問題修正とバックアップ

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ちょうど世間はワールドカップ開催国のブラジルがドイツに大敗しちゃった数時間後でもあります。

この結果は私には全く当たり前、としか言いようがない結末です。
数年前、1978年のアルゼンチン以来、ブラジルでの大会をと南アメリカの総意としてブラジルへの誘致を望んだはずだったのに、どうでしょう。

始まる直前になって「ワールドカップなんてやってる場合じゃない!」と国民は騒ぎだし、競技場は途中までしかできてないし、ペレは渋滞のせいで遅刻するし、6割以上の人が「興味ない」とかいっちゃう訳です。

そりゃぁ、ネイマールも怪我するし、7点も取られちゃいますよ。

開催国なのに、圧倒的に応援するパワーよりも負のパワーの方が大きかったっていうことなんだろうと思います。
サッカーって他のスポーツよりも不思議と「場」の雰囲気の勝ち負けを重視する気がしているのですが、点を入れるタイミングが少ないスポーツだからこそ、「アウェイ」とか「ホーム」の場が支配するものが多いのだろうとも思います。

こんな風に開催国がしらけちゃうなら「ホーム」の意味ってなんなんだろうって思っちゃいますが。苦笑

さて、ここからが今日のタイトルのお話です。

データベースにつながらなくって、ずっとわけのわからないエラーと数時間格闘していました。
訳のわからないものをずーっと調べながらやっているのは本当に苦行としか言いようもないものです。専門家じゃないのですから、「何がどうなってるのか」すらぼんやりとしか理解していないのですもの。
それを使いこなしている体ができるのはインターネットのおかげなんですけれどね。もちろんプロじゃないのでたいしたこともできないのですけれど。

それでも、エラーが起こるたびに「バックアップ」の重要性を思います。
一瞬で消えたサイトが復活するのは「バックアップ」のおかげですし、使えなくなった機能が元に戻るのも「バックアップ」があるからなんですよね。これで何度となく冷や汗が止まった経験があります。

人間だってそうなんだろうなぁって思います。近頃。
バックアップ先が家族なのか恋人なのか、神様なのかそれは人それぞれで違うのかもしれません。
それでも、「もともとのその人が記憶している自分」みたいなものを自分の中にもう一度引き込んでみるということ、もちろん自分をよく理解してくれていて、自分も安心して自分をだせる相手なのだろうと思いますが。

そういうことがあれば、とっ散らかった自分や、行き先に迷う自分が何をしていいかわからないときに「私ってそうだったよね」って言うことを思い出させてくれるんだろうと思います。

「あなたってこうなんだから」って言ってくれるのと同時にきっとその人は「だから大丈夫よ」っていうことを言ってくれると思うんです。そういう安心感っていうのかなぁ。どんな荒波のような苦労を日々受けていても、自分のありのままを知っている人がいるだけでずいぶんと楽になると言うか、原点に戻れるはずです。

そういう相手と密にコミュニケーションをしておくことは、「自分のバックアップ」に他ならないんじゃないかなぁと思う訳です。

いくら相手が自分を知っていてもそのバックアップが古いと、いろいろずれるから。これも、アップデートの一環で、古いデータベースなんてもはや「自分」ですらないのだから。

そういう作業を続けて行くことが、結局ぶれない自分を作って行くことに他ならないんじゃないかなぁって思ったりしています。

日記なんかもオールドファッションだけれど確実な自分のデータベースだなと毎日つけながら思っています。

パンドラの箱

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一人で生きる、と決めた時、「迷惑かけない人になろう」と思った。

いつでもニコニコ笑っていて、みんなと程よく仲良くて。

人や仕事であんまり辛くならない距離に自分を置いて、何でも「そうかそうか」と受け入れられて、日々に感謝してひっそりと生きようって。

でも人間って言うのは所々でしょっちゅうぼろが出る。

そのぼろが出るたびに落ち込むのもイヤだから、そんな風にぼろが出ないようにそのときにずいぶん反省してどうやってそれを防げばいい?とか対策練って。

「嫌い」とか「イヤ」という気持ちを違う側面から理解して、ぐぐぐっと仏教の教えと連動させてみたりしてね。

今までもそうだったんだけれど、一人で生きるんだから、という決意がさらに一層、わたしの周りを漆喰で塗り固めていった。

漆喰で自分を塗り固めて自分を装うのは今に始まったことではなく、考えてみればずーっと幼い頃からそうやって「ありうべき姿」だとかいろんなものを装うようにどんどんと塗り固めて行っていたんだろうと思う。

