鶏がきんと高い音でコケコッコーッと鳴き出す。うちには闘鶏が何羽もいたから、それが明け方まだ暗いうちから鳴き出す。
まだくらい窓の向こうからは、2キロほど先にあるお寺の読経がスピーカーから流されているのが聞こえてくる。
隣の部屋から『ハァー』というため息とも痛みを我慢しているとも取れない母の声が聞こえると、階下におりていく音がする。
がらがらと店のシャッターがあげられる。
ウォーイ、という誰かを呼ぶ声が聞こえ出すと、もう外はだいぶ明るくなり始めている。
ピンク色の蚊帳の上にはチンチョ(ヤモリ)の糞がたくさん今日も乗っかっている。それをベッドの上に落とさないように蚊帳を外して身繕いをして階下におりる。
二階建ての二階はチーク材だけれど、ほうきで掃いていると床の隙間から光だけでなく、階下に置かれている商品まで見える。最初はどうしたものかと思ったけれど、少し経てば何とも思わず、そのまま掃いてベランダから階下に落とす。
ベランダに立つとまだ涼しさが感じられ、家の前の通りを知り合いが通りがかる。『ウォーイ』と声がするので、そちらに目をやってにやりと笑うと、眉とあごだけをきゅっとあげて、応答する。
市場に買い出しに出る日には、山ほどの荷物が朝から届けられる。母がぐちゃぐちゃになっているバーツ紙幣を無造作につかんで、ざるにひもをつけて引き上げるだけの簡易式レジにお金を戻す。
そのごたごたにまぎれて、奥の部屋からばあさんが出て来てラオカオという焼酎のようなものの量り売りのふたのあいたのから一杯くすねている。
運転手で一緒に出かけるのクー(叔父)が私を見つけるなり、満面の笑顔で『ご飯食べたか?』とたずねる。
彼はいつだって私にやさしくて、タイ語でいつも会話しているのに、ご飯を食べたかと聞く時はスプーンで何かを書き込むようなジェスチャーをする。
山積みにされた商品をストックしたり並べたりする。
子供たちは早速お菓子の袋をあけて食べだしたりする。店をやっている子供の特権。
10時頃になると、氷屋がくる。何でもスローなこの国で、彼らの仕事はいつも迅速だった。
1貫目だと軽すぎるし、正確に何キロだったかわからないけれど、青年が肩に担いで小走りで大きな氷の固まりを店の前にどさりと置いて、走って車に戻る。
私が最初にできるようになった店の手伝いはこれを10等分にしてアルミの長持ちに入れることだった。さびた大きな糸鋸のようなものでぎりぎりとやる。だいたい割れそうなところまでいくと、近くにある木槌とこれまたさびきったナイフを差し込んでかんかんと叩いて割る。最初はずいぶん手こずった。ゆっくりしているとこの国の温度でどんどん溶ける。
そうやって私がぎりぎりと割った氷は店の脇でお酒を飲む近所の人たちに出されたり、さらに細かく砕かれて袋に入れられて、なみなみと炭酸飲料を注いでそのビニール袋の端にくるくると輪ゴムをつけてストローを差し込み、5バーツだった。
ここまで終わると、朝一段落したな、と思うのだった。