ちょうど世間はワールドカップ開催国のブラジルがドイツに大敗しちゃった数時間後でもあります。
この結果は私には全く当たり前、としか言いようがない結末です。
数年前、1978年のアルゼンチン以来、ブラジルでの大会をと南アメリカの総意としてブラジルへの誘致を望んだはずだったのに、どうでしょう。
始まる直前になって「ワールドカップなんてやってる場合じゃない!」と国民は騒ぎだし、競技場は途中までしかできてないし、ペレは渋滞のせいで遅刻するし、6割以上の人が「興味ない」とかいっちゃう訳です。
そりゃぁ、ネイマールも怪我するし、7点も取られちゃいますよ。
開催国なのに、圧倒的に応援するパワーよりも負のパワーの方が大きかったっていうことなんだろうと思います。
サッカーって他のスポーツよりも不思議と「場」の雰囲気の勝ち負けを重視する気がしているのですが、点を入れるタイミングが少ないスポーツだからこそ、「アウェイ」とか「ホーム」の場が支配するものが多いのだろうとも思います。
こんな風に開催国がしらけちゃうなら「ホーム」の意味ってなんなんだろうって思っちゃいますが。苦笑
さて、ここからが今日のタイトルのお話です。
データベースにつながらなくって、ずっとわけのわからないエラーと数時間格闘していました。
訳のわからないものをずーっと調べながらやっているのは本当に苦行としか言いようもないものです。専門家じゃないのですから、「何がどうなってるのか」すらぼんやりとしか理解していないのですもの。
それを使いこなしている体ができるのはインターネットのおかげなんですけれどね。もちろんプロじゃないのでたいしたこともできないのですけれど。
それでも、エラーが起こるたびに「バックアップ」の重要性を思います。
一瞬で消えたサイトが復活するのは「バックアップ」のおかげですし、使えなくなった機能が元に戻るのも「バックアップ」があるからなんですよね。これで何度となく冷や汗が止まった経験があります。
人間だってそうなんだろうなぁって思います。近頃。
バックアップ先が家族なのか恋人なのか、神様なのかそれは人それぞれで違うのかもしれません。
それでも、「もともとのその人が記憶している自分」みたいなものを自分の中にもう一度引き込んでみるということ、もちろん自分をよく理解してくれていて、自分も安心して自分をだせる相手なのだろうと思いますが。
そういうことがあれば、とっ散らかった自分や、行き先に迷う自分が何をしていいかわからないときに「私ってそうだったよね」って言うことを思い出させてくれるんだろうと思います。
「あなたってこうなんだから」って言ってくれるのと同時にきっとその人は「だから大丈夫よ」っていうことを言ってくれると思うんです。そういう安心感っていうのかなぁ。どんな荒波のような苦労を日々受けていても、自分のありのままを知っている人がいるだけでずいぶんと楽になると言うか、原点に戻れるはずです。
そういう相手と密にコミュニケーションをしておくことは、「自分のバックアップ」に他ならないんじゃないかなぁと思う訳です。
いくら相手が自分を知っていてもそのバックアップが古いと、いろいろずれるから。これも、アップデートの一環で、古いデータベースなんてもはや「自分」ですらないのだから。
そういう作業を続けて行くことが、結局ぶれない自分を作って行くことに他ならないんじゃないかなぁって思ったりしています。
日記なんかもオールドファッションだけれど確実な自分のデータベースだなと毎日つけながら思っています。