より高みに引き上げる作業

October-30-2012-02-09-41-aaa

この国に初めて長く住み始めた若かりし頃、店をやっていた家に人の出入りが減る午後と夕方の間、あたりがしーんとする時間帯に店の入り口脇にあるベンチに寝転がって、犬の目線で物を見ていた。「お前何やってんの?」と偶然それを見かけた近所の友達に笑われたりもしましたが。

ちょうどこの家にいた犬とベンチの高さの目線が同じだったので気がついて。ついつい(笑)
なので、ずいぶん見かけなくなりましたが、タイルばりのいすとテーブルセットを見るとその頃を思い出します。

社会だとかビジネスの構造は大きくいくつかのタイプに分けられる、その一つに『松竹梅構造』があると思う。松のレベルの優良顧客、難しい内容を竹・梅とだんだん値段と内容を落としてターゲットを変えている。松の人は梅のターゲットを狙わないし、梅の顧客は松の潜在顧客になりうるので、梅レベルをターゲットにしている人が松の理論を応用したって松の人はあまりうるさくいわない。

ビジネスの場合は、だいたい松から梅へとトップダウンして行くのかなぁと思います。

顧客はそこで仲間を作り、その仲間のグループで消費しあうというシステム。

それでビジネスや生活が成立するのであればそれでいいのだろう、とも思います。
効率のいい稼ぎ方だろうし。

お互いの顧客がこちらの顧客にもなりうるのですから。

似たり寄ったりのサービスの中で【誰からそのサービスを購入するのか】という、日本で今一番大切にされているマーケティングは結局ここに終着していったのだろうとおもいます。

構造が分析できてしまうと、なんだか数式を解いたみたいな気分になって、関心はなくなってしまうのですが。

同じ目線での食いあい(少し言葉が悪いですが)がいくつかの層になっていても、それはシャッフルされることもなく、その層が入れ替わることもない。目線はいつも同じママなのです。(ターゲットってそういうことだから)

そういうのを超越できることって、不可能なのか。
みんなそういうカテゴリーの層に入らないといけないのかと言うとそうでもないはずで。

全く新しい概念を持って突き抜けちゃえばいいんでしょう。
でもそこにマーケットはないから一からのチャレンジ。
マーケットを作ると結局またその下に層ができるのかもしれません。

人間のお財布にも理解にも差があるのだから層をなす、というのはある種自然な流れなのです。

自分がどこにある層に位置していて、何を目指しているのか、最終的な目的や意思がない限り、結局鉢の中で泳ぐ金魚みたいに同じ種類の金魚の中で一緒に泳いでいるだけなきがします。それでも毎日は過ぎるし、目新しいこともあるんだろうから。

ディズニーの映画?【ニモ】でしたっけ?飼われている熱帯魚が海を目指すというような姿勢がないと人生での高みを目指せないよねって思ったりしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください