
遅くなりました
もう1月が終わるというのにようやくお年始ブログを書いています。
というのもですね、バンコクで書こうとしましたら、WPにどうやっても入れないという事象が起こりまして、どうにかしようと思っている間にあっという間に時間が過ぎて、でもありがたいことに普通に入れるようになりました。
で、冒頭にも少し書いた通り、すごく久しぶりに年末年始にバンコクに帰ってきました。「変わっているよ」と言われてドキドキしながら行きましたが、うまく「変わっていない」ところをホッピングして、自分が快適だったところを縫うようにたどる旅になりました。
2024年のこと
去年はようやくタイムウェーバーの認定講師にもなれて、波動機器を使って自身と対話し、さまざまな情報フィールドについての学びを深め、クライアントさんの不調や想いに寄り添い始められた年でした。
数をこなしていくことで、量子の世界、波動の世界、そしてクライアントさんの思いとの距離感やタイミングを少しずつ身につけていくようになっていけたのはよかったです。
取り調べ通訳と違う、クライアントさんとの付き合い方が何より印象的というか心に蟠りがなくまっすぐにクライアントさんの幸せを願えるのがいいなとおもいます。
そんなことをやりながら、10月には自主管理セミナーで量子の世界をケアしながら自分の健康を追求するための考え方を講演することができ、さらにその内容をKindleで出版しました。
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準備運動もしないままに、走り出しているような1年でした。「備えよ常に」の私がなんとなくまたビジネスの世界に帰るなんて準備不足のまま走り出すなんてよくやったなという感じですが、結果的に何をするべきか、全体像も含めたビジネスのロックを外す時間でもあったように思います。
私は大丈夫なのか
本当はお年始にもっと言いたいことがあって考えていたのですが、書くタイミングを逸してちょっと抜けてしまったところがあるので、ずっと心に蟠っていることを書こうと思います。
数年前に、自分の人生にとってとても大切な存在の方と再会することがありました。世界を変えると思っていたその方は、一流企業でお勤めで幸せにご家族ができていらっしゃいました。ちょっと意外だったんです。でもお幸せそうで良かったとしみじみしました。
楽しかった会食の帰り際、私のことを心配してくださって「君は大丈夫なの?」ときかれました。
「大丈夫ですよ」と答えましたが、「どうしてそんなこと尋ねるのだろう」と少しショックを受けました。大丈夫に見えなかったんでしょうね。笑 確かに一流企業にお勤めで、学生時代の恋愛を成就させて安定した生活を送っていらっしゃる方にとっては、私の生活や人生なんて、外から見たら確かに綱渡りにしかみえない、しかも離婚して一人だし。笑 お前大丈夫なんか?と言いたくなるのも今はよくわかります。
でもその時の問いに慟哭したのは、きっと自分の中にある「私は大丈夫なのか」という問いとしっかり重なってしまったからだろうと思います。
私は今の社会のシステムの中では確かに小さな石ころのような存在だと思います。存在していないに等しいような。だからきっと、心配してくださったのでしょう「君は大丈夫なの?」と。
危なっかしい人生
前の事業を始めた頃から、悩みながら、基本的に自分で考えて自分で決めて生きてきました。嫌な仕事を蹴っ飛ばすことも、頑張りすぎて体を壊したことも全て自分の選択の中で生きてきました。目の前の仕事が全部飛んでしまって持ち出したお金も戻ってこない、なんてこともあったな、なんて50を過ぎればもう全部笑い話です。
タイで一人でずっと暮らしている時、このまま年老いていくことに不安を感じた時期がありました。いざとなれば尼さん(メーチー)になろうとも思っていましたが、ああなったらどうしよう、という不安がたくさんあった時期がありました。生きる活力と不安っていうのはどうしても表裏一体な時もあり、順調だからこそこの体制が崩れたらどうやってリカバリーできるんだろうと心配になったりすることもありました。
海外で生きていると、日本以上に不可抗力が多いなと感じながら毎日を過ごしていたように思います。政治的な動きだったり、社会的な影響。今の日本もそうかもしれませんが、やはり生まれた国って「勝手がわかる」と言いましょうか、開放感はなくても抜け道が見つけやすい、とこの国に帰ってきて思いました。

これはバイタクでもバンコクでもないのですが
当時、バイクタクシーに乗って、出かけることが多かったんですよね。生徒さんには乗らないようにと言いつつ、私にとって信頼できる乗り物がバイタクだったのですよね。知らない薬物中毒かもしれない人の運転するタクシーや時間が読めないバスよりも、信頼できる運転でどこに行けば会えるかわかっている、約束を守るかどうかなどのチェックを通った人にお願いするのが独り身の一番安心でした。
