北風と太陽

旅人のコートを脱がせる勝負をした北風と太陽。吹き飛ばすのか、ぬくぬくさせて脱がせるのか対決。

飴とムチ、アメリカのドラマだとGood cop Bad cop(いいおまわりさんと悪いおまわりさん)

人を本人が望むべきところへ到達させる、または思い通りにさせる対決。

脅すのか甘やかすのか。

最近の風潮は「厳しくしてもだめでしょう」ってことが多い気がする。何かにつけてね。
それも間違いではないと思います。

人生で何度か「お願いします」と言われて誰かのことを見守ることがある。
お願いされなくたって、大事な人のことは見守っている。
丁寧に話を聞いて、本人の願いを理解して。

私はどちらかと言うと太陽型の人で、褒めるの大好きだし、人のいいところ見つけるのが得意だ。
教えるという職業がフィットしていたのもそこだと思う。

だけれど、15年以上の指導経験で学んだことが少なからずある。

現状が辛い、こんなに困っていて傷ついて辛いんだというところにどうしてもシンクロする私は、その痛みを取ってあげようとしてしまう。精一杯評価して甘やかしちゃった人が何人もいる。

もちろん最初はよかった。
傷が癒されたような感じで、前向きになって。

さて、そこからは歩みを進めないといけない。
だけれど、進まない。進めない。何かあると古傷がでてくる。
イメージでいうと「私やせたいの」っていいながらポテトチップ食べている太ったオンナみたいになる。

もうこうなると手が付けられない。
万全に理解してくれる私を知っているから、私は許してくれる、と思う訳である。

私はそうやって何人かの人生をある意味だめにしたんじゃないか、と思うことがある。
甘やかすことが愛情じゃない、と言われたって、あまやかしてほしい気持ちを無視できなかった。

甘やかされることで出来上がる信用を土台にしてあがっていくんだという希望をどれくらい持っていればいいのかわからなくなったとき、「私がいたらもうずっとこの私は悪くない、っていう自己肯定とエクスキューズの無限ループにいるな」と確信せざるを得なくなる。

そこで私が立ち去ったあとの彼らの態度も一様に同じだった。
私は許してくれる。
イイコにしてたらまたチャンスをくれる。

もちろんそんなチャンスはない。
だってたくさんあげたもの。
ずっと待ってたもの。あなたがポテチ食べてる間。

そして激しく私を恨んで憎む。
それでもいいと思う。返す刀でいくべき道に行けるなら。
本来のその人になれるのなら。

もっと上手にできたらと思うけれど、人間は弱いし怠けるし。

自分の経験を通しての最善を提供するだけなのだけれど、人よりも多少?しつこく物事をやり続け、考え続ける私のようなやり方とは土台が違うのかもしれないと思うようになり。

見返りなんて欲しいとも、私が思う通りになってほしいとも思わないのですが、ただただ、本人の願う人生を歩めたらと思うばかりで。

ただ、どちらにとっても時間は有限だし、仕事でも家族でもないなら、やはり別れは来る。
その別れが、成長したからもういいね、と巣立ってくれることも、先ほどのような苦い別れを迎えることも。

どちらにせよ、自分の人生に責任を持って生きる。それに尽きるんだろう。

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