物心ついた頃にはもう、厚化粧だったのかもしれない。
すっぴんである素の自分なんて、自分だって知らないぐらいに、漆喰がどんどんと塗り固められていっていたなぁ。

もともと我慢強い方だし、自己主張も強いけれどどちらかと言うと周りの気持ちをおもんぱかるので、いつの間にか素の自分が欲していることなんて、わからなくなって行ったなぁ。それがいつからなのかもわからない。

ぼろぼろとしょっちゅうはがれる漆喰を、はがれては塗り直ししてきたある日。「ちょっといい感じにようやく完成」と、思えた時期が来た。そのころのわたしは、なんだか前途洋々な気分で「これでもう何が起こってもちょっとやそっとじゃ崩れない」と思っていたのだった。

「あぁ、無情」はビクトルユーゴーの大作のタイトルだけれど、ほんとうにそんな感じ。
漆喰で塗り固めた自分なんて、本当の自分じゃぁないでしょう? と、塗り固めて乾いたばかりで自信満々のわたしに鋭い指摘を入れる人が目の前に現れた。

それを見抜く人すらいなかったのに、しかも完璧に取り繕えるようになった瞬間にそれを見透かされてたわたしは狼狽した。
「それいまここでおっしゃる?」みたいな気持ちと衝撃がわたしの脳天を打ち抜いた。

思えばあの瞬間に、きれいに塗り固めた漆喰にトンカチとのみでカンカンとひびを入れ始められたのだと思う。

そうなると外を塗り固めて取り繕うばかりに一生懸命だったところから、中にいる自分が「だせ」と言い出す。

今までのことを洗いざらい考え直せと言わんばかりの出来事が起こり続け、自分の中ですっかり定義が終わっていたことも何もかも、当然のことと思っていたこと、当たり前だと思っていたこと、変えられないと思っていたこと、すべてを見直す旅が始まった。

何ヶ月かかったかなぁ。

何かあると泣いていた。
涙腺が間違いなくバカになっていると思ったし、理由もわからずに瞬間的に号泣し続けられることがこんなに長く続くなんてあるのか?みたいなかんじだった。とにかく泣かないと始まらない。仕事をしては泣き、ブログを書いては泣き、人と話しては泣き、食事をしては泣いていた。

今まで「泣くなよ」と言われたことはあっても「泣け泣け!もっと泣け」と言われたことはなかった。
泣いてもかまわない、そういわれたから、思う存分、我慢することなく、何ヶ月も泣いた。

もう一生泣いてるんじゃないかって思い始めた頃、ようやく私は泣きやんだ。

心残りなく泣き続けると、涙と一緒にいろいろなものが流れ落ちていた。
今まで自分が培ったと思っていたもの。すなわちわたしが自分自身を覆っていた漆喰が落ちたなぁと感じる瞬間だった。

この国には、ワットトライミットという寺がある。そこにはあるエピソードを持つ仏像がある。

引用ここから
1953年、市内の廃寺取り壊しが決定し、その境内には仏像が放置されていました。全身漆喰が塗られ所々それも剥がれ落ち、顔も歪みあまりに粗末な姿だったので、誰もこの仏像には見向きもしませんでした。
この仏像ををクレーン運び出そうとしたところ、見た目とは異なる異常な重さでクレーンが故障、作業は翌日へと持ち越され仏像は野外に放置されました。するとその夜は嵐となり一晩中雨と風が吹き荒れ、翌日作業を再開するために作業員が仏像に近づいて見ると剥がれた漆喰の隙間から黄金の光が漏れていました。
後の調査によるとこの仏像は700年~800年前のスコータイ時代に製作され、当時略奪の限りを尽くしていたビルマ軍から逃れるため、全身に漆喰を塗り普通の仏像であるかのようにカモフラージュされていたとのことです。純度は60%の金で出来ており、高さ3メートル、重さ約5,5トン、時価推定120億円の価値があるとのことです。
引用ここまで 引用元、写真も

この数奇な物語のように、はがれたあとが黄金の仏像だったという落ちではないけれど、「清々しいほど空っぽのわたし」がいた。

物心ついてから、はじめて自分が見る「わたし」である。
今まで必死に修行と称して勉強していたことも、この国のためにと思ってきたことも何もかも全部どうでもいいと言うか「そんなこともあったねぇ」という具合に。

自分が美しいもの、正しいもの、好ましいものをみたいがために、いろんな眼鏡をかけてみていたものは、そのままだとはとても美しいと思えなかった。

実はそんなこと全部「本当のわたし」は知っていたのである。
だけれど、それは言ってはいけないことだし、感じてはいけないこと、だった。
そんなことにまで「素」の自分になったわたしはどんどんわかっていく。
再定義、再構築、全く別の理解がそこにはあって。

