カミサマノイウトオリ

2013-02-10 17.19.49

「どちらにしようかな、かみさまのいうとおり」

子供の頃から何度も唱えた何かを選択するためのこのセンテンスほど深いものはないなぁ、と数年前から思うようになった。あみだくじでもコインの表裏でも、それは偶然という名前の自分以外の意思に選択を委ねようという姿勢で。

人は『どちらにしようかな』と口にする時、明確な自分の選択肢がないニュートラルな状態にあるのだけれど、このセンテンスを言い終わるとき、それは意識の表層にあがっていなかっただけなのか、それとも本当にニュートラルに自分が決めるための決定打をもっていないかを知る。

選んだ指の先にある答えに躊躇を感じれば、それは心の奥底で自分のいくべきだと思う方向性があったことを意味するのだと思う。

そんな自分の心の奥底を知るためにも『カミサマノイウトオリ』と指を動かすのは悪くない、そう思ったりしている。

いつのころからか、自分の意志とかを超越したところに自分の身を預けて生きられたらいいなぁって思うようになっていた。

自分の身の回りのこととか生活とかのためではなく生きられたら、いいのにと。

本来の意味での『カミサマノイウトオリ』って言うのはそういうことなのではないか、と思う。

出家だとか神に仕えるとかそういう方向性と全く違う。今もって生まれたこの自分という器を神様に最大限使ってもらう。何をするべきなのかとか、何が正しいのかとかそういうジャッジは全部示された目の前のものを淡々と受け取っていく。

自分の心身がクリーンでないといけないだろうし、自分の身を預ける覚悟がないといけなくて。

覚悟があったとしても「こんな私でよいのかしら、大丈夫なの?」とついつい自分を卑下してしまうことも多々ある。

出家することも何かの宗教を旨として生きることからも解放されて自分が社会の中でするべき役割ということを考えたときに、この選択肢が目の前にあって、そういう風に生きることを選べる状況にあることこそが『カミサマノイウトオリ』に生きなさいということで。

私でいいんだねぇ、と思っていいんだということになる。
だからちゃんとそのメッセージが自分に届く状況を整えて、メッセージ通り行動できる自分にいつもいるかどうかは自分次第だから。そういう自分のポテンシャルはいつもあげていく努力をしていけばいいだけで。

何言ってんだいって感じのはなしなのだけれど、ようやくたどり着いたこの心境と環境にようやくなじんできつつあるから、心穏やかに。

無題

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この年になると、今までの経験や重ねて来た価値観のほとんどで毎日の生活を切り盛りし、自分を励ましたり、自分に自信を持たせて『大丈夫』ってこれからを進んでいくのだと思う。

今まで重ねて来たものをすべて捨て去るという選択は、結局生き直しとも言える作業。今までのことに未練なく次に行くということ。

捨てることに躊躇は無かった気もするけれど、この狭い世界しか知らず経験も無い自分にとってあまりにも何も残っていないきれいさっぱりとした環境は、『今まで何やっていたんだろう』という問いを発さずにはいられないことも確かで。

とはいえ。

いい経験をさせてもらいました。この今の空っぽさも含めて。
何にも残っていないからこそ、本当に新しく生まれ変われるような気分でいるのだとも思える訳です。

10代の頃のようながむしゃらさではなく、良い意味で年を重ねたことをうまく使って新しい人生を生きたいと思う。あの頃よりはもう少しエレガントに欲しいものを身につけたいと思う。

今の現状に残る選択肢が無かった、どうしようもない行き止まりにいた時よりはずっと伸びやかにいるはずなのだから。心身ともにもっと軽やかにプレシャスな人生をスタートしよう。

 

朝の情景

2013-11-25 17.52.42

鶏がきんと高い音でコケコッコーッと鳴き出す。うちには闘鶏が何羽もいたから、それが明け方まだ暗いうちから鳴き出す。
まだくらい窓の向こうからは、2キロほど先にあるお寺の読経がスピーカーから流されているのが聞こえてくる。

隣の部屋から『ハァー』というため息とも痛みを我慢しているとも取れない母の声が聞こえると、階下におりていく音がする。

がらがらと店のシャッターがあげられる。

ウォーイ、という誰かを呼ぶ声が聞こえ出すと、もう外はだいぶ明るくなり始めている。
ピンク色の蚊帳の上にはチンチョ(ヤモリ)の糞がたくさん今日も乗っかっている。それをベッドの上に落とさないように蚊帳を外して身繕いをして階下におりる。

二階建ての二階はチーク材だけれど、ほうきで掃いていると床の隙間から光だけでなく、階下に置かれている商品まで見える。最初はどうしたものかと思ったけれど、少し経てば何とも思わず、そのまま掃いてベランダから階下に落とす。

ベランダに立つとまだ涼しさが感じられ、家の前の通りを知り合いが通りがかる。『ウォーイ』と声がするので、そちらに目をやってにやりと笑うと、眉とあごだけをきゅっとあげて、応答する。

市場に買い出しに出る日には、山ほどの荷物が朝から届けられる。母がぐちゃぐちゃになっているバーツ紙幣を無造作につかんで、ざるにひもをつけて引き上げるだけの簡易式レジにお金を戻す。

そのごたごたにまぎれて、奥の部屋からばあさんが出て来てラオカオという焼酎のようなものの量り売りのふたのあいたのから一杯くすねている。

運転手で一緒に出かけるのクー(叔父)が私を見つけるなり、満面の笑顔で『ご飯食べたか?』とたずねる。
彼はいつだって私にやさしくて、タイ語でいつも会話しているのに、ご飯を食べたかと聞く時はスプーンで何かを書き込むようなジェスチャーをする。

山積みにされた商品をストックしたり並べたりする。
子供たちは早速お菓子の袋をあけて食べだしたりする。店をやっている子供の特権。

10時頃になると、氷屋がくる。何でもスローなこの国で、彼らの仕事はいつも迅速だった。
1貫目だと軽すぎるし、正確に何キロだったかわからないけれど、青年が肩に担いで小走りで大きな氷の固まりを店の前にどさりと置いて、走って車に戻る。

私が最初にできるようになった店の手伝いはこれを10等分にしてアルミの長持ちに入れることだった。さびた大きな糸鋸のようなものでぎりぎりとやる。だいたい割れそうなところまでいくと、近くにある木槌とこれまたさびきったナイフを差し込んでかんかんと叩いて割る。最初はずいぶん手こずった。ゆっくりしているとこの国の温度でどんどん溶ける。

そうやって私がぎりぎりと割った氷は店の脇でお酒を飲む近所の人たちに出されたり、さらに細かく砕かれて袋に入れられて、なみなみと炭酸飲料を注いでそのビニール袋の端にくるくると輪ゴムをつけてストローを差し込み、5バーツだった。

ここまで終わると、朝一段落したな、と思うのだった。