日本で仕事をしていた時はいつもピンヒールだった。7センチ以下のヒールを履いたことがなかった。
自分の中で、仕事をするというオンモードとピンヒールはいつもセットだった。
ばりばり仕事をする自分っていうイメージにピンヒールは欠かせなかった。
この国にいると、ピンヒールは隙間のあいたブロックや微妙に広い鉄の網にさっくりと刺さったりはまったりして、ドアトゥードアの送迎付きでエレガンスに仕事をするのでない限りピンヒールをはくにはそぐわない環境。
だけれど身長も小さい私はどうしてもヒールが履きたくて、迷った結果、日本だったら邪道だといって絶対履かなかったウェッジソールをこの国で履くようになった。つま先からかかとまでが厚いソールなので、ささったりしない。
慣れてしまえばこの方がバランスがいいので引っ掛けたりすることもないし、楽なのだけれど、ピンヒールと大きく違うのは「背伸び」感である。
ピンヒールのいいところはいつもつま先立ちしているような、ふくらはぎがきゅっと締まる感じ。あれが辛いような身が引き締まるような感じでとてもいい。一方、ウェッジソールは視界的には同じだけれども、つま先も多少あがっているのでそれほどつま先立ちするような感覚ではなくなる。
前置きが長くなってしまった。
自分が変わりたいと思うときに、「もう既に変わった自分として振る舞う」ということをやってみると、技術的なことや記憶しないといけない、経験値がいるものではなく自分の性質や内面、習慣みたいなものは意外とそれで簡単に変わってくれる。
習慣化はだいたい2週間以上の継続で一つの山を越え、その後1ヶ月、3ヶ月と着実に毎日それに時間を費やしたりできるハードルがあがっていくと聞いたことがある。
私自身、この方法を使って少なからずいろいろなことを自分で習慣化させていけたので、人によってかもしれないが有用性はあるんじゃないかなぁと思っている。
振り上げた拳の行き場に困る、じゃないけれど「背伸び」をした後はどうなるんだろう、とふと思う。
もちろん、その「背伸び」がきちんと習慣化されて、ピンヒールを履いているがごとく毎日背伸びしていられたら、それはもう「ちょっと無理をする」というより「当たり前で自然」な常態なのだからそれで問題ないのだろうと思う。
問題はそうできないとき。「背伸び」していたかかとを知らずにおろしてしまっていたらこんな疑問もおこらないのであろうけれど、「もう足がしびれて痛い」「こんなに辛いと思わなかった」と思いながらまだ「背伸び」しているなら。
それは実は今の私の現状をうまく表している気もするのだけれど。
かかとをおろすにおろせないでいながら、全然それが慣れもしないし、誰かがその背伸びにフィットしたピンヒールを履かせてくれるのを待っているのだけれどまだ履かせてくれない。待ち人来らずなシンデレラ状態。
でも結局、ここまで痛みに耐えながら踵をあげてきたのに今おろしちゃったら、残るのは痛みだけ。
あともう一日、もう一日と思いながら、いつかそれが慣れるというか、ご褒美にピンヒール履かせてくれる日を待つのが勝負所なんだろうね。