一人で生きる、と決めた時、「迷惑かけない人になろう」と思った。
いつでもニコニコ笑っていて、みんなと程よく仲良くて。
人や仕事であんまり辛くならない距離に自分を置いて、何でも「そうかそうか」と受け入れられて、日々に感謝してひっそりと生きようって。
でも人間って言うのは所々でしょっちゅうぼろが出る。
そのぼろが出るたびに落ち込むのもイヤだから、そんな風にぼろが出ないようにそのときにずいぶん反省してどうやってそれを防げばいい?とか対策練って。
「嫌い」とか「イヤ」という気持ちを違う側面から理解して、ぐぐぐっと仏教の教えと連動させてみたりしてね。
今までもそうだったんだけれど、一人で生きるんだから、という決意がさらに一層、わたしの周りを漆喰で塗り固めていった。
漆喰で自分を塗り固めて自分を装うのは今に始まったことではなく、考えてみればずーっと幼い頃からそうやって「ありうべき姿」だとかいろんなものを装うようにどんどんと塗り固めて行っていたんだろうと思う。
物心ついた頃にはもう、厚化粧だったのかもしれない。
すっぴんである素の自分なんて、自分だって知らないぐらいに、漆喰がどんどんと塗り固められていっていたなぁ。
もともと我慢強い方だし、自己主張も強いけれどどちらかと言うと周りの気持ちをおもんぱかるので、いつの間にか素の自分が欲していることなんて、わからなくなって行ったなぁ。それがいつからなのかもわからない。
ぼろぼろとしょっちゅうはがれる漆喰を、はがれては塗り直ししてきたある日。「ちょっといい感じにようやく完成」と、思えた時期が来た。そのころのわたしは、なんだか前途洋々な気分で「これでもう何が起こってもちょっとやそっとじゃ崩れない」と思っていたのだった。
「あぁ、無情」はビクトルユーゴーの大作のタイトルだけれど、ほんとうにそんな感じ。
漆喰で塗り固めた自分なんて、本当の自分じゃぁないでしょう? と、塗り固めて乾いたばかりで自信満々のわたしに鋭い指摘を入れる人が目の前に現れた。
それを見抜く人すらいなかったのに、しかも完璧に取り繕えるようになった瞬間にそれを見透かされてたわたしは狼狽した。
「それいまここでおっしゃる?」みたいな気持ちと衝撃がわたしの脳天を打ち抜いた。
思えばあの瞬間に、きれいに塗り固めた漆喰にトンカチとのみでカンカンとひびを入れ始められたのだと思う。
そうなると外を塗り固めて取り繕うばかりに一生懸命だったところから、中にいる自分が「だせ」と言い出す。
今までのことを洗いざらい考え直せと言わんばかりの出来事が起こり続け、自分の中ですっかり定義が終わっていたことも何もかも、当然のことと思っていたこと、当たり前だと思っていたこと、変えられないと思っていたこと、すべてを見直す旅が始まった。
何ヶ月かかったかなぁ。
何かあると泣いていた。
涙腺が間違いなくバカになっていると思ったし、理由もわからずに瞬間的に号泣し続けられることがこんなに長く続くなんてあるのか?みたいなかんじだった。とにかく泣かないと始まらない。仕事をしては泣き、ブログを書いては泣き、人と話しては泣き、食事をしては泣いていた。
今まで「泣くなよ」と言われたことはあっても「泣け泣け!もっと泣け」と言われたことはなかった。
泣いてもかまわない、そういわれたから、思う存分、我慢することなく、何ヶ月も泣いた。
もう一生泣いてるんじゃないかって思い始めた頃、ようやく私は泣きやんだ。
心残りなく泣き続けると、涙と一緒にいろいろなものが流れ落ちていた。
今まで自分が培ったと思っていたもの。すなわちわたしが自分自身を覆っていた漆喰が落ちたなぁと感じる瞬間だった。
この国には、ワットトライミットという寺がある。そこにはあるエピソードを持つ仏像がある。
引用ここから
