身体と焦り

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いかにエレガントでいるかということをよく考えます。

立ち振る舞い、行動、人に対する接し方。

いかに自分のあるべき物に近いのかということであるし、似た存在とであうために必要なことでもあります。

行動のすべての発露は魂と意識(無意識の領域も含めて)身体と思うので、結局いつも考えているテーマに戻ってくるのかもしれません。

このごろ考えているテーマがすべてリンクしていることもあって、何かしらの結論になかなか達することがありません。勉強不足と時間がまだまだ足りないのだろうとおもいます。そういう時間も楽しみつつ。

先週はひどい膀胱炎に悩まされて、深夜は眠れないでトイレを往復していました。お薬を飲まないで治そうと思っていたのが結果的に症状を悪化させたようで、完治を長引かせているようです。アーユルヴェーダによると、膀胱炎というのは孤独や焦燥感の発露として出るのだといいます。

私はどうも自分に疎いので、身体が悲鳴を上げないと気がつかないことがあります。今回もそうだったようです。

出ないものを出したいという気持ちは焦り、そのものです。その時期に到っていないものを早く来てほしいと思うこともまた同じです。私が夜中にずっとトイレに駆け込んでいたのも、毎日の中で自分が知らず知らずに自分の心身に課していたことが心のレベルを超えて身体に現れたのだろうと改めて認識することになりました。

今も書いて残したいことがいくつもありますが、まだその時期ではありません。これもまた思考が「膀胱炎」と同じ症状を訴えているのだろうと思います。

正直、何もない状態のものを出したいと思い、出そうとすることは血がにじむほど苦しいし、余計な力がかかって熱を出します。それが焦り、そのものの正体なのだろうと思います。

でもその苦しさは結果何も出すことが出来ない、純然たる「内的な痛み」以上の何ものでもないのです。
たとえ無理に出せたとしても、それは全くいつもの状態とはかけ離れたものでしかなく、そうなると内だけでなく、外にまでその痛みがおよびます。

正直、この病気がこんなに苦しいものだと知らなかったのですが、おかげでいい内省を得られたなと思います。
薬を飲むべきときには飲まないとということも改めて。苦笑
これもまた、心身のエレガントさを追求するための糧としようと思います。

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