語るべきこと。

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小さい頃からおしゃべりだったのではないかと思う。

なんだかわからないけれど伝えたい思いや、理解して欲しいものがあって、それが書くという情熱や言葉にまつわる仕事に私を押し出していったように今は思える。

もう何ヶ月も集中して、今まで仕事にしていた言葉でない言語を独学で学んでいるけれど、どうしても今一歩身に入らない。本業の仕事ですら、なんだか足踏みしてしまって、仕事を断る基準値が随分上がって行っている気がする。

その一方で、読む、見る、考えるということに対してはオープンマインドだし、自由でいられる。多岐な内容のものをたくさん並行して読んだり、時間があると電子書籍が入っているiPhoneが手放せない。ガジェットオタクだった頃とは全く違う、iPhoneの愛用方法。これはこれでいい気もする。

 

自分の中にあって、なにより大事にしていた言葉というとっておきの糸を紡ぐための紡ぎ車がうまく回らない。紡ぐ機械がうまく回らないから、糸である言葉はなかなか出なくなる。

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「眠れる森の美女」はディズニーのアニメで好きな部類に入るのは、オーロラ姫が嫌な人じゃなかったかもしれない。そのオーロラ姫は、魔法にかかった紡ぎ針を刺してしまい、百年の眠りに落ちてしまう。

順風満帆なところで突然の悪意がオーロラ姫を襲い、それに抗うすべもなく、深い眠りに落ちてしまう、オーロラ姫。

でもそれは「死」ではなかったのが幸い。彼女を心から大事に思う人により彼女は永遠の眠りから覚めるわけだから、それが今このブログに無理くり言葉を紡いでいる私にも希望をもたせてくれる。

これは眠りであって死ではないということ。
言葉に対する思いと何かを綴るという気持ちは眠りこそすれ死んではいないのであれば、いつか行きを吹き返す時がくるはず。

多くの敵を倒し、オーロラ姫を救うために現れる王子様を今は気長に待つ時なのかもしれない。

とロマンティックすぎる言い訳かもしれないけれど、無力で何もできない自分を許してやるにはそういう演出も必要だということにしておこう。

眠れる森の美女は、アニメだけではなくて、バレエの題目としても有名。ストーリーをおさらいしたい方はこちら