堂々巡りからスパイラルを上がっていく

南伊豆、弓ヶ浜の朝

松の内も終わり、いつの間にか日常が戻りつつある中で年末年始とのズレを少しずつ戻そうと体や心がしている気がしています。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

昨年はセカンドキャリアに少しずつ足をかけてスタートの下地を作るような一年でした。心はいつも穏やかで感謝に満ちているおかげでとても心地よい毎日を送れたなと思っています。

その一因に一年間セッションを受けていることの影響があるように思います。元々は自分が仕事にしたい仕事のことをよく知りたい一心で受けていたのですが、思っている以上に自分の在り方に良い影響を与えてくれていると思います。

タイムウェーバーというのは量子の情報にアクセスして自分の心身を分析して調整してくれる機械なのですが、普通にあるエネルギー機器の倍ぐらいの次元までアクセスして調整してくれます。

わたくしのそこそこ長くなってきた人生の中で「謎」と思っていた事が少なからずあるのですが、それを幾つも解いてもらっている気がします。あ、それと占星術にもその辺りの分析は随分助けられたような気がします。

自分の陥ってしまっている堂々巡りには気がつきながらもその解決方法がどうしても見つからず、距離と検討する時間やタイミングを慎重に検討して丁寧なやりとりをしてもいつも残念な結果に陥る事が多かったことが解消されつつあります。すごく不思議な気分です。

ちょうど50歳の時に「タイとの関わり」について一つの答えが出たおかげで自分の気持ちがすごく楽になっていったように、人生の棘を少しずつタイムウェーバーが自分の望む未来に行くために抜いていってくれているような気がします。

苦しかった時代のことがどんどんと遠いものになっていくのは人生が穏やかになっていきます。もちろん世界や社会には悲しいことも辛いことも不条理もたくさんあるのですがそれでも、やはり自分の心や在り方が穏やかであるようにあるのは本当に大切でありがたいことだと思っています。

この一年非常にその認識を強くしたのは、人間にはそれぞれの器があって、その器なりの理解や世界観や正義や善悪があるのだということです。その器以上の認識も理解も世界観の把握もできないということです。そしてその器は簡単に大きくすることもできない。

それに気がついたのは、奇しくもChat GPIやTWのセッションがきっかけでした。膨大なデータベースに縦横無尽にアクセスできるということはすなわち、全知全能の神を味方にするようなものなのですが、その膨大な情報で一体何を受け取り、それを自分の中で理解して消化して自分の糧とすることは不可能です。

人間はその器にあった情報を得て、その器にあった理解をし、行動するということです。

その事実を持って世界を見ればさまざまな事柄に納得と容認ができます。さまざまな事象が変化し、崩壊し、複雑に絡み合っている現状を分析するにはさらなるマクロな視点を持つ必要がありますが、先ほど話したようなミクロな集合体が有機的につながり合っているのだというとてもリアルなイメージが持てるようになりました。

このような世界観を持ちながら自分との対話を深めていくことに必要なことのひとつが真言を唱えることだったり、深い瞑想でした。

何年もの間いろいろな宗教を投じて自らの精神世界を深く探求していたことが、結果的にとても役立っています。瞑想の方法や特定の力のある真言はあらゆる宗教に独自のものがありますが、どれが今の自分に合っているのかというのかは時期や何を求めているかにもよるのではないかと思っています。

上座部仏教に長く接してきて、そこでの方法論に随分と慣れていた自分が別の手法や真言について学んだり実践するようになったこと、それに伴い、当時学んでいたことの新しく学んでいることとの関連なども浮き上がってきて、長く学びや実践を続けていることの楽しさや意義を改めて実感しています。

精神衛生や心身の健康を保って生きることが難しい時代だなと感じることは時折ありますが、それはどの世界でも多少の差はあっても本質的に人間が生きづらい、苦難の中にあると思いながらその環境でサバイブしていくかということに尽きるのではないかと思っています。

原始の世界では、音なき音を聞き、見えないものとつながりながら暮らしていたと思います。何百年の社会革新の中で隅っこに押しやられた世界が形や手法を変えて戻ってきているのではないかという気持ちすら持っています。

いずれにせよ、目に見えるもの、見えないものを可能な限り縦横無尽に大きな視野で中庸の心を持って見守っていきたいと思っています。愛を持って。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。