人生を改めてすべてとらえ直し、本当に自分が美しいと思えるもの、自分が心から大切だと思えるものはこれだって感じるままに言える人生を手にするためには必要な行程。

「清々しいほど空っぽ」というのは、実は費やすべきことに費やして来なかった、虚構の時間の代償でもある。
「なんにも知らないわ、大笑い」と、後悔するよりも先に笑いがこみ上げてくる。

だからこそ、無駄にした時間を取り返すべく、楽しんで吸収しようと思う。義務じゃないから楽しい。すべてが知らないことって実は新鮮で活力がある。

知っていると思われているのに知らなかったらどうしようとか、きちんと理解していないからうまく説明できないからと不安に思ってた昔のわたしと違い、「知らないから教えてください」と言える世界が今からいきる世界になる。

何かを慈しむように、自分の本質的な嗜好が顔を出す。それはわたしが絶対捨てなかったけれど、「いいところを一生懸命探し出して見る」ような世界では活かせないもの。空っぽな自分になったからこそ、そういう自分にも出会えた。

漆喰の中も漆喰だったり泥じゃなくてよかった。もしそうだったら、今頃はすべてきれいに粉々になくなっているはずだから。

感性に正しく、自分に嘘をつかないで社会とうまく折り合いを付けるなんて言うことが不可能だと思っていた。

唯一無二なメンターの元にタイミングよく飛び込んだのか、飛び込まされたのかそのあたりは「カミサマノイウトオリ」だとしても、「いつ死んでもいい」から「死ぬまで楽しく生きよう」という変化はわたしの人生に未来を与えてくれた。

未来がある人生って明るいし、何より一生懸命「幸せ」じゃなくていい。ただ、命があるままに「愛おしく」「有り難く」「誇らしく」それこそが「幸せ」なのだ。

ギリシャ神話でパンドラの箱を開けて、人間の生々しい感情と言う怪物が出てきたあと、最後の最後に残ったもの。それは希望だったって言うストーリーにもつながるようなめくるめく時間と経験だった。

pandora

細胞の生まれ変わりという時間経過。

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人間の細胞は骨まで含めると7年ですべてが新しくなるのだと言う。
そう考えてみると、わたしが結婚生活を終わらせた時と今のわたしでは全く違う「わたし」と言えるのかとふと思った。

彼はわたしにとって結婚生活を終えたあとの方がもしかすると、よい友人として励まし続けてくれたのではないかなぁと思う。

それはもしかすると失敗に終わった時間の反省かもしれないけれど、わたしのように人との縁が薄い人間にとっては結果的に家族より身近な人だったように思う。

お互いがどうやっても元に戻れないことをよく知っているけれど、自分のできる中で何かをと思っているのはなんだか不思議なかんじだった。家族の誰よりも自分を知っていた人だから、法的な縛りが解けたとしてもなんだか甘えていたのかもしれない。

そんな関係を理解できないという人は多かったし、また一緒になるのではないか、なればいいじゃないかとわたしに言う人も少なくなかった。

だけれど、60兆もある自分の細胞が、段階的に少しずつ新しいものに変わっていくように、自分自身の意識やいろんなものが変化していくことを感じていたけれど、それは彼も同じだったのだと久しぶりに文字で会話する文面からそれが伝わってくる。

人生がドラスティックな変化ばかりで、そんなのが嫌いで、いやでいやで仕方なかった自分が選んだ相手だったからこそ、こんな風にゆっくりと時間が過ぎたのかもしれないと今は思う。

きちんと家族だったときにはできなかったことも言えなかったこともお互いに伝えることができて、なんとなく心配で後ろばかり振り返っていたような気がするけれどそろそろ、本当に「じゃぁね」と言えるんじゃないかなぁという気がしたのは、今までみたことのない彼が垣間見えたからだと思う。

きっと彼もそうだったのかもと今は思う。強がって無理強いするわたしが心配だったから、噛み付かれない程度に離れた場所から見守っていたけれど、もうその役割を終えてもいい、そう思っていることが伝わってきた。

あの頃の彼もわたしももういないのだなぁ、と「新しく生まれ変わる」という彼の言葉を聞きながら感慨深かった。

どの口がいう?

