あるとき、何かふと啓示的にアイディアが浮かんだり、「ここにいっちゃだめ」と思ったりした時、何を根拠とすればいいんだろう。
例えば、占星術。例えば例えばエトセトラ。
人間の心はいつだって根拠を求めてしまう。(私だけかもしれませんけれど)
だからずっと長い間「好き」に理由がないことに納得がいかなくて、「ただ好き」と言うことを理解できずにいた。
いつだって何かを描写して把握していたいなんて、考えてみると驕った考えだし、いくら描写して把握したってそれが正しいとも限らないのに。それを根拠だと思った自分は浅はかだというか、それだけ疑り深く成長したのだろうと思う。
例えば占星術を啓示の根拠にしたら、当然その占星術で説かれた内容を検証するのである。もちろんその逆もある。一般的に「今週のあなたの運勢」なんていうのはこの逆のパターンで、占星術こそが啓示であり、その一週間の自らに起こる出来事がその啓示の検証である。
いずれにしても。
人間はその「確証」を得るためにいつも何かを一般化し、抽象化し、そのノウハウを売り物にして来たのだろうと思う。それは失敗したくない、裏切られたくない、損したくない。何でもいいけれど要するに、「スムーズに信じられないから、信じるためにいろんな理由付けが欲しい」のである。
これって考えてみるとものすごくマイナスのベクトルである。
検証しないで何でも信じるのは愚鈍だと思っている私ですら、これくらいは理解できる。(最近理解しつつある。正直に言うと)
それは、ただ犬が自分のしっぽを追い回しつづける行為に限りなく等しいのではないのだろうか。
自らが信じたい出来事が、事実、まさに自身に起こるその一瞬まで「確証」と言うのは真のレベルではあり得ない。
ということは、その「根拠」をいくら検証しようとしたってそれは「未来」を検証することなのだから。時間軸の概念からいくと起こってないものに確証を与えるための検証なんてあり得ない。
最近、身体と魂の関係について再認識をしているところで、身体からの側面から書こうと思っていたことなのだけれど、身体が一番良く知っている、と言うことなのである。
人間の身体はアンテナのようなものなので、いろんな危険、感情、未来、いろんなことを察知できている、と思う。
身体をよく使いこなせる人は精神のバランスがいい人も多い。
「百獣の王と戦う」武井さんと言う人の語る自分の身体を自分がいかに思い通りに動かせないかと言う話は今までの彼に対する認識、身体に対する認識を180度変えるほど身体と意識の関係を明確にしてもらえた。
最近流行っている氷水チャレンジも、彼はさらりとしないと応えていた。
彼は身体と会話して、きちんとアンテナを働かせているんだと納得した。
直観に検証なんて不可能なのだ。だから「その直観を信じる」ということで望むべき未来を引きよせて、事前に危険を察知していけばいい。
私が愚かだったのは、魂も身体も「そうだ」と言っていることに検証したり根拠をほしがっていたことだろうと思う。
それをたった一人で感じていた訳でもないのに。
直観は自分にしか知らされないサインなのに、それを自分が無視してしまったら誰がそれに気付くと言うのだろう。
そうやって、だされているシグナルを無視して何度失敗したかを思い出してみればいいのだ。自分の「頭」がそう言わせているのに、「サイン」だと見間違えることもある。でもそれは経験値によって、または心に正直に見直すことで十分防がれるのだから。
何よりも自分の直感を信じてやることが、何よりも望むべき結果を導く方法なのかもしれないという結論にたどり着いた。