鏡のような存在に

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最近のスモールビジネスなんかは特にブログが広告みたいな感じになっていることもあって、「語る」のが当たり前になっている。
世間のこと、政治のこと、自分のこと、陰謀論などなど。

「あれを使ってはいけない」「これはこんなに悪意に満ちている」「あなたこんな風に考えてませんか」
世の中なんて今までもそういうものだったけれど、書籍から媒体がウェブに移行するとそれを語る人たちがどっと増えたんだろうと思う。

このブログも人に語ると言うよりは自分が気がついたことを「書き残したい」と言う衝動に駆られて、人様にも見られる文章で残しているに過ぎない。日記何かだとやはり「前提条件」が多く入りすぎて、主観的すぎてよくない。

それはともかく、Facebookのタイムラインなんかをみていても、すごいパワーだなと感じる。
周りに伝えなくては、教えなくては、これは悪なんだ。みんな知らないんだ。だから教えてあげる。

何かもっといい手はないのだろうかといつも思う。
日本の人はみんな商売に結びつける勤勉さももってるから余計なんだか頑張ってる感が出るんだろう。

私は自分の考えが世の中をよくすると思っても、人の役に立つにしても、あんまり誰かにダメだししたり、「教えてあげる」みたいな感じは苦手だし、無理してやっても続かない。教えると言う仕事に就いていても「たまたま自分が先にできるようになっただけ」と思っているからかもしれない。

何をテーマにしていようとダメ出し、啓蒙してるのって、結局論調で同じグループにカテゴライズされている気がする。主張が違ってもにたような組織に見えるとか、あるでしょう。あれは方法論が同じだから何だと思う。

ダメ出しっていうのは現状分析と未来の展望がセットになってされるものだと思うし、体制などの批判にしても対案がなければ意味がない。

結局は自分にそんな人をとやかく批判分析したり、啓蒙しようなんて精神的なパワーも何もない訳なんですが。
かといって「愛してます」とか「ありがとうございます」のオンパレードも自分にはできない。

それでどうなのかっていうと「行動だけがすべての結果に帰結する」という私のいつものロジックに到達する訳です。
この大きなウェブの世界で起こし続ける行動が、いつかその波動が何か変化を起こすために自分が良しとすることをし続け、それを発信する。

自分の思う人間のありうべき姿、社会、人間関係。それを実践することからしか波動はあがっていかないし、伝わっていかない。
私は自分を高めていくことに一生懸命すぎて誰かにその波動が伝わることを拒絶していた嫌いがありますが(まだある)、これからはもう少し波動が伝わっていくようにするのを妨げないでいようとおもいます。

自分がとても心地よく幸せにいるためのいき方は人それぞれだけれど、同じ価値観の人にそれが広がり、気付きを得あうのも悪くないんだと。見つめて見守るときと、相手の姿を鏡に映すその鏡となる時。そんな鏡の様な存在になればいいと最近思っています。

きれいに磨いて曇らせないように。
それが自分にとっての精進でもあるとも感じます。

自分がただあること、恥ずかしくない姿で。それが基本。

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