毎日の暮らしの中で、起こることをすべて受け入れていこうと思って、自分の望む最善の世界を信じていこうとしたときに、見落としていたことがあったことを教えてもらった。
ひとつは、精進が第一義にくるということ。
いくらカミサマノイウトオリ、宇宙や神様が示してくれた道をいく、と決めたとしてもそれだけでは不十分なのは当然のことなのだけれど。
どうしてもなんでも聞きたくなってしまう。
何が欠けているのか、どうしてなのか、どうすればいいのか。
でも、それよりもすることがあるんだなぁって教えてもらった。
シンプルに、自分を高めていくこと。
精進に集中すること。
心身を常に清浄に保つこと。
穏やかにアンテナを立てつついること。
それが最善というか、自分がするべきことはもうそれだけなのだ。
そして、信じきるというのが最後にして最も大切で、実は難しかったりすることなのかもしれない。
今回使った写真は、友人が自分の愛娘を抱いて何かを彼女に話しかけている姿。
娘は安心しきって父親に身体を預けているし、父親である友人の背中は自信と力強さに満ちている。
彼女は守られていることを無意識であろうけれどしっかりと知っていて。
友人は彼女達を守ることにちゃんと自信をもっているし、その決意があることを背中が物語っている。
不安っていうのは無意識に、知らないところから、いつの間にか忍び込んでいて、抜き差しならない。だけれど、これがある限り、信じきることはできないし、預けきることができない。捨身できないということ。
彼らのように、自分の存在を確たるものとしてくれる存在に心身を預けられて、
自分と未来と自分のことを大切にしてくれて、自分にとって大切な人を信じきることができたら、
多くの宗教などが教える「心の平安」や「穏やかな気持ち」という、もともとおそらく自分の心に備わっているものに気がつくことができる。
この二つは相即不離でどちらが優位ということではなく、どちらももう一方の拠り所になるし、強くしていく関係でもあるのだ。それぞれがそれぞれが正しいことの根拠となる。