より高みに引き上げる作業

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この国に初めて長く住み始めた若かりし頃、店をやっていた家に人の出入りが減る午後と夕方の間、あたりがしーんとする時間帯に店の入り口脇にあるベンチに寝転がって、犬の目線で物を見ていた。「お前何やってんの?」と偶然それを見かけた近所の友達に笑われたりもしましたが。

ちょうどこの家にいた犬とベンチの高さの目線が同じだったので気がついて。ついつい(笑)
なので、ずいぶん見かけなくなりましたが、タイルばりのいすとテーブルセットを見るとその頃を思い出します。

社会だとかビジネスの構造は大きくいくつかのタイプに分けられる、その一つに『松竹梅構造』があると思う。松のレベルの優良顧客、難しい内容を竹・梅とだんだん値段と内容を落としてターゲットを変えている。松の人は梅のターゲットを狙わないし、梅の顧客は松の潜在顧客になりうるので、梅レベルをターゲットにしている人が松の理論を応用したって松の人はあまりうるさくいわない。

ビジネスの場合は、だいたい松から梅へとトップダウンして行くのかなぁと思います。

顧客はそこで仲間を作り、その仲間のグループで消費しあうというシステム。

それでビジネスや生活が成立するのであればそれでいいのだろう、とも思います。
効率のいい稼ぎ方だろうし。

お互いの顧客がこちらの顧客にもなりうるのですから。

似たり寄ったりのサービスの中で【誰からそのサービスを購入するのか】という、日本で今一番大切にされているマーケティングは結局ここに終着していったのだろうとおもいます。

構造が分析できてしまうと、なんだか数式を解いたみたいな気分になって、関心はなくなってしまうのですが。

同じ目線での食いあい(少し言葉が悪いですが)がいくつかの層になっていても、それはシャッフルされることもなく、その層が入れ替わることもない。目線はいつも同じママなのです。(ターゲットってそういうことだから)

そういうのを超越できることって、不可能なのか。
みんなそういうカテゴリーの層に入らないといけないのかと言うとそうでもないはずで。

全く新しい概念を持って突き抜けちゃえばいいんでしょう。
でもそこにマーケットはないから一からのチャレンジ。
マーケットを作ると結局またその下に層ができるのかもしれません。

人間のお財布にも理解にも差があるのだから層をなす、というのはある種自然な流れなのです。

自分がどこにある層に位置していて、何を目指しているのか、最終的な目的や意思がない限り、結局鉢の中で泳ぐ金魚みたいに同じ種類の金魚の中で一緒に泳いでいるだけなきがします。それでも毎日は過ぎるし、目新しいこともあるんだろうから。

ディズニーの映画?【ニモ】でしたっけ?飼われている熱帯魚が海を目指すというような姿勢がないと人生での高みを目指せないよねって思ったりしています。

名前の大切さ。

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安岡正篤にこのような言葉がある。

名前をつけるということは大事だ。
だから、名前はおろそかにしてはいけないので「命名」と言う。
「命」と言う字は絶対的という意味でいのちという。
だから非常な意味をもって付ける。

自分の名前は自分で付けていないけれど、結果的にこの名前で良かったのかなぁと思う。
サブの名前は母が付けようと思っていた蕗子かな。路という字が入っているのが好き。路のようにまっすぐと筋の通った植物という意味。

座右の銘で「いたりうべしやそは我知らず、歩み歩みいく、この遠心」という佐佐木信綱の短歌を良く思っていたけれど、蕗子という名前はここに通じる気がしている。

結局、できないでいたけれど、この国である名前の会社を作りたかった。思い入れがありすぎて結局登記できなかったという笑い話付きだけれど。
はじめに作った会社は人に名前をもらってつけた名前だったし、とにかく、自分の思いを込めてつけようと、辞書をひき引き探し当てたある名前。

神様の乗り物、という意味。

数年前、あることをきっかけにいかにして自分の意志を超越して世界や社会のためにいけるのだろうと考え始めたときに、自分という存在をどういう風に認識して高めていけばいいのだろうか、と考えた。

