味方。

また長くかけないで、久しぶりの更新です。

日本は今年は雨季じゃなかった梅雨が早いそうですね。
紫陽花を見ると大学時代に園芸の講義で聞いた、お滝さんという方と恋に落ちて紫陽花の学名にOtaksa(オタキサン)とつけたシーボルトのことを思い出します。(そのエピソードはリンクのウィキを参照してください)

好きな小説家は誰、という話から吉川英治先生を思い出し、まだ読んでいなかった源頼朝などをパラパラと読んでいます。
史実と想像の部分を調べながら読み進めるのが好きです。

そろそろたくさん睡蓮や蓮を目にする季節かなぁと思うとワクワクします。

泥水を吸って美しく気品を持って咲く姿に涅槃を重ねた昔の人は想像力があるなぁと思います。

さて。

相変わらず数字やら星の動きを真剣に勉強できてはいませんが、パーツパーツを調べては色々と考えていたりします。

その参考にしているブログの一つに、月星座がピンとこない人の本質みたいなのを抜粋している記事があったのです。

私の月星座では、警戒心が強くて、自分の足を引っ張りそうな敵を探して自らの能力が敵に見つからないように隠し、
それゆえに自分の能力を十分発揮できず、弱いと思った他人がつけ込んでくるということが多いので、敵と認識しないで、味方につければいいというようなことが書いてありました。

いい加減、年齢を経てくると「きゃー、当たってるぅぅぅ」なんていうのはもはやイマジネーションの世界でしかないのですが、
「そうか、味方につければいいのか」

と、新鮮でした。

味方につけるっていうのは、当て字でほんとうは「天皇」側につく「御方」だったそうです。

誰かに自分のことを好ましく思ってもらうことよりも、この一瞬、正誤は別にして私の側に理解を示してもらいやすいように振る舞うぐらいならもう少し容易かもしれない。

と、なぜか思えたことも不思議で。

人によっては逆に感じる人もいるだろうし、味方は寝返るかもしれないとか思うかもしれない。

まだ色々考えてるところなのですが。
周りを敵だと思わないということ。

この言葉が身にしみてから、もう街でもどこでもそう思いながら人と相対するようにしています。
そうすると確かに少し構えた部分が収まって、気楽な風が今までよりも吹いている気がして、少し今までよりも楽しく感じています。

生きてれば矢面、な時代からうまくみんなを味方につけていけるような感じに変わっていけているのならそれはそれでいいのかなぁと。