(写真はお借りしました)
日本に帰国したばかりの時にテレビをつけたら、池波志乃さんご夫婦が終活の話をされていた。
ご病気を経て、周りの人やパートナーに自分たちの片付けを託すのはどうだろうと考えて、ご主人さまと相談しながら、書籍や写真、ご自身の作品やアトリエなどを処分されてたお話をされていた。
池波志乃さんはしっとりした雰囲気がとても素敵で、パートナーである旦那様に対する接し方やあり方も近しいなと思っていたこともあり、終活の意味がすっと心に入ってきた。
数年間、自分の小さなお城だった場所に帰る事もなく暮らしていてよくわかったのは、必要だと思っていたものって実はそうでもないのかもしれないということだった。
事実、帰国するまでの数年間、いつもスーツケースに入る量をいつも測りながら、いつでもどこかに移動できるように注意して暮らしていた。
若い頃から「ここではない何処か」を求め続けていたから、いつも自分が今いる場所から出て行く心算をいつもどこかでしている感じがある。実家で暮らしていた頃は、なんでもすぐ手放しすぎると母に叱られたものだ。
それでも、今回帰国して、自分の壁を覆い尽くすだけの書籍の山と入りきらず詰め込んだままの書籍や自分の手から離れたビジネスの片鱗が詰まった段ボールの箱たちが私の部屋を覆い尽くしていたことを思い知らされた。
私はこの数年、これらを全く触ることも目に触れることがなくても、問題なく生きてきたっていうことはどうなんだろう。と改めて思った。
若い頃の私は寂しがりだったので、残しておくことが好きだった。たくさんの写真を撮っては綺麗に整頓し、山ほど日記を書いた。その束を近しい人もいない私のために誰が整理するのだろう。
20代ぐらいのものまでは本当に捨てられなかったもの以外はすべて処分したけれど、まだ残っていた。大事な人からの愛しい手紙、写真たち。
自分にとっての思い出は愛しいものでも、第三者にとってはそれが近しい家族であってもそれは処分に困るだろう。それは志乃さんたちが一番気になさっていたことでもあった。
着るもの、思い出の品、何であったとしてもエネルギーがこもっているから、そのエネルギーを放置しておくと、または無闇矢鱈にものを集めるということは自分自身が使うべきエネルギーの総量が減っていくのではないのかしら、ということを最近はよく感じる。
オークションなどで買い物ばかりしている人は、自分が手にしていないものを手にすることにばかりエネルギーを費やしているから、他に使うべきエネルギーを知らず知らずすっかり消耗しているのかもしれない。触れることのできない未確定なものを手に入れるということは、本当にエネルギーを使うから、手にした途端に関心を失って、また他の商品を手に入れるべく、画面にかじりつくのだろう。
何かを強く所有したいという気持ちには際限がない、それが欲なのだと、とある文房具を愛でる人達のフェイスブックの会で思い知らされたのも良いきっかけだった。人が買ったら欲しい、あの人が持っているのが良さそうだ。欲はとどまることを知らない。
そうやって、ものを所有することのエネルギーもそれによって放散されるエネルギー(お金も含めて)にも気がつかず、モノや思い出に埋もれてしまうのかもしれない。テレビで見るようなゴミ屋敷と何が違うのだろう。愛でるものの違いでしかないのではなかろうか。いくら自分が大事にしていても、その価値がない人にとってはゴミも同然、なのだ。
ものを買う時のワクワクと楽しく幸せな感覚を使い続けても持ち続けられる商品というのは実はあまり多くないのかもしれない。だけれど、そういうこちらのだけを身の回りに置いておければ、人の関心や流行やディスプレイに惑わされて自分の他に使うエネルギーを使わなければ、誰かの手をわずらわせたり、モノたちが不本意な最後を迎えることもないのではないかしら。
思い出は心の中に。長く愛せるモノをできるだけミニマムに循環させながら暮らしたい。
私の遺品を整理する誰かにはあまり煩わせないようにと、今から考えていたりする。
もう、基本的に自分のものは最低限で、手放しのフェーズに入っていいのではないかしらと思っている。
モノは経験をサポートするための道具でしかない。それなのに経験の目的が道具を揃えることとなってしまうのは、ある意味豊かになりすぎた結果なのかもしれない。
年齢を重ねていくと、どんどんと経験に対する制限を感じるから人はモノに走るのかもしれない。
ご主人が亡くなって、自分が癌に侵されていると知った、ノルマさんは息子さんご夫婦とワンちゃんと一緒にキャンピングカーで旅に出た。彼女たちのFacebookページをずっとフォローしているのだけれど、彼女の笑顔や表情を見れば、経験することの素晴らしさが本当によくわかる。死ぬまでに見たい景色を体験しに。その体験が彼女をどんどん元気にし、今も彼女は経験を重ねている。
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今までの人生、好き勝手もしてきたけれど、恩返しをしないととか、働いていないと後ろめたいような気持ちがつよくて、いろいろな経験をしないようにして過ごしてきた気がするから、これからは見たいものを見て、経験するために残りの時間をすごそう、そう決めている。