「賢い女は不幸だ」といっていた頃があった。女子大に進学したおかげで回りに女の子がたくさんいたので、彼女達と話していて分析した結論だった。賢い女は想像力が逞しく、計算力に長けているので瞬時にメリットでメリットを見定めてその状況にいくのかいかないかを決めてしまう。それは好意を持った男性とかにも当てはまることで、脳内でシュミレーションして想定して、「ヤーメタ」となったり諦めたりする。
そういう周りの女性達はたいていとても頭が良く、しっかり者なのだ。(私のリサーチでは美人率も高い)私自身はいつだってチャレンジャーで、「やってみないとわからない」と思って行動することが多かったから、不細工でちょっと頭が悪い私は、どちらかというとその逆だった。だからよく「ばかでよかった」、と彼女達にもいっていた。
失敗は多いけれど、後悔はない。そういう人生を歩いてきたように思う。
恋愛やプライベートではそれでかまわなかったとしても仕事ではそうはいかない。特に、大学をやめてフリーランスになった頃から私は脳内シュミレーションがどんどんと上手になっていった。
もともと心配性だから、「上手く行かなかった時」のことを考えるのはお手の物である。それに失敗する要素やタイミングでどれくらい何に影響があるかを考える。仕事をしている人なら少なからずやっていることだろうと思う。
自分が会社を立ち上げて、仲間ができたときには嬉しくてなんだかそこをうまく考えていられなかったような気がする。だから、最初三人で立ち上げたはずの会社に、残ったのが私一人になった時、私はいい感じにどん底な状態になっていた。
この想定が一番底辺だ。今ここが一番最悪でひどいんだ。何度思ったかしれない。だけれど、底なし沼のようにその状況はどんどんと想像を超えてひどくなっていく。
落ちていくきっかけなんて本当に実は些細なことだったのかもしれない。だけれど想定の範囲をどんどん超えていく中で自分に残された選択肢がどんどんと秒読みで少なくなっていくのを体感していた。それを感じるのと同じぐらいの勢いで不安感が増していくのだから、前向きに考えるなんてことはおおよそできずにいた。
そんな中で、義務や義理としてこうしておかなくては、とかこうすべきだ、こうしておきたい、と思っていたことがどんどんと自分の手に余っていった。生きていくのも困難な中で何を誰かにしようと言うのか、と今なら思うけれど、どれほど自分をせめても自分を許せないでいた。
生きていけない、って言うのはすごく切実だから、無理矢理そこでどうしても手放せなかったものをどんどんと手放すようになっていく。ある意味、図太くなっていく自分が生まれたのはここからだと思う。
孤独な中ではじめて胆が座ったというか、相手に遠慮ばかりする自分がいなくなった瞬間だったと思う。
心配性だけれども根は前向きな自分が軸を立て直して、生きるための選択をしていったのかな、と当時を振り返って思う。
それからはできるだけ論理的に積み重ねた「根拠」を積み重ねることによって感情に振り回されない、周りにも振り回されないシュミレーションで、自分を鼓舞し、周りも鼓舞しながら結果的にどんどんと前に進めるようになってきた。
それぐらい、身軽になって、胆が座っても状況的に厳しいなぁということがやっぱり突然やってくる。もしかしたら突然、ではなくてむしろ自分を鼓舞できなくなるぐらい打ちのめされてたり、状況を前向きに捉えられなくなったことがあった。
最悪の想定が「社会的」なものであってももちろん当然のことながら「プライベート」にまでその余波が起きる。いくらいろんなものを捨てきって笑うぐらい身軽な私でも、イヤそんな私だからせめてここぐらいは・・・、みたいに守りたいものだってある。後ろ盾もない孤立無援な状態で、それが守りきれなかった時のことを想定すると、浮かぶ結論はたった一つしかなかった。
そんな最悪の想定をして自分を痛めつけても、最善の何かは生まれない。そこで生まれたたどり着く唯一の結論への道のりはその道程がどのようなものであれ、そこに一直線に進むのだ。だからもうその時は、潔くその漆黒の闇に身を投じて受けるべき裁きを受けるけれど。でもその一直線の道に入るまで、状況が変化しうるところでそんなに自分を痛めつけても百害あって一利無しではないか、と思うに至った。
諦めないで、上りたい階段を必死に上ろうとするために前向きに想像力とシュミレーションをしつこくできるかどうか。それを冷静に論理的にできるのか。不安と希望のどちらを選択するのか。
諦めるためではなく、奈落に落ちるためではなく、行きたい世界に行くために自分の想像力を使わないと。