美しくありたかった。

2014-01-07 14.03.51 のコピー

業<カルマ>と一言でいっても何をイメージするかは人それぞれかもしれない。

人生で解消しなくてはならない、目の上のたんこぶのような何かみたいなイメージとか。
いつも自分に立ちはだかる障害みたいな。

私は生きることにまつわる全般がずっと苦手で。
苦手なのに、躾けてもらったおかげだったり、業<カルマ>の昇華のために与えられた性質のおかげでぱっと見そんなことわからないかったかもしれない。

生きることに小さい時から執着がなかったし、「生きている私」がどことなく不自然なのに、「情熱的な人」とみられることへの自分の心の奥とのギャップ。それで孤独感が一層深まったかもしれない。社会や人とのずれ、無理解。

それを業<カルマ>と呼ぶのなら、どうにかするために今生があるのだろうと闇雲だけれども歩んでいた道は間違っていなかったのかもしれない。

どれだけ絶望しても、なぜ生きてるんだろうと思っても死ななかった。
どこからそれでも前に進もうという意志が生まれていたのか、正直今でもよくわからない。

ただ、正しく美しくありたかった。
正しさも美しさも人それぞれなことはよくよく知っていた。
それを超えた基準。

あらゆる「ありうべき」を超えたところにある、エクスキューズのいらない、不安のない正しさ、美しさ。形があるのかもどこにあるのかもわからない、正しく純粋で美しいもの。

人生の主要なパーツでわからないことがあった。例えば、何故この国に何年もいるのか。
だけれど、生まれてからずっと、正しく美しいものを探すための旅だったのなら。

その基準を持って何かをなすために、あらゆる縁を最小限にした形で「見つけるまで、生きてみなさい」と放り出されてこの世に生まれて来たのかもしれない。

業<カルマ>がなんだということよりも、自分の中で説明のつかないものに自分にとってはとても納得がいく答えが見つかったこと、「生きててよかった」と言うより「死なずにここまで来られた」という気持ちでいる。

読んでくださっている人には意味がよくわからないかもしれないですが、今生の役割が明確にわかったところの実感を残しておきたくて。

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