神様でも宇宙の大きな存在でもいいけれど、いずれにせよその意思なり方向性を具現化するためには道具がいるだろう。そのいい道具になりたい、という思いから、神様が安心して乗れるような乗り物に自分を高めていこうと思った訳で。

それと同じ意味を持つ名前の会社こそが、大きな意思を実現させられるのかもしれない、と思っていて。

結局その会社はできなかったけれど、その志は変わらず私の心の中にあって。

まっすぐと道をあるく。少しでも神様のいい道具となるように自らを高めながら。

何をするべきかは「カミサマノイウトオリ」で、ただただ入れ物としての自分を磨く。

力を抜くということ。

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自分を思い通りに動かす、と言うことについて前回はここ最近の気付きを書きながら、切っても切れない要素があるのを思い出したのであわせて書いておこうと思います。

武道を始める前からよく【力を抜きなさい】と言われることがあって。
マッサージに行ったりすると、「どうしてこんなに張ってるの?力はいり過ぎじゃない」とか言われることもよくある。

もともと緊張しやすい性格だからどうしても無意識に身体に力が入ってしまうのだ。

仕事柄、人の出す声を良く聞いているけれど、声だって同じで口の動きを意識すると知らないうちに喉に力が入っていたりする。これだって昨日のテーマである「自分を思い通りに動かす」という作業の一貫ととらえればまた違うアプローチがあるはず。

力が勝手に入るのも自分を思い通りに動かせないことも原因は同じで方向性だけが逆なのだろうと思う。入れようと思っていないところに力が入り、動かそうと思っているところが動かない。

自分の身体すら、ままならないという前提に立てば物事はもっとおおらかにやさしく見ていられるのかもしれない、とも思う。

とはいえ。
できないままでいるなんて許せない(笑)から、当然試行錯誤を繰り返している途中。
「軸をしっかり」というのは「力を抜く」ということと対でアドバイスされる。全部の力を抜いてはただ崩れ落ちてしまうので、軸をしっかり立ててほかの力は抜くということ。

まっすぐ立っていようが座っていようが、打ち合わせしていようが、武道の型をしていようが。軸だけはしっかりと。

身体を動かしているときの力の抜き具合は何とも言えないけれど(まだかなり練習する必要があるかも)、それ以外で力が抜けてきたように思う。

そうすると自然と肚が据わるし、肩こりも改善されている気もしなくもない。何より穏やかになり、思考も広がりやすくなった。こういうことの積み重ねで身体と心や魂が密接に関係していると改めて実感していくことで心身のバランスを取りやすくなる。

自分のあるがままの姿で修行を重ねて、勝負するときにはその一点に力を集中させるためにはいつも力を抜いて身体をしなやかに敏感にしておくことが大切なんだということを身体を動かしていくことで教えられている。

縮んだ筋をのばして、あるべき姿(痛みを感じずにのばせるということ)が力を抜ける状態になる、ということだし、ニュートラルに我が身を置くことだからこそ、心もニュートラルになるんじゃないかなぁと思いながら前屈をしていたりします。

自分を思い通りに動かすことからすべては始まる。

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今年に入って武道を始めた。

はじめたといっても週一回数時間だからたいした練習量でもないのだけれど。
身体を動かすのは嫌いではないけれど、誰かと相対するとか大人数でやることに子供の頃からの嫌な経験があってずいぶん遠ざかっていた。

知らない人と満員電車でもないのにパーソナルスペースの中にいることや手をつかんだりするのがものすごくはじめは違和感だった。

少人数で教えてもらえることもあって、全くのど素人の私でも無理矢理まねごとみたいに先生たちの後を追ってやっている。

覚悟はしていたことだったのだけれど、思った以上にひどくて驚いたのが【身体が思うように動かない】ということだった。見ているものと同じようにする、ということが全くできない。見たものを理解して身体を動かすという機能が死んでるのかと思うぐらい。何度見ても自分の感覚としては、【わからない】というのが一番フィットした表現かもしれない。

