望む先への変化と自信

2013-03-23 14.38.30 のコピー

そう言えば、こんな木漏れ日をしばらく感じていない。

いつぐらいからか、自己啓発と呼ばれるジャンルの本をたくさん読んだしセミナーもいくつも出た。なんだかそういうのを一生懸命読んでいた頃の「必死だった」自分をふと思い出す。なりたい自分になりたくて、すごく一生懸命だった。

良くも悪くもまじめすぎるので、書いてあることはとりあえず何でもやってみる。アファメーションでも何でも。そうやっていろんな本を読んだりしたおかげで日本のセミナー産業というか、業界の構造みたいなものがよくわかったし、何をどうやっているのかもすごくよくわかった。わかってしまった時点でもう、その歯車の中に入るようなことは面白くないのでできない。

一時期はその流れの中で自分の会社を組み込ませることに実は一生懸命だったのになぁ、と思う。

会社をはじめた頃、お仕事先で親しくなった社長さんに「お金儲けする柄じゃない」と言われたことを思い出すけれど、数年経ってその意味がだんだん分かり始めたように思う。

お金を儲ける=ビジネスするのは下手だけれど、やりたいことにはお金がいる。スタッフもいる。
その意味が分かり始めた頃、一つの大きな転機があって。

そこから私の長い旅が始まった。

詳細は省くけれど、今までに考えたことのないことを考え、計画を立て、そのためにいろいろな人に会い、話を聞いた。
今までの経験では足りない経験や人の本質を知ったりする機会にもなった。

その長い道のりの中で、何度も「ここまで来たら大丈夫」と思ったことがあった。何をして万全と思うのか、根拠を自分の中に無理くり見いだしていたのだろうと思う。でもそんな根拠は幻想なので、結局は「まだ道の途中」。

そうかと思えば、「もう大丈夫」と安心していたら、何かが起こって「まだ終わっていなくてよかった」と胸をなで下ろすことも何度もあった。

予想外に長い道のりに疲れ果てて、「もう、やめよう」と何度も思ったけれど、なぜかできなかった。

違う道もあるはずだけれど、結局はこの選択肢を信じた自分がいて。その自分を信じていたんだろうと思う。

他のことではすぐ自信がなくなるし、不安になるのだけれど、このことだけはいくら不安が襲おうとも、内側から何かがわき起こってくるような。冷静になることを促して、改めてまた歩き出すように折り合いを付けてくれるのである。

「もう大丈夫」なんて言うのは、たどり着いたことのない先へ到達する本人が言える台詞ではない。そこに気がついたときから、今起こることとやるべきことに専心してきたのだろうと思う。

「何でも思った通りの世界が実現する」というのはもうパラレルワールドが明らかにしているように、事実である。だけれどそこに行くスピードは、現状と乖離していればいるほど、上る階段が高ければ高いほど、時間がかかる。

そうしていろんな執着がとれて、一瞬を楽しみ、感謝に満ちて、階段を昇りきる日にそなえようと決めた時、扉の先が見えるような出来事があった。こんな出来事を通して、私が選択してきたことって言うのは間違いないのかもしれないと思えることがあった。もう間違いないのかもしれないって。そうはいっても、あくまで状況証拠なのだけれど。

何度か、過去のエントリーで成功体験が少ないことが自分を矮小化させて無価値な人間だと思わせているということを書いた気がするけれど、成功って言うのは一体なんなのだろう。
行動に自分の満足いく結果が伴ったとき、人はそれを成功、というのかもしれない。
それは外からの基準であるかもしれないし、自分の基準かもしれない。

いずれにせよ、自分が「よくやった」と思えることを重ねるということが成功体験であり、自信につながる。

そう考えてみると、私のこの選択とそこからくる結果を手にしたとき、私は成功した、と思えるんじゃないかなぁと思う。
かけっこで一番をもらえたような感じの成功ではないけれど。

自分の思いが現実化して環境が変わる過程は、その願いが叶った後にフィットする自分へまた自分自身が変化することも伴う。毛虫は畑にいるけれど、蝶は空を飛ぶように、その環境にそぐうように自分自身も当然変化をするのである。でも、この経過の中で本当の自分がどんな人間なのか見えてきたと思う。

長かったトンネルを抜けて、「もう大丈夫」という現実の中に自分がいるとわかったとき、それは私にとって何にも代え難い自信を与えてくれるんだろうと思うし、そこからは新しい自分として生きられそうな気がしている。

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