名前の大切さ。

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安岡正篤にこのような言葉がある。

名前をつけるということは大事だ。
だから、名前はおろそかにしてはいけないので「命名」と言う。
「命」と言う字は絶対的という意味でいのちという。
だから非常な意味をもって付ける。

自分の名前は自分で付けていないけれど、結果的にこの名前で良かったのかなぁと思う。
サブの名前は母が付けようと思っていた蕗子かな。路という字が入っているのが好き。路のようにまっすぐと筋の通った植物という意味。

座右の銘で「いたりうべしやそは我知らず、歩み歩みいく、この遠心」という佐佐木信綱の短歌を良く思っていたけれど、蕗子という名前はここに通じる気がしている。

結局、できないでいたけれど、この国である名前の会社を作りたかった。思い入れがありすぎて結局登記できなかったという笑い話付きだけれど。
はじめに作った会社は人に名前をもらってつけた名前だったし、とにかく、自分の思いを込めてつけようと、辞書をひき引き探し当てたある名前。

神様の乗り物、という意味。

数年前、あることをきっかけにいかにして自分の意志を超越して世界や社会のためにいけるのだろうと考え始めたときに、自分という存在をどういう風に認識して高めていけばいいのだろうか、と考えた。

神様でも宇宙の大きな存在でもいいけれど、いずれにせよその意思なり方向性を具現化するためには道具がいるだろう。そのいい道具になりたい、という思いから、神様が安心して乗れるような乗り物に自分を高めていこうと思った訳で。

それと同じ意味を持つ名前の会社こそが、大きな意思を実現させられるのかもしれない、と思っていて。

結局その会社はできなかったけれど、その志は変わらず私の心の中にあって。

まっすぐと道をあるく。少しでも神様のいい道具となるように自らを高めながら。

何をするべきかは「カミサマノイウトオリ」で、ただただ入れ物としての自分を磨く。

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