何度言われても、向きが違っていたり、左右が逆だったり。トンチンカンなことこの上ない。

いつもなら「恥ずかしいしもう嫌だ」とやめてしまいたくなるのを、もう数ヶ月続いているのは、指導してくださっている先生が良いのと、身体を動かすことが思ったより楽しいから。

そんな中でプラスの発見もあった。
私の通っていた高校は薙刀が強くて、女子は体育の授業で薙刀が必修だった。

その経験のせいなのだろうか、棒を持ってやる立ち会いだけは何となく覚えが良いのである。何十年経っても身体が何かを記憶しているのだろうか、と思ったりもした。

自分が生きていく過程で、気持ちや思考や行動をコントロールすることは一生懸命学んだし、いろんな経験を積んで来たけれど、入れ物である身体を思い通りに動かすということにいかに無自覚だったのだろう。人間としてバランスの良さを追求して来たつもりだったのに、自分の身体すら思うように動かせない。

そんなときに野生動物と戦うシュミレーションをしている?武井さんの「身体を思い通りに動かす」という記事を見かけた。

詳細はリンクをたどって読んでもらえばいいのだけれど、武道でもスポーツでも上達のためには技術よりも「自分の身体を思い通りに動かす」ということが本質で、そこに視点を転換した上で、「最善の型」にキープできる訓練をしているのだ、と彼はいっているのだという理解をして。

その「最善の型」にあるときの筋肉の張り、手の感じ。そんな風に感覚と筋肉をシンクロさせる。

思考やそれに基づいた行動がコントロールできることがよしんば100%できたとしてもそれは自分というポテンシャルのたった半分でしかないということも教えてもらう。

感覚と筋肉がしなやかに連動するために、身体もしなやかでないといけないとも感じる。
何十年も使わずじまいの錆び付いたこの感覚をしなやかに連動させられるようになれば、人生はまたもっと朗らかになっていくんじゃないかしら、そういう感じがものすごくしている。

赤毛のアンとひらひらドレスと外国語

2014-02-13 00.06.23

母が亡くなってから、彼女のことを良く考えたり思い出すようになった。

自分の中にある彼女との共通点がいろんなことにつながるから。

過去のことを記録していくとどうしても暗い話が多いんだけれど、イメージだけはいつも自由だったように思う。
母は時代的な背景もあって少し大変な人生を過ごして来た人だったけれど、芯の強い明るい人だった。子供に与えるものはセンスが良かったし、教育的な配慮が行き届いていたと思う。

彼女に抱きしめてもらったりした記憶はないけれど、しっかりと躾けてもらったことには本当に感謝をしている。スキンシップは希薄だったかもしれないけれど、私たち年子の姉妹を連れ歩くのに乗れない自転車をずいぶん苦労して乗るようになったらしい。

私たちが自分で自転車に乗れるようになると、三人で買い物に少し離れたスーパーに自転車で行ったものだ。そのときに当時母がものすごく好きだった「赤毛のアン」というアニメの挿入歌にでてくるような花が散り咲く並木道があって、彼女のお気に入りだった。「赤毛のアンの道を通って買い物行こう」とよくいったものだ。

年子の私たちの自己主張が激しくなるまではいつもお揃いの服がお出かけ着だったのも、彼女のクラシカルだったりドレッシーなものが好きなところに通じるのかもしれない。

彼女はお芝居やお笑いなども好きな人でそのあたりは私よりも妹の方が話があったのだけれど、映画の趣味だけは同じだった。ヨーロッパの中世の歴史もの、ひらひらのドレスで舞踏会をするシーンがあるようなものは一緒に見ていた気がする。『恋に落ちたシェイクスピア』『マリーアントワネット』だとかヨーロッパじゃないけれど『風と共に去りぬ』とか日本映画よりも洋画を好んでいたのも父とは全くそのあたりの趣味が違うので彼女のもって生まれた嗜好だろうなぁと思う。でも小説で外国ものは読まなかったから、きっとあのきらびやかさだとか外国の雰囲気が好きだったのだろう、と思う。

