皆様いかがお過ごしでしょうか。年も押し迫ってまいりましたが、今年は本当に不思議な時間を過ごしたという印象です。皆様はいかがお考えでしょう。
今日は、大好きな弁天さまのお写真をお借りしてあげました。弁天さまにはご縁が深く、今度京都に行った折には、祠の修復をお手伝いした湖のそばにある弁天さまにお参りしようと今から楽しみにしていたりします。
世界や社会や周りの人々の普段の生活では窺い知ることのできない一面を垣間見るような年だったように思います。思うにそれでも私が何十年も前に暮らした異国の村は同じように時間が流れ、毎日同じような暮らしをし、毎日同じような会話をし、同じようなものを食べ、恋をしたり喧嘩をしたり、同じような噂話をしながら酒を飲み、そして誰かが死に、誰かが生まれていっているのだと思います。
単調な暮らしの中に安寧を見出せるということは、単調、という言葉が示すように短い調べ、同じようなルーティンという周波数が短く淡々と繰り返されていることが生活であり、人生であるからこそ、そのことに安心を持っていられるのではないかと彼らの暮らしを見ながら考えていました。日本人の暮らしも同じような単調さを内包しているように感じますが、少し彼らの社会よりも複雑です。単調さの中にただその身を置いておけばそのような不安も起こらないのでしょうが、この情報社会となった世の中では難しいこと。誰もが単調の中に違う周波数のメロディを感じる中で判断が求められているのですが、情報過多、扇動的な表現やbroadcastingにまみれ殺伐とした雰囲気を敏感に感じ取り、不安感を増長させ、自らを失っているのではないかしらと思います。自己判断、決断が本当に難しい時代だと思います。
世界中がそのような漠然とした不安感の中にあるにもかかわらず、数年に一度の国家的お家芸をさらに加速発展させて、俺らの税金を返せ!とシュプレヒコールを若者たちが中心になって声をあげている姿を見ると、この単調な旋律は何があっても世代をこえて変わらずつまびき続けられるのだ、とニヤリとしてしまったりするほどです。
仏様や神様は天界からこんな時代をどのようにご覧になるのだろう、神様も仏様もさぞお疲れなのではないですか、ご自愛くださいませと手を合わせることが多くなりました。
私にとってこの時期はむしろ心穏やかに、静謐な時間だったと総じて言えるのではないかと思います。毎日のくらしをひそやかに、子供時代に帰ったようにピアノを弾き、学び、考えておりました。
儚さを尊ぶという気持ちでしょうか。
すべてが借りもので、今ただこの瞬間手にあるだけのことなのだとしたら、それを十分慈しむこと、愛おしいと思うこと以外に何ができるだろうかということです。それ以外の気持ちを持つようなものはできるだけ遠ざけて過ごしてこられたと思っています。
ただ、人間というのはやはり恐ろしいと思うこともございました。丁寧にすることで軽んじられること、純粋な思いが返って疑いを持たせてしまうこと。こんな時代や世界になぜ生を受けてしまっているのだろうと思いますが、いつだって本質は同じ問題ですから、わたくしにも非があるのでしょう。やらなければよかったと後悔しきりですが、お節介なのでしょうね。
絶対とか必ず、なんていう言葉を軽々しくお使いになる人とは長続きしないなぁとも思います。今まで以上に刹那に生きるということを実感します。一瞬後が是なのか非なのか。刹那の変化を受け入れていく時代といって良いのかもしれません。
20代から30代はずっと刹那の感覚の中で生きていました。今一瞬と次の一瞬は全く別の世界である、全ては諸行無常であり、愛も信頼も全て刹那レベルでしか続かない物だと強く思っておりました。その刹那の連続がいつどこで途切れるのか、それは誰にもわからない。それこそが今生を生きることだという認識でした。
その感覚を少し横に置いて、永続する何かに目をやる数年でしたが、やはり今年を生き抜いていけたのは、その刹那の信頼、確信を淡々と重ねていくことだけでした。厳しい時代、厳しい感覚といえばそうかもしれませんが、逆に過度な期待をせず今この瞬間を誠実に実直に生きるということに尽きます。その先にあるのが結果的に未来と呼ぶ物でしょうが、そこにたどり着くこともそのあり方も刹那の結果でしかないと改めて感じ入ることで恐れることは無くなりました。
その中で心に残るようなやりとりや思いやりを持って生きていければ、それが一番ありがたいと思っています。
面白くないという気持ちも、悲しい気持ちもできるだけ小さくして、心穏やかに全てを包み込んで大丈夫という気持ちで全てのものに接していくことができれば、それで上々。
上々のわたくしでいられるように、好きな着物に袖を通し、自分の美味しいと思う料理をし、花をいけ、居所を整えて良い言葉をかけていければいいなぁとそればかりです。
今日はたわいのないことばかり書き連ねました。
また次回ゆっくりとお話しできるようにと思います。