日本のニュースソースで出ているやり取りなんてほぼ興味がないのだけれど、Facebookなどで否応なく目にしていると、感想として出てくる言葉はいつも同じ。

例えば、結果的に提出した論文がまずくなったときにげっそりしてる感じを倍増するメイクをして記者会見のカメラ前に立つっていうだけで「おそらく、不誠実な人なんだろう」と直感的に思う。

自分の男性遍歴をおもしろおかしく語ってお金をもらっておいて、「女性問題」や「子育て」なんかを市民の代表として語るなんていうのもおなじことだろう。

非難されるべき出来事の真実かどうかどの問題ではなく、「自分の行為を省みるってことがないのかな」と感じる。

そういう風にこういうソースをみた際には、周りの人がやじったとか、周りの人もいいねって一緒にサインしてたとかっていうのは付帯的なことに過ぎず、個人的には価値は感じない。なぜならそこに本質はないのであって、その本質が露呈するための「トリガー」だとか、上手く行っている時のシールドみたいなものでしかないと思うからだ。そして問題が露呈したときには最終的にいきたい方向性に自分をプロデュースする。

繕いやメッキははげるんだから。

つきあった男性に金品を求めてそれでキャリアアップするとか、まぁどこにでもある話なんだろうと思う。でもそれを自分に許すかどうか、「そう言う権利が自分にはある」と心の中で思っているのかどうかによるのだとおもう。

それぐらい遠目からみてみると、こんな話は実はゴロゴロと身の回りにあるのではないかな、と思う。

「与えられるということが当然、その権利がある」と思える人は強いと特に日本のニュースを見ていると思う。

きっとこの数ヶ月ニュースをにぎわしている、先に述べた女性達だって、意識的であれ無意識であれ、そういう腹づもりがなかったとは思いにくい。

そういう人が被害者面して、「反省してください」とか「断固戦います」なんていってるのをみると、いやはや、自分を顧みないことほど強いことってないんじゃないかって思ったりする。

で、結局彼女達はそうやって自分達の欲しい物を満足するだけかどうかは別にして、手にしちゃうんだろうなと。

権利には義務が伴う。金品にしたってなんにしたって、一方通行なんてあり得ないのだから、与えられたら相手が納得する分自分も与えないといけない。

と言ってもビジネスじゃないんだから、誠意だったり愛情だったり、感謝の言葉だったり。そう言うものだとしても相手が納得すれば、それでやり取りって成立するはずなのだけれど。

権利主張をする人がそのあたりの意識が希薄なのは「もらって当然」と思っているからなんだろうとも思う。そこには感謝の気持ちも、自分がなすべき義務も見えないし、自分は相手に何ができたかということは自分を顧みないのだから気がつくこともないのだろう。

子供だから、妻だから、親だから、従業員だからって「もらって当然」なんてモノはないんだろうと思う。
優しい言葉も、暑さ寒さを忍ぶ場所も、食事も何もかも、お互いの関係性から生まれたものなのだっていうことを感じさせてもらえるのは、いまとなっては希薄な想像力のなせる技なのかもしれない。

私の家は共働きだったから、幼い頃から母には「うちは4人家族で四輪自動車のそれぞれが車輪なの、一つが働かなくても立ちいかなくなるんだからね」と言われて育った。家族をやっていくということで、自分のやれることを率先する意識をこの言葉でずいぶん養ったろうと思う。

その反対に、義務であることを放り投げて「お前にいくらかかった」なんていうのも、なんだか品がない話なのは百も承知。いくら感謝を伝えてもそれは心に届きはしないだろう。

与えられている方は知らないだろうけれど、「ありがとう」「感謝している」「あなたのおかげ」っていう言葉で報われることっていうのは少なくない。
人は機械じゃないんだから、心がつぶれたら身体はたちいかないのだ。

その一言があればもっとがんばれるのに。それもまた想像力の欠如なのだろうけれど。
そうそう、これらの言葉こそ、思っていないと言えない、たとえ言っても白々しく聞こえる言葉もないなぁ、とも思う。

感謝の気持ちを持ってそれを伝えられるような人は、先に出てきたような問題には遭遇しないでしょうが。

いずれにせよ、その人の想像力と品性の欠如に尽きるのかも。

そして、本物が一番強い。

刹那と永劫のはざまにあるもの

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ダイエットでも何でも継続。
目指してた体重になってから、維持することが大切。
大学入試でも入ってからが本番
目標に達すること、欲しいものを得たらそれで終わりなのではない。
ゴールはどこなのかってこと。

本当のゴールはシンプルに、死ぬ時であることは間違いがない。

だからこそ、自分が欲しいものが手に入ったときのことを覚えていたい。
どんな気持ちだったかを忘れないでいること、手に入っている「今のわたし」がいつの間にか当然にならないでいることが、とても大切だと思っている。

目的を果たした自分が驕ったり、しないようにいること。

最初からその高さにいたのではなく、一段一段階段を登ってきて、まだ上り続ける意識を忘れないということ。

仏教の教えでは、継続も一刹那の連続ととらえる。その一刹那とは、その次の瞬間に変化してしまうことを覚悟せよ、と彼らは説く。

それが執着をしないということだ、と。
ずっと長い間この考えを正しいと信じて固執していた。

だから、何かあるとすぐ、変化を受け入れて手放さねばと思っていた。

本当にそうなのだろうか。それで未来を信じることってできるのだろうか。
次の一瞬に終わったり変わると覚悟していて未来を描けるのかということである。
わたしにはできなかった。

