Revise

revise という単語は 再度見るというラテン語が語源のようだ。

白州正子さんのエッセイはTwitterぐらいの長さの文章が断片的に続くのが印象的。
直感の人という印象があるから、グダグダと考えないのだろう。
長いものを書くほど思考やテーマを長く抱きしめるタイプではないのかもしれない。
その辺り、ご主人の白洲次郎さんとは全く違う。
世界のあり方、その中での日本の立場やありうべき方向を考え続けて模索し続け、働き続けた方だから。

そういう彼を正子さんが理解できたとは思い難い。
とはいえ。
Play fast をモットーとした次郎さんとツイッター的な正子さんの行動スピードはさぞ波長が合ったことだろうと思ったりする。

白州家のお嬢さんが書いた料理本も持っているけれど、シンプルに季節のものをさらりという料理が多かったのもうなずける。

さて。
rivise というのは見直し、修正、改正という日本語があてはまる。

翻訳の仕事で難しいけれど面白いのはチェック、いわゆる見直し作業だ。
自分、または誰かがやった仕事をひたすらにチェックしていく。文法、適切な言葉の選び方、文意など。
ただ訳していくよりも能力がいるのになぜか翻訳業界では値段が安い方の仕事。笑

業者からは最近はもうチェックの仕事しか回って来ないことも多くなってしまった。
それぐらい、私のいる業界にも人材が増えてきたんだろう。

そういう仕事柄、辞書ばっかり読んでいる時期もある。
使える辞書はまぁ数冊しかないので、数万円するその辞書たちを取っ替え引っ替え眺めて考える。

ある時、その辞書の説明がなんとはなく「フィットしない」と感じることが多くなった。
その辞書の最終発行間際に先生はお亡くなりになったので、他の先生が後を継いで以降、当然大きな改編もなくかなりの時間が経っていた。

「時代に合わせたものにしたい」
私の中にふつふつとそういう思いが出てきた。
電子辞書、改編、自分で作るというよりは、今の時代にあったデバイスや表現に言葉たちを昇華させてあげたいという気持ちが強かった。

そのためのシステムを考え、プロトタイプを作り、いろんな人をへて、そういう話が何度か自分のところにやってきた。

愛用していた辞書の改編作業グループともコンタクトが取れたし、新しい辞書を作らないかという話もあった。

その度に、神様はちゃんと私に言葉たちを昇華させる仕事をさせてくれるのだと、プレゼンからの道すがらお礼を言っていたことを思い出す。

言葉というものは誰に属しているものでもないのだけれど、その言葉が誰かによって表現されると「権利」みたいなものが出てくる。

それを皆に広げようと思うと、「システム」にのせないといけない。そのためには同じ土俵で世界が見えていないといけない。

「権利」と「システム」が同じに回らないと、「言葉」の「再編集」という時代とフィットさせるというようなことが陽の目を見ることはない。

「システム」というのはみんなが理解して利用できないと機能しない。お金が入っていないSuikaで駅の改札を通り抜けようとするようなもので、使えない。
「権利」というのはシステムが円滑に回るようになるまでは、そのシステムを信用して預けてしまわないと、その権利が利権となって自らを潤すまではいかない。

その両輪が回って初めて、言葉を時代にフィットさせるというような壮大な話が出てくる。

時代と言葉のズレみたいなものに無関心な人は、その必要性を感じないから、そもそもこんな話すら意味をなさないかもしれない。

結局、「天命」とまで感じた仕事のために、「権利」と「システム」という旧世界の壁を乗り越えるための次の世界を見る梯子をかけることができなかった。

新しいものを生み出すよりも古いものをリバイズする方がずっとエネルギーがいるし、権利やシステムをすでに保持している人がそれを手放すことはない。彼らがその権利を使わせてやっても良いと言った時のギラリとした眼差し。
惜しむらくは珠のような言葉の集積が研究者ではなく政治家の手に渡っていた。

珠は磨かれなければ、ただただくすんでいくだけなのに。

結局、自分の掴んだ「言葉のずれ」みたいな「時代」との差異とはなんだったんだろうな、と思うままにしていたのだけれど、先日、また同じような「ズレ」に遭遇した。

良し悪しは別にして、いつもそのずれを自分の問題、自分のせいと考えてしまうのが私なのだけれど、そうじゃない、言葉と時代のずれという昔向き合っていた問題でしかないということに気づかせてもらった。

さて、ここからが問題で。
たくさんの言葉たちを「昇華させる」という作業ができないまま、わたしはその仕事から離れてしまった。
今度は自分ごととして、システムも権利も関係ない世界で自由に本質をつかみ直していきたいし、いけるような気もしている。

その先の世界を表現するための言葉の核を見つける旅。