私が外国に行きたい、と言い出したときのキーワードも「赤毛のアン」だった。アンが住む「グリーンゲイブルズ」のような家に住むんだと思ったものだ。現実はずいぶん違ったけれど(笑)英語を小学校から習いにいきたいといったのも留学も賛成して行かせてくれたのは、子供のためもあったろうけれど彼女の行きたくて行けない世界への足がかりだとも思ってくれていたのかもしれない。

彼女の年頃の女性にとって美しいドレスや外国語程、女心をかき立てるものはなかったのだろう、と思う。

数年前から自分の美的感覚をもっと絞り込もうと思って、気に入った写真を保存するようになってあることに気がついた。ウェディングドレスの写真が多い。着ることはもうないだろうし、着たい訳でもないのに、あの美しさに見惚れてしまうのだ。これって、ひらひらドレスの舞踏会映画好きだった影響?と思うようになって来た。

この国にいるから、この国の言葉でご飯を食べているからもっと勉強しないといけない、というしがらみを外して世界を見渡すと、自分がわくわくしたり、見てみたい世界がどこなのかが素直に心に届く。ものすごいフィルターをかけていたのね、と自分でも驚くけれど。

私にとって最初に触れた外国語は英語だったし、生活のために変な縛りをつけてこの国の言葉ばかりに執着していたけれど、それがなかったら?
そう考えると、わくわくしたり、自分が話して楽しい言葉があるのかもしれないという思いに駆られる。楽しい言葉っていうよりもいることがより楽しい世界、と言い換えた方がいいのかもしれない。

過去の思い込みでずいぶん片方の足に重心をかけて生きて来たけれど、「赤毛のアン」のアンだってものすごい想像力で幸せを手にした。

想像力なら私も多少なりともあるつもりなので、それを活かして未来を作り上げていく。今その途中にある感じ。
どんどんそうやって自由になっていくのかも。過去から。

カミサマノイウトオリ

2013-02-10 17.19.49

「どちらにしようかな、かみさまのいうとおり」

子供の頃から何度も唱えた何かを選択するためのこのセンテンスほど深いものはないなぁ、と数年前から思うようになった。あみだくじでもコインの表裏でも、それは偶然という名前の自分以外の意思に選択を委ねようという姿勢で。

人は『どちらにしようかな』と口にする時、明確な自分の選択肢がないニュートラルな状態にあるのだけれど、このセンテンスを言い終わるとき、それは意識の表層にあがっていなかっただけなのか、それとも本当にニュートラルに自分が決めるための決定打をもっていないかを知る。

選んだ指の先にある答えに躊躇を感じれば、それは心の奥底で自分のいくべきだと思う方向性があったことを意味するのだと思う。

そんな自分の心の奥底を知るためにも『カミサマノイウトオリ』と指を動かすのは悪くない、そう思ったりしている。

いつのころからか、自分の意志とかを超越したところに自分の身を預けて生きられたらいいなぁって思うようになっていた。

自分の身の回りのこととか生活とかのためではなく生きられたら、いいのにと。

本来の意味での『カミサマノイウトオリ』って言うのはそういうことなのではないか、と思う。

出家だとか神に仕えるとかそういう方向性と全く違う。今もって生まれたこの自分という器を神様に最大限使ってもらう。何をするべきなのかとか、何が正しいのかとかそういうジャッジは全部示された目の前のものを淡々と受け取っていく。

自分の心身がクリーンでないといけないだろうし、自分の身を預ける覚悟がないといけなくて。

覚悟があったとしても「こんな私でよいのかしら、大丈夫なの?」とついつい自分を卑下してしまうことも多々ある。

出家することも何かの宗教を旨として生きることからも解放されて自分が社会の中でするべき役割ということを考えたときに、この選択肢が目の前にあって、そういう風に生きることを選べる状況にあることこそが『カミサマノイウトオリ』に生きなさいということで。

