いいところを見つけることと。

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映画をよく見るようになったのは、淀川長治さんがなくなってから。今思うともったいないことをしたのかもしれない。でもまぁ、評論は評論だから。自分の感性でどう見るかが大事とはいえ、彼がどう表現していたのか聞きたかったなと思う。

ちょうどふと手元に落ちてきたように、横尾忠則さんの対談集を土砂降りの午後手に取った。いや、正確には数週間、表紙を眺めていたのだけれど今日、活字を読みだした。満月の日にちょうどいい内容。(謎)文字を読んでいて手がビリビリしない(本だから)のはいい。

その対談集の最初の相手が淀川長治さんだ。二人とも兵庫県出身で共通点が多い。編集の力もあるのだろうけれど淀川さんの飛んでる具合が素晴らしい。あんまり人の話聞かないけれど、相手や物事のことを言語じゃない情報で手にたくさん入れる人。

お二人の会話があまりにもシャーマニックなのがおかしい。

息を吸うようにあの世だとか無意識の世界や魂のことを語れる人をあまり知らない。私はパートナーに出会って初めて、思考がこんなにつながって、近しいスタンドポイントでものを見ている人も世の中にいるのだと驚愕し、また安心した。この対談集も多分そういう一冊なのかもしれない。

閑話休題

そういう部分ではなく、淀川さんの言葉に思い起こさせてもらったこと。

私が教育をしていく中でずっと大切にしていたことだし、生きる上でも大事にしていたことをサラリと彼は冒頭で話していた。人のいいところを真っ先に見つけてそれを伝えるということ。どこかホメようがあるのだという点。笑 例えば、見目も態度も悪くても、立ち方が良かったとか、座り方が良かったとか、ね。ちょっと立ち位置は違うけれど、すごくよくわかる。だけれど、その一方で美しくなかったり、あからさまに手を抜いていたり、愛情がこもっていないとかいう、自分が譲れない何かには決して引かない。

きちんと私はそういう人でいるかしら。
心が荒んで、できていないことはないかしら。
そんな風にはっと思ったのでした。

優しい目線と言葉にある凛とした物腰。