1953年、市内の廃寺取り壊しが決定し、その境内には仏像が放置されていました。全身漆喰が塗られ所々それも剥がれ落ち、顔も歪みあまりに粗末な姿だったので、誰もこの仏像には見向きもしませんでした。
この仏像ををクレーン運び出そうとしたところ、見た目とは異なる異常な重さでクレーンが故障、作業は翌日へと持ち越され仏像は野外に放置されました。するとその夜は嵐となり一晩中雨と風が吹き荒れ、翌日作業を再開するために作業員が仏像に近づいて見ると剥がれた漆喰の隙間から黄金の光が漏れていました。
後の調査によるとこの仏像は700年~800年前のスコータイ時代に製作され、当時略奪の限りを尽くしていたビルマ軍から逃れるため、全身に漆喰を塗り普通の仏像であるかのようにカモフラージュされていたとのことです。純度は60%の金で出来ており、高さ3メートル、重さ約5,5トン、時価推定120億円の価値があるとのことです。
引用ここまで 引用元、写真も
この数奇な物語のように、はがれたあとが黄金の仏像だったという落ちではないけれど、「清々しいほど空っぽのわたし」がいた。
物心ついてから、はじめて自分が見る「わたし」である。
今まで必死に修行と称して勉強していたことも、この国のためにと思ってきたことも何もかも全部どうでもいいと言うか「そんなこともあったねぇ」という具合に。
自分が美しいもの、正しいもの、好ましいものをみたいがために、いろんな眼鏡をかけてみていたものは、そのままだとはとても美しいと思えなかった。
実はそんなこと全部「本当のわたし」は知っていたのである。
だけれど、それは言ってはいけないことだし、感じてはいけないこと、だった。
そんなことにまで「素」の自分になったわたしはどんどんわかっていく。
再定義、再構築、全く別の理解がそこにはあって。
人生を改めてすべてとらえ直し、本当に自分が美しいと思えるもの、自分が心から大切だと思えるものはこれだって感じるままに言える人生を手にするためには必要な行程。
「清々しいほど空っぽ」というのは、実は費やすべきことに費やして来なかった、虚構の時間の代償でもある。
「なんにも知らないわ、大笑い」と、後悔するよりも先に笑いがこみ上げてくる。
だからこそ、無駄にした時間を取り返すべく、楽しんで吸収しようと思う。義務じゃないから楽しい。すべてが知らないことって実は新鮮で活力がある。
知っていると思われているのに知らなかったらどうしようとか、きちんと理解していないからうまく説明できないからと不安に思ってた昔のわたしと違い、「知らないから教えてください」と言える世界が今からいきる世界になる。
何かを慈しむように、自分の本質的な嗜好が顔を出す。それはわたしが絶対捨てなかったけれど、「いいところを一生懸命探し出して見る」ような世界では活かせないもの。空っぽな自分になったからこそ、そういう自分にも出会えた。
漆喰の中も漆喰だったり泥じゃなくてよかった。もしそうだったら、今頃はすべてきれいに粉々になくなっているはずだから。
感性に正しく、自分に嘘をつかないで社会とうまく折り合いを付けるなんて言うことが不可能だと思っていた。
唯一無二なメンターの元にタイミングよく飛び込んだのか、飛び込まされたのかそのあたりは「カミサマノイウトオリ」だとしても、「いつ死んでもいい」から「死ぬまで楽しく生きよう」という変化はわたしの人生に未来を与えてくれた。
未来がある人生って明るいし、何より一生懸命「幸せ」じゃなくていい。ただ、命があるままに「愛おしく」「有り難く」「誇らしく」それこそが「幸せ」なのだ。
ギリシャ神話でパンドラの箱を開けて、人間の生々しい感情と言う怪物が出てきたあと、最後の最後に残ったもの。それは希望だったって言うストーリーにもつながるようなめくるめく時間と経験だった。