いつか死に行く、と次の一瞬とでは切羽詰まり方が違うといっていい。

未来を描いて継続することと、ただただ、一瞬の連続として継続することは意味合いが違うのだ。

階段の先に何があるのかを知って登るのと、ただただ階段を上り続けるのが違うのと同じである。

目的に向かうための階段は、その目的や対象に対しての思考がより重ねられ、より理解するということに他ならない。それこそが未来を描き続けるということなのだろうなと思う。

時間はお金で買えない。
上る階段の過程と言える人生そのもので何を自分は選択するのか。
未来が描けるのかどうか、これは実は大きな問題だと未来を見つけてからわかった。それまでのわたしは町中でただ修行だけをしていたのだ、ということがわかったから。

明日は一緒にいられないかもしれない。嫌いになられるかもしれない。そう考える刹那の連続は恐怖や不安しか生まない。

同じ未来を共有したい、同じ目的に向かっていたい、そう思うから信頼も生まれ、大事にしたいという思いも生まれる。
逆に言えば、同じ未来や目的を共有している相手を粗末にしていないか、自らに問うことでもある。

後悔しないように、過程を忘れず、死ぬまで目的に向かって歩むことが継続であり、自分の生を全うすることなのではないかというのが最近の結論である。

刹那と永劫の共存という仏教的な世界観でもあるけれど。コンビニエントにハウツーで人の話を聞いてわかることなどたかがしれている。自らの思考と体験を通して限りない宇宙を感じるために何をするべきかは明確なんだろうとおもう。

たった二つのこと。

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毎日の暮らしの中で、起こることをすべて受け入れていこうと思って、自分の望む最善の世界を信じていこうとしたときに、見落としていたことがあったことを教えてもらった。

ひとつは、精進が第一義にくるということ。
いくらカミサマノイウトオリ、宇宙や神様が示してくれた道をいく、と決めたとしてもそれだけでは不十分なのは当然のことなのだけれど。

どうしてもなんでも聞きたくなってしまう。
何が欠けているのか、どうしてなのか、どうすればいいのか。

でも、それよりもすることがあるんだなぁって教えてもらった。

シンプルに、自分を高めていくこと。
精進に集中すること。
心身を常に清浄に保つこと。
穏やかにアンテナを立てつついること。

それが最善というか、自分がするべきことはもうそれだけなのだ。

そして、信じきるというのが最後にして最も大切で、実は難しかったりすることなのかもしれない。

今回使った写真は、友人が自分の愛娘を抱いて何かを彼女に話しかけている姿。
娘は安心しきって父親に身体を預けているし、父親である友人の背中は自信と力強さに満ちている。

彼女は守られていることを無意識であろうけれどしっかりと知っていて。
友人は彼女達を守ることにちゃんと自信をもっているし、その決意があることを背中が物語っている。

不安っていうのは無意識に、知らないところから、いつの間にか忍び込んでいて、抜き差しならない。だけれど、これがある限り、信じきることはできないし、預けきることができない。捨身できないということ。

彼らのように、自分の存在を確たるものとしてくれる存在に心身を預けられて、
自分と未来と自分のことを大切にしてくれて、自分にとって大切な人を信じきることができたら、

多くの宗教などが教える「心の平安」や「穏やかな気持ち」という、もともとおそらく自分の心に備わっているものに気がつくことができる。

この二つは相即不離でどちらが優位ということではなく、どちらももう一方の拠り所になるし、強くしていく関係でもあるのだ。それぞれがそれぞれが正しいことの根拠となる。

カミサマノイウトオリにズルはなし。

カミサマノイウトオリに、よい入れ物になりたい、と何度もここでも書いているし、思っている。

何でもそう思っていたら、回るんだと知っているのに思い通りにならないことにものすごくイヤな気分になる。

その理由はいくらでも付けられるのだけれど、そんなことをしても気も晴れなければ思い通りに物事が動く訳でもない。

いつもいつも、物事が進まなくなるたびにそんなモヤモヤを心の中に持っては一週間ぐらいは何のやる気も起きないまま、小さく消えそうになった希望という種火にふーふーと息を吹きかけて、またその火を大きくしてきた。