私でいいんだねぇ、と思っていいんだということになる。
だからちゃんとそのメッセージが自分に届く状況を整えて、メッセージ通り行動できる自分にいつもいるかどうかは自分次第だから。そういう自分のポテンシャルはいつもあげていく努力をしていけばいいだけで。

何言ってんだいって感じのはなしなのだけれど、ようやくたどり着いたこの心境と環境にようやくなじんできつつあるから、心穏やかに。

Déjà vu

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人生はあんまり楽しんじゃいけないってずーっと心のどこかで思っていて。

もちろん今までの人生にだって嬉しいことも楽しいこともあったはずなんだけれど、人生楽しんではいけないんだからって、そういう部分にだめだししていた気がする。

30代は身体を壊してばっかりだった。それでも働かなくっちゃ、がんばらないとって思っていたから、余計ひどくなっていって。笑

そんな私だけれど、何度か人生で『これから全く違う世界に行くんだ』って感じたことがある。

十代での留学は、不器用すぎる自分が『どうにかまともになりたい』と思って選んだ選択肢だった。留学したら、自分はきちんとした人間になれるぐらいの勢いだった。人付き合いが苦手な私はとにかくここからはなれたかった、というのもあったのかもしれない。

大学に進学するときもそうだった。通るはずのない二次試験の100倍以上の倍率をかいくぐりなぜか通ってしまった。あの時は受験勉強が楽しくて仕方なかったから、浪人するのに何の問題もなく、通っていた予備校の特待生にもなっていた。

父が『お前は頭が悪いからかわいそうで』と決まった東京への進学だったけれど、これもまた『ここにいたくない』という強い思いが働いたのではないか、と思う。

そうやって踏み出した新しい世界に踏み込む前の自分がベッドで布団にくるまって『状況が変わる』というその瞬間を毎日のようにカウントダウンしていたのを生々しい感覚で覚えている。

不安とか喜びとかそういう言葉では表現できない、『別のステージに行く』んだ、という気持ち。もう今までもっていたものを出し切った後なのに、何か充実した感じがする過渡期のような。

その後、同期の7人と初めて降り立ったドンムアン空港はお手拭きに使われるちょっときつめの香水のような香りと、湿度のせいで道路脇の常夜灯の光が幾重にもアーチを作り、歓迎してくれるように感じたものだ。

大学の入学式は桜色のスーツを着て、たった一人で桜が満開になる大学へ向かう坂道を上った。風が強い日で桜吹雪の舞う桜のアーチをくぐり抜け、晴れやかな気持ちで大学の門をくぐった。

あの頃のように身軽ではないし、手軽に環境を変えるためのきっかけもないけれど、その分、『ここにいたくない』から始まる別のステージへの階段を長くのぼって来た気がする。

 

扉にたどり着くのはもうそろそろかもしれない。

 

情景の断片という執着

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私のもうそんなに短くない人生で、情景の断片がたくさん重なって冊子のようになる、なんて言う経験はなかった。

誰とであっても、どんなことであっても継続性をもって意味付けすることや記憶していることがあんまりない。結果的になにか一瞬、刹那にそれを閉じ込めること。その出来事自体に意味を持たせるのではなく、その出来事やそのときの感情が思考やテーマとして考えていることに彩りや気付きを与える。

だから、思考やテーマとして考え抜いている事象に関わらないものでインパクトのないものはすべて記憶から消えていく。私という身体は現実の世界で生きているのに、いつも自分が抱えているテーマについてばかり気持ちも頭も使っていたように思う。『心ここにあらず』でいたと言えばそれまでなのだけれど。

そんな風に虚ろに生きていたからこそ、死を恐れなかったし、現実や目の前にあるものに価値を置いていなかったような気がする。

私が長らく親しんで来た仏教の教えの一つに『何にも執着をもたない』という教えがある。執着をもたないということは、突き詰めれば生きることにも執着をもたない、言い換えればいつでも死ねるということだし、今の現実目の前にあるものをすぐに手放せるということだと思っていた。

