母が亡くなってから、彼女のことを良く考えたり思い出すようになった。
自分の中にある彼女との共通点がいろんなことにつながるから。
過去のことを記録していくとどうしても暗い話が多いんだけれど、イメージだけはいつも自由だったように思う。
母は時代的な背景もあって少し大変な人生を過ごして来た人だったけれど、芯の強い明るい人だった。子供に与えるものはセンスが良かったし、教育的な配慮が行き届いていたと思う。
彼女に抱きしめてもらったりした記憶はないけれど、しっかりと躾けてもらったことには本当に感謝をしている。スキンシップは希薄だったかもしれないけれど、私たち年子の姉妹を連れ歩くのに乗れない自転車をずいぶん苦労して乗るようになったらしい。
私たちが自分で自転車に乗れるようになると、三人で買い物に少し離れたスーパーに自転車で行ったものだ。そのときに当時母がものすごく好きだった「赤毛のアン」というアニメの挿入歌にでてくるような花が散り咲く並木道があって、彼女のお気に入りだった。「赤毛のアンの道を通って買い物行こう」とよくいったものだ。
年子の私たちの自己主張が激しくなるまではいつもお揃いの服がお出かけ着だったのも、彼女のクラシカルだったりドレッシーなものが好きなところに通じるのかもしれない。
彼女はお芝居やお笑いなども好きな人でそのあたりは私よりも妹の方が話があったのだけれど、映画の趣味だけは同じだった。ヨーロッパの中世の歴史もの、ひらひらのドレスで舞踏会をするシーンがあるようなものは一緒に見ていた気がする。『恋に落ちたシェイクスピア』『マリーアントワネット』だとかヨーロッパじゃないけれど『風と共に去りぬ』とか日本映画よりも洋画を好んでいたのも父とは全くそのあたりの趣味が違うので彼女のもって生まれた嗜好だろうなぁと思う。でも小説で外国ものは読まなかったから、きっとあのきらびやかさだとか外国の雰囲気が好きだったのだろう、と思う。
私が外国に行きたい、と言い出したときのキーワードも「赤毛のアン」だった。アンが住む「グリーンゲイブルズ」のような家に住むんだと思ったものだ。現実はずいぶん違ったけれど(笑)英語を小学校から習いにいきたいといったのも留学も賛成して行かせてくれたのは、子供のためもあったろうけれど彼女の行きたくて行けない世界への足がかりだとも思ってくれていたのかもしれない。
彼女の年頃の女性にとって美しいドレスや外国語程、女心をかき立てるものはなかったのだろう、と思う。
数年前から自分の美的感覚をもっと絞り込もうと思って、気に入った写真を保存するようになってあることに気がついた。ウェディングドレスの写真が多い。着ることはもうないだろうし、着たい訳でもないのに、あの美しさに見惚れてしまうのだ。これって、ひらひらドレスの舞踏会映画好きだった影響?と思うようになって来た。
この国にいるから、この国の言葉でご飯を食べているからもっと勉強しないといけない、というしがらみを外して世界を見渡すと、自分がわくわくしたり、見てみたい世界がどこなのかが素直に心に届く。ものすごいフィルターをかけていたのね、と自分でも驚くけれど。
私にとって最初に触れた外国語は英語だったし、生活のために変な縛りをつけてこの国の言葉ばかりに執着していたけれど、それがなかったら?
そう考えると、わくわくしたり、自分が話して楽しい言葉があるのかもしれないという思いに駆られる。楽しい言葉っていうよりもいることがより楽しい世界、と言い換えた方がいいのかもしれない。
過去の思い込みでずいぶん片方の足に重心をかけて生きて来たけれど、「赤毛のアン」のアンだってものすごい想像力で幸せを手にした。
想像力なら私も多少なりともあるつもりなので、それを活かして未来を作り上げていく。今その途中にある感じ。
どんどんそうやって自由になっていくのかも。過去から。