ある事柄をカミサマから託されたと思っているとして、その事柄が自分の存在意義、自分がこの世に活かされている理由だ、誰かのために何かができる、と思っていると。

それが遅延したり、最悪ポシャってしまったら、自分の存在意義もこの世に活かされている理由もなくなるのだろうかということ。

今まではもれなく「存在意義なんてないでしょう、もはや」と即答していたし、それを心のどこかでずっと心配していた。

今日の気付きは、存在意義や価値があるのかどうかも「カミサマノイウトオリ」というジャッジに任せるのが本筋じゃないか、ということ。

自分が今この世に生きていることも、誰かに愛されていることも、いつかは死に行く瞬間へ向かう過程で、そこがもう「カミサマノイウトオリ」なのだ。本当の意味でお任せできなければ、よい入れ物とは言えないんだということ。

日々、周りで起こるミラクルには「カミサマノイウトオリ」を適応しているのに、どうしても「自分」かわいさでの不安がカミサマのジャッジを妨げる。

「捨身」ができていない、と言われたことがあったのを思い出した。
まだまだだなぁ、と一人つぶやく夕方でした。

自分の言葉、自分の解釈。

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一年ぐらい前までは、気に入ったフレーズをメモしておくのがすごく好きだった。仏教の教え的なものが多かったと思うけれど、自己啓発系とか。Twitterとかでよく流れてくるような感じの。「気付き」を与えてくれるというセンテンス。

それを読んで反省したり、復習したり、コンビニエントにできるのがよかったんだと思う。

個人的な「ちゃんとしているかチェック」みたいなもので。

それももうこの一年ほどは全く、やっていない。写真フォルダーにたくさん入っているその画像をどんどん消していっている自分がいる。

もちろん、今関心がある易経や陽明学などはコンスタントに目を通すことでその概念の基本みたいなところをきっちり勉強する前に押さえようと思っていたりするけれど。見方が今までと全然違う感じがする。

真実というのはそうたくさんはなくて、階層的に、その人が理解できる程度に、噛み砕かれたものを「真実」として理解するのであって、いくつもある訳ではない。これはいろんなことに言えるのだけれど。

ということは、自分にとって一番フィットする解釈は自分ですればいい、ということになる。

「あの人がこういってたから、感動した」とか「そうだよねって思う」のもいいんだけれど、もうそろそろそんな時期でもないのかもしれない。

私はずっと言葉を教えてきた時も、この国の事象を語る時も、いつも自分なりの分析に基づいた法則を作ってきた。
もちろん、その法則は最初から完璧な訳ではないのだけれど、自分の頭で理解して、自分の経験に基づいた気付きで内的な経験をすることで自分なりの説明ができるようになる。

そのアウトラインができればあとはずっと検証をしていって調整を繰り返す。こうやって法則は作られていく。
アウトプットして聞いてくださる人がいれば、ますます良いものになっていくスピードは速い。
だから対話ってものすごく大事。ソクラテスとプラトンがよい例で、会話によって思考が広がったりつながっていく楽しさって言うのは何物にも代え難いし、一人で考えているより壮大で深いものが生まれる気がする。もちろん相性もあるのだろうけれど。

私は絵がすごくへたで。自分が描きたい通りに描けない感じがすごくイヤだった。今でも唯一許せる作品は高校生のときにやったエッチングで自分の手とか描いた作品だけ。なぜか、絵はどうにか練習しようとあまり思えなくて、今でもなかなか手が動かないけれど、きっとうまくなくても自分の解釈がのっていれば、へたくそであっても許せるのではないかと思う。

今起こる事象についても、哲学的なことについて、受け売りで正しいとか違うとか、批評するのではなく、今まで積み重ねたものを精一杯駆使した解釈を自分の言葉で伝えられたらと思う。

こんなことがあった。
とある方が、私のFacebookやBlogに書いていることがさっぱりわからない、とおっしゃる。
私の文体が悪いのかとも思うけれど、抽象的な事柄がほとんどなのでわかりにくいのは多少はご容赦いただくとして。

で、何度か「私の書いていること」を酒の肴にお話をしたけれど、私の結論としては「こういうことを考えてない人にはわからない」の一言に尽きる。

その人の半分ぐらいの年齢の友人が、私の書いたものにインスパイアされてくれたりすることもあるのに、その倍の年齢の人がなぜわからないのか。
思考というのは、積み重ねなので、いきなり山の頂上からスキーで滑り降りてくるのが無理なのと同じことなのである。

先日、ある著述業の方のお話を伺っていたときに、その方は読者が何度でも読むたび、理解度が深まるに連れて順番に気付きが起こるように文章を書いているとおっしゃっていた。彼の文章はとても精緻で力強いから、仕掛けもたくさん仕込まれていて、読者がそれを期待しながら読むことも当然だろうと思う。

