たどり着いた境地

2014-08-19 14.44.17

17歳の時から、出家したかった。
俗世間からはなれて、ただただ禅定を尽くして自己と対峙していきたかった。

そんな私がそれをやめた理由は、衆生である俗世間にいきる人の悩み苦しみがわからないのであれば、自己と対峙して悟りを得ようが意味がない、もっと世間を知らなくては。経験を積まなくてはと思ったからだった。

気がつけばその頃から、自己と対峙して高めていきたい自分と、誰かの役に立てる、社会がよくなるような存在になりたいと思っている自分を見つける。その当時はもしかしたら現実が辛くて、その世界に逃げ込みたかったのかもしれないけれど。

それから25年ぐらいの時間がたって。
出家をするよりももっと複雑な感情と痛みと喜びを感じた日々。

自我やエゴ、欲がなければ世俗社会で力強くいきていくことは難しいと悟った20代から、本当によく悩み、苦しんで来たと思う。

成長の遅い自分とありうべき姿とフィットしきれない社会の中で、あまり妥協することなく、自分の目指す物を不器用ながらによく追いかけてきたと思う。
理解する人は少なかったし、孤独でなかったと言うと嘘になる。

20代の後半から30代半ばまではいわゆる一般的な世俗社会に馴染めなくて、魂が孤独な時期だった。誰かと一緒にいるのに感じる淋しさはもうイヤだ、それなら一人の方がいい、と決めたのが30代後半だった。

その頃にあった出会いで、自分を捨てて生きることを選択してもつことになる。
それからもう何年だろう。【自分を捨てて生きる、エゴを捨てて生きる】と当初思い始めた時のそれは今振り返れば、「自分を捨てたつもりで、ただ孤独に生きる」ぐらいのものだった。
こんなのは誰のためにもならないただの「淋しい人プレイ」であると今ならよくわかる。

「自分を捨てたつもりで生きる」という虚に気がついてから、ずいぶん七転八倒しながら自分を捨てるということを考えてきた。それは仏教に縛られていたことに気がついてようやく、「カミサマノイウトオリ」というあり方を知る。

仏教にはたくさんのことを助けてもらってきたけれど、一番私が最後に苦しんだのは刹那と未来の関係だった。未来を期待しない、次の瞬間の死に取り付かれていたのかもしれない。
だから未来をも所有することなく手放したい衝動にいつも駆られていた。

この辺りの考察は、現世と言う三昧を味わい尽くすというテクストの中で経験として語りたかったのだけれど。大事においておき過ぎてまだ書けていない。

そんな中、自分の役割ということを考えていると、そこでエゴとの葛藤がでてくる。
役割を終えた後の自分を思うとエゴがでる。

自分の役割を熟知しているが故の手放しができるかどうかというところだったと思う。
頭がおかしくなるほど考えて、自分を追いつめて、罪悪感にも苛まれた。

肚をくくって受け入れる、というのはこっちサイドの話なので、楽なのだ。
自分の身を投げ出す。これが何より苦しい。
どうなるかわからない先に投げ出す。

自分を痛めつけるのと投げ出すのと、どちらが苦しいのか正直わからないほど苦しむのなら、もう苦しむのをやめようと思った。

私の人生はもう私のものであって私のものじゃない。
本当の意味での「カミサマノイウトオリ」ってこういうことなのかもしれないということだ。

自分という存在を神様に捧げるような感じかもしれない。
これを出家と言わずしてなんなのだろうと思うけれど。

私自身として挟持する、引けない何かは限りなく小さくなった。
でもそれ以外はもういい。

崖の上から飛び降りたらこんな気分なんだろうなという気持ちで今毎日を生きている。

言いようもない静けさと安らかさの中に自分があることによって、本来の自分をまた改めて見いだしている。

何度も、ありうべき自分の姿に至ったという錯覚に陥ることがこの数年あったけれど、そのたび「いやまだだった」と思い知らされることが起きる。

でももう崖から飛び降りた私に何が起きるというのか。
今はそんな気分でいる。

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