最近、自分の中で「あぁ、変わったんだなぁ」ということがある。
私自身が生きて行くために一番悩み続けた問題だったし、ずっともう諦めていた問題についてだ。
私が持っていたその問題であれなんであれ、問題が解決するということは「状況が変わる」ということだ。
変化っていうのは問題が解決した時を指すのだろうと思っていたけれど、実は違うのかもしれない。
生まれてこのかたずっと抱えてきた問題を史上最短で解決できるような環境になった時はなんだかまだ夢見心地だったし、揺り返しも何回かあった。
この問題を解決した自分、という未知のものと暮らすようになった自分になかなか慣れなかったような気もする。
新しい家に連れて来られた猫のように、一角に陣取ってじっと様子を伺っている、そんな感じだったのかもしれない。
誰かがミルクボウルをおいてくれたら、近寄ったりにおいを嗅いだり。
だんだんと、大丈夫そうだ、となってくるとそのあたりを探検したりし始めて。
大きな音がするとピャッと飛び上がってもといたすみっこに逃げ込めるように。
それでも大丈夫だな、とかわかるようになる。
こういう移行期間をへて、猫はその家の猫になって行くんだろうと思う。
人間の変化もそんな感じで、はじめはおずおずと、そうしてようやくその環境に馴染んでくる。
そこではじめて周りの景色が変わったことに気付く。
それまでは馴染むことと言うか、いつでも元に戻れるように若干お尻を浮かしながら、慣れない椅子に座ってる感じなのだけれど、そろそろと力抜いても大丈夫かもって思い出す。力を抜いたところで、はじめて部屋の内装だとか、目の前におかれたカップのディテールなんかが目にいく。
私は今までいた場所にいないんだ。
だって見えるものも感じるものも違うもの。
それは最初に新しい家に連れて来られたりした時の瞬間からどれだけの時間を経ているのかはわからない。
でも、そこまで来てはじめて「変化」が完了したと言えるのだと思う。
見える景色が変わった結果、感じるものが変わるということこそが「変化」なのであって、ただポジションを移動しただけでは「変化」にならない。
それこそが新しい環境だし、新しい自分。そこから生まれる「新しいもの」こそが変化をした結果。なんだろうと思う。
そこまで定着させることが実は難しくて、移動だけしても変化しないこともあるんじゃないかと思う。それで変わったような気になる。
変化っていうのは、化け変わるんだから、やっぱりドラスティックなものであるはず。
自分がまさに変化した、そう感じたからこそこんな定義がだせるのかもしれない。
多次元の中で環境が変わるというのも魂や意識のレベルから変化してそれが現実見える世界にまで降りてきて馴染むまで、一体どれくらいの時間が実はかかっているのだろう。ドラスティックであればあるほど、移行期間は長いはずだとも思う。
でも時間なんていう概念も複雑だから、長いものを一瞬にする手段だって実はあるのだろうけれど。
移行するということ、馴染むということ。
新しく始まったことが、馴染んで当たり前になるのがすごくイヤだったけれど、そこが実は変化のゴールであったと言う結末。
焦らず、時間軸をものともせず、変化に対応していける自分でありたい。