そう言うことすべてにつながるんだと思う。
自分で解釈すること、自分の言葉で定義付けして表現できること。
それが私の世界の見方だし、私の思うありうべき世界を表現するためのベースとなるのだから。

「自分だけが正しいと思うな」と父が私に教えたように、こちらの誠意や配慮が相手にとっては不義理になったり、失礼になったりもする。それはいつもコインの表と裏、表裏一体なのだ。

みんなにやさしくはできないのかもしれない。思考し続けていない人にわかることは書けないかもしれない。そもそも、そう言う人に伝えるべきことはここにはないのだけれど(苦笑)、私の生きている証というか、成長の過程なのだろうと思う。

それを他の人の言葉や解釈に委ねていては、成長と言えない気もして。
今起こる出来事や周りにできるだけ謙虚で誠実にバイアスをかけることなくみていたいとも思うから。

気持ちにも頭にも縛りがなくなった今、そんなところに一歩を踏み出せたらと思っている。

ここではないどこか

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信心深いからなのか、なんだかわからないけれど、「あなたはきっと前世この国にいたのよ」

そんな風にはじめて言われたのが、いつだったのかもう記憶にない。

「前世は〜だった」という言い方になじみもなく、この国や人を理解することが何より自分のいきていく処世術だった頃、そんな風に言われると「うまく馴染めているのかもしれない」と思ったものだ。
嬉しいとかイヤだとか言う感覚よりもむしろ「この人たちは自分を理解してくれていると感じている、自分たちと同じように扱えると思っている」という風に解釈していた。それは何より、彼らを理解するためには大事なことなので、ハードルはクリアできていたのだろうと思う。

じゃぁ、自分が具体的にこの国にいたような実感があるのか、というとそんな既視感(déjà-vu)を体験したこともない。
生徒さんが高名なこの国の占い師にみてもらったら、前世がこの国の偉い人だったことがあるのは聞いたけれど、自分はそう言われたこともなく。いってみれば、私にとってこの国の人たちが私にいう「あなたの前世」話は、私にとっては彼らの体のいいお愛想以上の意味を持たなかった。

数回この国に来た人や、この国の料理が好きな女優さんが「私前世はこの国の人だったに違いない、はぁと」なんて書いているのをみていると、むしろ彼女達の方がそうなんだろう、って思う。

会社に派遣された訳でもなんでもないのに、自らの意思で自主的にこの国のために何かをしたいと思って何十年もいた訳だけれど、そこに因縁めいたものを感じない理由があるのかもしれないと思う。もちろん、今は「何かしたいと思っていた」という過去形だからこんな風に書ける訳だけれど。

ちょっとおかしな言い方をすれば、「愛されていると感じない」というところだろうか。

土地というのはそれぞれにパワーがあって、意思があるから住む人も繁栄させる人も選ぶんだろうと感じていて。そういう風に思うから、日本の人は引っ越しするときにはきちんと地域の氏神様にその旨を報告する。この国にも「国の鍵」「国の柱」があって、県庁所在地にもそれぞれ地域の守り柱がある。お仕事をそこではじめるなんていうときはそこでお願いをするのである。日本でも欠かさずお礼と報告をしていたから、この国でもある方から聞いてこの国でのビジネスの許可と繁栄を求めるお願い儀礼をやったこともある。

傍から見れば、私なんてどっぷりこの国にはまって、やっているように見えていたろうけれど(苦笑)自分では全くそんな感覚はなかった。この国が好きで、何かしたいと思うのにいつもスッキリしない何かがつきまとう。日本ではあまりない感覚だったように思う。それを払いのけるように、足りない何かを埋めようと必死になって努力していたなぁと今ならよくわかる。

自分の中にいろんな変化が起こりだした頃、「私はこの国に愛されてない気がするんですよ」とぽろりと知人の社長さんに食事のときに言ったら、「自分が愛してれば十分じゃないか」というようなことを言われた。私は相思相愛のエネルギーを大事にするから、そんな不感症な一方通行なところは向かない。土地のバイブレーションや自分が生きる場所と自分との関係性に関心や理解がない人に話したおかげで、はっきりと自分の中にあるずれを見いだすことができた。

その時、小さい頃から「ここではないどこか」をずっと探していて、この国だって「ここが探していたところだ」って思えないのに、どうして私は「ここではないどこか」を探して来なかったんだろうと愕然とした。

私にとって「ここではないどこか」というのは桃源郷のようなもので、そこにいれば安心して疎外感を感じることなく穏やかに暖かくいられる場所をさすのだけれど、確かにここはそのどれにも当てはまらない。

