半世紀という時間

今日はやるべき仕事を少し脇に置いてこの文章を書いています。

今生に生を受けて半世紀も経ってしまいました。半世紀です。もっと長く感じるような、いやいやあっという間だったような。

当日は、お誕生日おめでとう、と言ってもらって1日が始まりました。そんなことは基本的にないのですが、半世紀ですからそういうことがあっても良いのですよね。いい気分でお気に入りの着物に着替え、帯も格好良く決まりました。今住む街の老舗なお店に伺って、おいしいお食事いただいて、大好きな観音様の縁日なのでお寺に参りました。

 なんてことはない1日なのかもしれません。

 これまでいろんな形でこの日を過ごしてきました。

 プノンペンではホテルスタッフの女の子たちが部屋をトントンと叩いて、「Sister! Happy Birthday!」とケーキをもって現れてくれたり、生徒さんに囲まれて飲んだり食べたりしたこともありました。

半世紀、50年です。笑っちゃうなぁと思います。よくそんなに生きたね、と自分に言ってやりたい気持ちでいます。泣いてる時間やしんどい時間も本当にながくて。何をやっても納得いかないし、上手くいかないこともありました。それでもあんまり腐らずにいけたのは生来の前向きで明るい性質に救われたのかもしれません。

そんな風に生まれてこの方ようやく何とか生きてきたのは、何かお役目があるのだろうと自分に言い聞かせてきたからこそですし、それがようやく身に付いてきたのだろうと思います。

ちょうど今、気学とか運勢的には良くない時期のはずなのですが、この社会状況のおかげでなんだか大っぴらに引きこもりながら自分のなすべきことをしていると、東南アジアで消耗してもうどれだけ絞っても何も出ません!ぐらいになっていた自分に力が戻ってきているのをようやく感じ始めてきました。

50歳になるのだから、とピンときた方にこれからのことなどを伺ってみました。小さい頃から、あなたの運勢は大器晩成と言われましたので、半世紀も生きたのだからそろそろ器を作り上げていく時期に入っているはず。
 数人にお話聞いたのですが、面白いぐらい中身が似通っていました。あなたは好きなようにやってよろしい。お金の心配も何もしなくてよろしい、あなたはそのままで良い。自分をもっと売り出しなさいというところまで。

 ずいぶん長い間、いろいろな意味で引きこもっていましたが、その時期がそろそろ終わりに来たのかもしれないね、とお話を聞いて思うことができました。他にも面白いお話を聞けたので、その話はまたいつか。

お誕生日に前後して、また改めてこのお話は書くことになるかもしれませんが、新しい自分のやりたい仕事というのがはっきりと見えてきました。その仕事を自分のものにするための道が今まっすぐ自分の前にあると感じています。

今までの言葉の仕事も無駄にならず、人や社会の心身の健康の一助になるような存在になりたいとぼんやりと思っていたことが全部つながりつつあります。

誕生日を迎えてから、陰と陽が逆転したような晴れやかな気持ちで毎日目を覚ませているのが本当に不思議です。何かから解放されたような清々しさがずっと続いています。陽子、という名前に相応しい内面の活力と明るさがどこからともなく湧き上がってきているような。

Deserve という英単語がありますが、何かにふさわしい、という意味があります。わたくしはこの単語がとても好きなのです、ふさわしい、ということはそれ相応の資格があるということですよね。

自分にふさわしいものが何であるのか、何を持ち、何を持たないでいるのかは自分がしてきた選択の連続の結果です。ですから、恨みっこなしですし、文句を言っても自分に跳ね返ってくるだけです。

わたくしは、神様の言うとおり、神様の乗り物、器として滅私の気持ちで自らを磨いていくということを人生でなすべきことと思いながらこの数十年生きてまいりました。
そのあゆみやそうすると決めたことが正しかったかはこの世を離れて知ることになるでしょうが、今の時点では”相応しい”器に近づけていると教えてもらえたような心持ちがしています。

神様により相応しい、生き物としてこの世に置いておくに相応しい器でありたいなと思います。

Permitte Divis Cetera.

これからも感謝を持って丁寧に、凛とした心持ちと姿勢で一歩づつ進んで参る所存です。どうぞよろしくご指導くださいませ。