フェリックス君
師走に入りまして、ようやく少しずつ冬らしくなってまいりましたね。
わたくしは夏の終わり頃からのバタバタの渦中におりますが、不思議と心は平静で楽しんでいるようなところがございます。皆様はいかがお過ごしでらっしゃいますでしょうか。
今日のお写真は「フェリックス君」にしました。なぜかFelix the cat を高校生の頃フェリックス君と呼んで気に入ってたことをさっき思い出したんです。好きすぎて、お友達には「ふぇり」と呼ばれていました。
タイでつけていただいた呼び名もMeaw(Mia)という猫の鳴き声の音写で猫を飼う機会には恵まれていませんが、猫ちゃんは大好きです。先日は吉方位でお茶をいただいてお店を出た途端、白と黒の猫一匹ずつ目の前を横切って行ったり、その前は猫ちゃんが山上お堂から麓まで道案内をしてくれたこともありました。猫ちゃんは時に、神様のお使いのように現れますね。悩んだり辛い思いをしているといつの間にか寄り添ってくれていることがあると聞いたこともあります。
大学に入ってすぐの頃、一階のあまり日の当たらないお部屋だったのですが、野良猫ちゃんが来るようになって「おじゃこ」と名前をつけていたのを思い出します。おじゃこも離れた見知らぬ土地に来たわたくしの様子を見に来てくれたのかもしれません。
バージョンアップ
相変わらず、脱線したところからブログがスタートしました。
最近、ペーパーワークでさまざまな官公庁の資料や研究所の作った資料によく目を通すのですが、〇〇2.0ってよく使われていることに気がつきました。
もちろん資料だけではなくって、電化製品や色々なバージョンが上がると2.0,3.0 とバージョンが上がっていきますよね。
50歳になって、色々なエネルギーが変わり、清々しい気持ちになっているお話は先日もさせていただいたかと思いますが、わたくしそれぐらいでは軽々しく2.0とは言えない性分なのです。
先日、たまたま乙女座的な突き刺さるような一言を店員の人についかけてしまったのです。そういう時というのは自分にではなく、大事な人に失礼だったり面白く無いことをすると脊髄反射できつい物腰になることがあって、あまり褒められたことではありません。
それを後日指摘された時、何か精神的なスイッチが切り替わったような感じになりました。もちろん、良い方にです。今後はおそらくあまり脊髄反射的にキツーい一言を投げかけることも無くなっていくのではないかしらと感じています。
周りの人に優しくあるというエネルギーは転じて自分に返ってきますので、それを全て他の人類や宇宙のために使っていければ一番幸せだなぁと溢れるように心が言うのです。
仏教の教えではいろいろな執着を捨てるようにとお釈迦様がおっしゃったように言われますが、わたくしはお悟りの時、感謝で満ち足りていたのかもしれないと感じます。
わたくしはもう血縁との付き合いもほとんどなくおりますから、そんな中でもあぁ、いかようにも感謝を持って生きていければそれでよしと思っています。住むところがなくなれば、飛行機のチケットだけどうにか手に入れて、タイのお寺にでも住まわせてくださいとお願いしてひっそりとお寺で暮らさせていただければいいなぁと思います。こんなご時世ですから、日本でもそういうところ探しておいたほうがよいのかしら(笑)
そういう場所なら、わたくしのエネルギーをうまく使ってもらえる、そんな気がしているのです。もちろん、自分でそのような場所ができて、そこに皆さんが集まってきてくださるようになれば素敵ですよね。
なんでもできる
ずっと引きこもりの暮らしから、少し昔のように仕事をするようになって、新しく知り合う人も増えてきているのが少し新鮮なんです。まだまだ自分からお声かけるのは難しいのですが、お声かけていただけるのは本当に嬉しくて、ありがたいなぁと思います。
この10年ほどは、自分は何もできないから、どうしたらいいかと思い悩んでいる時間でもありました。今こうやってお外に出て他の方と接してみると、なんでもできちゃうんですね、なんて言われて恐縮することがあります。
専門家の方に資料を誉めていただいたり、数字苦手だったはずがサクサクと資料を作ったりしていると、今までの人生の積み重ねが全てにつながっていて、それを自分だと認めてあげるべきなのだなぁという気持ちになります。
お褒めの言葉はありがたく頂戴して、ちょっと勘違いでも「ほんまになんでもできたらええやんねぇ」ぐらいの感じで、自分が関わったり取り組む全てのことを大事に扱っていこうと思っています。