言い方の問題かもしれないけれど、最近は「引き寄せ」が大流行りな感じ。
「なりたい自分」も「お金」も「恋人」も。
「引き寄せる」という言い方だから「ハウツー」ものになるし、グッズが売れる。(別に否定してるんじゃなくて、分析です)
前にも書いたけれどスピリチュアルなことにしてもなににしても「事象」は同じで「解釈」の仕方の違いなのだ。だけれど「引き寄せる」という言葉を使うだけで思考が停止して、その方法を聞きたくなるのだから、やっぱりみんな自分の経験値を通して考えるよりも出来合いの解釈がコンビニエンスなのだなぁと思う。
じゃぁ、どんな「事象」または「行動」をして「引き寄せた」と行動する人自身が解釈するのだろうかと思う。何かの行動をした結果、望むべき結果が得られた、またはそのきっかけになる事柄が起こった。っていうことだろうと思う。
その「事象」とか「行動」が「引き寄せる」というのは何を根拠に引き寄せるのかというと「良い行い」であったり「周りや自身が喜ぶこと」。
平たくいうと「あったり前」なことなのだけれど、私自身も含めてそう言う話が好きだ。(そう、私も基本的に好き)
ただ、あまりにも単純化されているし、同じ論法しか続かないので正直飽きる。体験談とかもそんなに変わらないしね。そうなの。この辺り、宗教に人々が求めたり、最近のお坊さんたちがFacebookとかでやっていることとあんまり変わらない。
いつも思っていることは真理というのはたった一つでその説明の方法が違うだけだからどれが自分にフィットするか、ということだけなのだということ。自分の脳みそとか理解力とか知的水準とか感情とかに何がマッチするのかということ。
俯瞰してみたらどれも変わらない。
とはいえ、なのです。
じゃぁ、神の存在とか宇宙の存在は?とか、自分に彼氏ができたわけは?急に金回りがよくなった訳は?仕事がうまくいかない理由は?
「引き寄せ」とか一つの宗教だとあらゆる事象への普遍性がない気がする。だから無理くり解釈する。
神様や宇宙を感じるのにそんなフィルターは何の役に立つのだろう?説明できないことができたときに、考える能力はいつ養うの?
説明できないことが起きたら、解釈が間違えてた、って思うはずだもの。少なくとも私はそう思ってた。
ちゃんとアンテナがたっていれば、その方法論で説明できないことですら、確信に変わることがある。それは自分がずっと直接対話してきたからこその経験値なんだよね。
なんとかコンサルトかもそう。私みたいに隙間な仕事なのに、方法論も経験値も人と違っていて、大局をみながら仕事をしたり生きていると全く話が噛み合ず「??」って感じで3分で失敗したなぁって思う。そう思っているのはコンサル側で、私はそこにそぐわない自分にだめだししてた頃があった。
そんな経験がいくつも重なると、方法論って何なんだろうなぁって思うに至る。
そのメソッドにはまらないことは間違いなのか、例外なのか。でもそれだって真理の一端かもしれないのに?当てはめることが目的になったら、本末転倒じゃないかしら。
引きよせっていわなくても、自らの心身を浄化して良くなってる人もいるし、他人のふんどしを「再解釈」して「引きよせている」ということもあるだろう。
いずれにせよ。
その中で「本質」だと自分が思うものを「方法論」によらずにつかめばいいことなのだろうと思う。運命の人でもお金でも仕事でも。
そのために自分が磨くべきものは、パワーストーンだけじゃないはず。