そんなことは在家でやるんじゃなくて出家して修行の中でやるべきことなのかもしれないけれど、『出家するには人生の経験値が足りないから』と気がついた18歳のときから『いつか出家したときに人の痛みや悩みにちゃんと思いを馳せるようになりたい』と思って現実世界という在家社会で暮らすことを選択した。

現実世界にいても執着のある自分を醜いと思ったし、生きることに執着して何かをするのも間違っているような気がしていた。だから必要とされることを確実できる自分になる。それが私の目指すところだった。

自分の能力を高めないと求められることができないから、能力を伸ばすことだけには執心することを許せていたのかもしれない。

今思えば、なんて言うバランスの悪い生き方をしていたのだろうと思う。

そんな風に執着しないで生きることを旨としていたのに、忘れがたい一瞬がある。
その一瞬が一枚の写真のように情景とそのときの感情とともに押し込められて、私の記憶のすみっこに置かれている。

 

相容れない人を。

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仏教おたくだったひとしきりの決して短くはない時間から少し解き放たれた時、そのコンテクストの流れの中では見えなかったものが見えることがある。

あなたを傷つける人を許しましょう。
あなたに理解のない人を理解しましょう。

相手が助けを求めて来たら、見返りを求めずできる限りのことをしましょう。

中庸っていうのは「完全なるグレーゾーン」と私は定義していて。道路の中央分離帯とも言いかえられる。誰かやある出来事が黒であろうが白であろうがそのジャッジをしないでいること。でもそこってゾーンなの。線じゃなくってね。だから黒にも白にも余地がある。黒っぽいグレー、白っぽいグレー。どれもグレーだもの。

私はこの『完全なるグレーゾーン』って言う考え方がとても気に入っているけれど、それは自分の中に自分基準の白黒がない、ということではなくて。

中庸にいて判断せず、ただひたすらに受け入れていくことで、世俗を離れずに疲弊しないでいるなんてことは難しい。それならその疲弊した自分を受け入れる先はどこなんだろう。もちろん、それにもちゃんと何かしらの説明が用意されているのは当然として。

こういった話が『うまくやってるね』と思うのは、『一連の流れ』でこういった話を聞かないということにある。『嫌いな上司とうまくやれません』「あの人の意地悪に耐えられません』『ボクの恋人はどうしてこんなに無理解なんでしょう』というのに対応するのが先に出てくるような『メッセージ』なのであって。

世の中って言うのは、そういう『あわない人』との人間関係で多くの部分が構成されているんだなぁってことを改めてこういうメッセージを読むことで感じる。

自分が大事にしたい人を大事にせず、または誰が大事なのかわからず、自分があわない人を受け入れられない自分を責めたり、相手が変わらないことに不満を覚えながら行きていくのが社会生活なら。

なんて淋しく辛いものなのかしらね。

だけどこんな『教え』なんて必要なく、大切な人を大切にして穏やかに暮らしている人だっているはずなんだけれど。そこに焦点が当たることなんてないのかもしれない。

自分がなりたいのは相容れない人間を受け入れられる能力をもった人なのか、大事な人に大事に思われて穏やかに幸せにいきる人なのか。

これぐらいは自分で選択できる気がするね。

 

情景の備忘録

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記憶力が良いかどうかはよくわからないけれど、パーソナルな関係はあんまり記憶しないようにわざと脳みそがしている気がする。

だから昔やっていた、役人と犯罪を犯したとされる人の間に立って互いの意思疎通を手伝うという仕事だって、内容は覚えていても容姿やシチュエーションは全く覚えていない。

そのせいか、偶然声をかけられても覚えていないということが多くて困る。

パーソナルな関係でも情景を断片に覚えていても、事細かなどこに行ってだとかあんまり覚えてない。お見送りにいったときに待ち合わせたのがログハウス仕立ての喫茶店だとか、何年かぶりにあった時きていたのが紫色のシャツだとか。

情景の記憶ばかりの積み重ねにその一瞬の感情だけが映像と一緒によみがえる。