でもね、身一つでヒールにタイトスカートで横坐りして車の横をすり抜けていくんです。アスファルトは熱くて、日差しはきつい。排気ガスもモワモワしている中で走っていると、ふと何かのことで落っこちたりすると後ろの車に踏みつけられて・・・(以下自粛)とかイメージしているのです。怖いわけではないけれど、周りは危険に満ちていて、そこに落ちる可能性はあるのだけれど、よく生きてるな、サバイブしたね。と思いながら80バーツぐらい払って約束の場所にたどり着く。
自分の人生はまるでバイクタクシーでバンコクの街中を疾走しているようなものなんだな、と思っていました。そういう意味でもしかしたら、バイクタクシーが好きだったのかもしれません。
世の中には危険な男が好きという女性が一定数いらっしゃるようですが、私は自分が危なっかしいことをするタチだからあまり危険な人に魅力を感じてこなかったのかもしれません。でもそれってまぁ確かに「大丈夫か?」と言われると本音を言えば、「どうでしょうね」と苦笑してしまうような感じだったかもしれません。
心の中で問い続ける
それからプノンペンで暮らし、ビジネスも表からは姿を消しつつ日本に帰国して、裏方を続けながら、それでもやっぱり取れない棘のように「大丈夫なのか、私」を問い続けていたように思います。大丈夫なのかと問われたことを思い出すのですね。だからこそあれこれやったんだと思います。自分の「大丈夫」を探す道のりとして。
自分の事業をしないで裏方をするというのは性格的にとても合っていました。心置きなく仕事に集中できて、対面が必要なところは理事長が「俺に任せておけ」と言ってくださるのは対人恐怖症だった自分にとって本当にありがたく、どれだけ感謝してもしきれないなとおもいます。そうやって、自分で事業をしていた時代の傷を癒しながら、地域1番の集客を誇りつつ、ビジネスやビジネスに関係する学びを深めることができる環境も理事長との信頼関係の上に成り立っていてできたことだと思っています。事業に良いと思うものを好きに学び、事業のサポートも先生の方針にだけ従いつつディテールは自分で決められてよかったなと思います。
こういう環境でなければ、今のような事業を展開するような素地など全く生まれなかったと思います。ここに至る全ての構想は先生との対話や様々な経験、知見に基づいているのですから先生との出会いはプレシャスとしか言いようがありません。
2025年がはじまって。
2024年、12月ごろからいろいろなことが形を帯び始め、1月を計画とビジョン構築に費やしました。ちょうど、Timewaverでかなり大きな変化の調整をしていたところだったので、相互作用でとても充実した、清廉で穏やかな時間を年末のバンコクから過ごすことができました。
私は自分が「あかんたれのきにしぃ」(注:ダメなおバカでなんでもくよくよ気にする)というラベルをつけて生きてきたなと思います。もちろんそう考えるようになる様々な経験やカルマがあるのですが、まぁそう思ってきました。調整のおかげでそれが少し外れてきている感じがあります。

エラワン祠をはじめ多くの寺院で蝋燭とお線香を炊かなくなった(でも買うけど)。そのおかげでエラワンの祠の花輪に雀が飛んできて止まっているという見たこともないような光景を目にすることができました。
そうすると、いろいろなことが軽やかになってきています。本当に久しぶりに自分の計画というか、目標をしっかりと見据えて事業のサポート以外の新規事業にも踏み出す算段ができました。昨年うまくいかなかったことは全て、「それをはじめたら2025年に支障が出る」ことばかりだったなと今にして思えば思います。時空間を超越している量子世界に生きればこそですね。
そうして、旧正月を過ぎてウキウキとスタートした2025年。溢れるようにアイディアが流れ出しつつ、それが美しい調和を持って準備しているビジネスに深みを与えて、コミットメントやミッションをより比類ないものにして、ビジネスパートナーさんたちが一様に「人様のお役に立ちまくって、結果ビジネスを成功させたい」という意識の方なのも素晴らしく、お互いを認め合いながら自分の役割を果たし合うという関係で普通におしゃべりするだけでも勉強になったり楽しいというありがたい環境です。
周りの方に支えられ、愛して尊敬してやまないパートナーがいて、明るい未来を見据えられていられるおかげで、2025年は今まで会ったことがないけれど、私ってこういう人だったのかもというような自分に出会えるような気がしています。
だからでしょうか、心がとっても楽だし、静謐だし、穏やかなのです。
だからね、「あなた大丈夫よ」って言ってあげていいんじゃないかな、と思っています。そろそろ、自分に。
「またそんなん、大丈夫なん?」って、目を釣り上げながら小姑よろしく、チェックしていた内側の自分にお役御免を言い渡してもいいような。
そうしたら、開いた扉の先からどんどん明るい未来が手招きする方にいけるように思っています。
2025年も凛と美しく、エレガントな生き様を貫きながら、今までよりももう少しダイレクトに皆様のお役に立てるように、自分という器を使って参りたいなと思っています。それでも基本は今まで通り「かみさまのいうとおり」「惜しみなく」。そこは変わらず。
今年もよろしくお願いいたします。
愛をこめて。Meaw