そう考えると、私がこの国で前世を過ごした訳でも、愛されていると感じないのも至極当たり前なような気がした。

それでもこの国とこんなに長くつきあうには、何らかの理由や意味があったんだろうと思う。いただいたものに対する感謝の気持ちとできる限りのお礼はしたけれど、もうそろそろ、私にとっての本当の「ここではないどこか」を探す旅に出ようと思う。
きっと、「ただいま」って思える場所があるはずだから。

望む先への変化と自信

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そう言えば、こんな木漏れ日をしばらく感じていない。

いつぐらいからか、自己啓発と呼ばれるジャンルの本をたくさん読んだしセミナーもいくつも出た。なんだかそういうのを一生懸命読んでいた頃の「必死だった」自分をふと思い出す。なりたい自分になりたくて、すごく一生懸命だった。

良くも悪くもまじめすぎるので、書いてあることはとりあえず何でもやってみる。アファメーションでも何でも。そうやっていろんな本を読んだりしたおかげで日本のセミナー産業というか、業界の構造みたいなものがよくわかったし、何をどうやっているのかもすごくよくわかった。わかってしまった時点でもう、その歯車の中に入るようなことは面白くないのでできない。

一時期はその流れの中で自分の会社を組み込ませることに実は一生懸命だったのになぁ、と思う。

会社をはじめた頃、お仕事先で親しくなった社長さんに「お金儲けする柄じゃない」と言われたことを思い出すけれど、数年経ってその意味がだんだん分かり始めたように思う。

お金を儲ける=ビジネスするのは下手だけれど、やりたいことにはお金がいる。スタッフもいる。
その意味が分かり始めた頃、一つの大きな転機があって。

そこから私の長い旅が始まった。

詳細は省くけれど、今までに考えたことのないことを考え、計画を立て、そのためにいろいろな人に会い、話を聞いた。
今までの経験では足りない経験や人の本質を知ったりする機会にもなった。

その長い道のりの中で、何度も「ここまで来たら大丈夫」と思ったことがあった。何をして万全と思うのか、根拠を自分の中に無理くり見いだしていたのだろうと思う。でもそんな根拠は幻想なので、結局は「まだ道の途中」。

そうかと思えば、「もう大丈夫」と安心していたら、何かが起こって「まだ終わっていなくてよかった」と胸をなで下ろすことも何度もあった。

予想外に長い道のりに疲れ果てて、「もう、やめよう」と何度も思ったけれど、なぜかできなかった。

違う道もあるはずだけれど、結局はこの選択肢を信じた自分がいて。その自分を信じていたんだろうと思う。

他のことではすぐ自信がなくなるし、不安になるのだけれど、このことだけはいくら不安が襲おうとも、内側から何かがわき起こってくるような。冷静になることを促して、改めてまた歩き出すように折り合いを付けてくれるのである。

「もう大丈夫」なんて言うのは、たどり着いたことのない先へ到達する本人が言える台詞ではない。そこに気がついたときから、今起こることとやるべきことに専心してきたのだろうと思う。

「何でも思った通りの世界が実現する」というのはもうパラレルワールドが明らかにしているように、事実である。だけれどそこに行くスピードは、現状と乖離していればいるほど、上る階段が高ければ高いほど、時間がかかる。

そうしていろんな執着がとれて、一瞬を楽しみ、感謝に満ちて、階段を昇りきる日にそなえようと決めた時、扉の先が見えるような出来事があった。こんな出来事を通して、私が選択してきたことって言うのは間違いないのかもしれないと思えることがあった。もう間違いないのかもしれないって。そうはいっても、あくまで状況証拠なのだけれど。

何度か、過去のエントリーで成功体験が少ないことが自分を矮小化させて無価値な人間だと思わせているということを書いた気がするけれど、成功って言うのは一体なんなのだろう。
行動に自分の満足いく結果が伴ったとき、人はそれを成功、というのかもしれない。
それは外からの基準であるかもしれないし、自分の基準かもしれない。

いずれにせよ、自分が「よくやった」と思えることを重ねるということが成功体験であり、自信につながる。

そう考えてみると、私のこの選択とそこからくる結果を手にしたとき、私は成功した、と思えるんじゃないかなぁと思う。
かけっこで一番をもらえたような感じの成功ではないけれど。

自分の思いが現実化して環境が変わる過程は、その願いが叶った後にフィットする自分へまた自分自身が変化することも伴う。毛虫は畑にいるけれど、蝶は空を飛ぶように、その環境にそぐうように自分自身も当然変化をするのである。でも、この経過の中で本当の自分がどんな人間なのか見えてきたと思う。

長かったトンネルを抜けて、「もう大丈夫」という現実の中に自分がいるとわかったとき、それは私にとって何にも代え難い自信を与えてくれるんだろうと思うし、そこからは新しい自分として生きられそうな気がしている。