郵便局。

2014-05-02 16.29.21

小さい頃からお手紙が好きだった。

お手紙を書くのももらうのも。

子供の頃住んでいたお家の小さな赤いポストを何度も何度ものぞいたし、
郵便局のおじさんのバイクの音まで聞き分けられるぐらいの子供だった。

郵便が好きなのか手紙が好きなのか、その頃はわからなかったけれど。

この国に学生時代にきて、近所と学校以外で最初に親しくなったのも郵便局の配達員のおじさんだった。

おおよそ文明的なものからかけ離れた世界で、彼のもってきてくれる手紙や小さな荷物こそが、私のささやかな楽しみだった。

とはいえ、そのころの郵便事情はお世辞にも良くなかったから、送ってくれた手紙だってどれだけ届かなかったかわからない。

それでも、家で何もしていないときは店の前のベンチに座ってぼんやりとおじさんが来るのを待ったものだった。

そう言う訳で子供の頃から郵便が好きなせいか、郵便局に行くとなんだかわくわくする。

何万通もの思いが乗った物だとか手紙が世界中に行くと思うとなんだかたまらなく楽しい気分になる。

楽しい気分でいくからなのか、だいたい郵便局には顔見知りになった仲のいい局員が数人いる。ちょっと世間話をしてみたり、なんだかいろいろ。日本にいると郵便局の代わりにクロネコヤマトの配達のおじさんやお兄さんと仲良しだったけれど。

私がはじめにこの国に来た頃はインターネットなんかもなかったし、どこでも国際電話がかけられた訳じゃなかったから、そういう大層な用事のときにはこの写真の中央郵便局にこないといけなかった。

この天井が高い、古き良きこの国の西洋建築の名残を残した建物は昨年までは通常業務に使われていたけれど、今はそのほんの端っこだけを改装して業務に使っている。

改装が終わると大層な飾りもついちゃったからちょっと感じが変わったけれど、中はあまり手を入れていなくて、おしゃれな窓飾りだとかもそのままに今の業務しているところからもみることができる。

誰かと話したかったり、気持ちを伝えたかったりという意味では古い郵便局には大きな古い駅がもっているようなセンチメンタルな感じがあるような気がする。駅は実際に自分がどこかへ行ったり、相手が帰っていったりするためだから余計センチメンタルだけれど、「物」や「手紙」に思いを託す雰囲気と、駅よりもシステマチックにハンコをばんばん押す音だとか、荷物をがちゃがちゃと積み込む様子が駅とは違った旅情的なものをかき立ててくれる。古い郵便局ってそう言うざわめきをもっていて。

今みたいにあっという間に誰かとつながれる時代、それはスピーディーだし確かだし。とても有り難いんだけれど、古いこの大きな郵便局に来ると、「どうかこれが無事に届きますように」そんな気持ちで投函した、届いたかも返事が来るかもわからないでいた気持ちをふと思い出していた。

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