人間の細胞は骨まで含めると7年ですべてが新しくなるのだと言う。
そう考えてみると、わたしが結婚生活を終わらせた時と今のわたしでは全く違う「わたし」と言えるのかとふと思った。
彼はわたしにとって結婚生活を終えたあとの方がもしかすると、よい友人として励まし続けてくれたのではないかなぁと思う。
それはもしかすると失敗に終わった時間の反省かもしれないけれど、わたしのように人との縁が薄い人間にとっては結果的に家族より身近な人だったように思う。
お互いがどうやっても元に戻れないことをよく知っているけれど、自分のできる中で何かをと思っているのはなんだか不思議なかんじだった。家族の誰よりも自分を知っていた人だから、法的な縛りが解けたとしてもなんだか甘えていたのかもしれない。
そんな関係を理解できないという人は多かったし、また一緒になるのではないか、なればいいじゃないかとわたしに言う人も少なくなかった。
だけれど、60兆もある自分の細胞が、段階的に少しずつ新しいものに変わっていくように、自分自身の意識やいろんなものが変化していくことを感じていたけれど、それは彼も同じだったのだと久しぶりに文字で会話する文面からそれが伝わってくる。
人生がドラスティックな変化ばかりで、そんなのが嫌いで、いやでいやで仕方なかった自分が選んだ相手だったからこそ、こんな風にゆっくりと時間が過ぎたのかもしれないと今は思う。
きちんと家族だったときにはできなかったことも言えなかったこともお互いに伝えることができて、なんとなく心配で後ろばかり振り返っていたような気がするけれどそろそろ、本当に「じゃぁね」と言えるんじゃないかなぁという気がしたのは、今までみたことのない彼が垣間見えたからだと思う。
きっと彼もそうだったのかもと今は思う。強がって無理強いするわたしが心配だったから、噛み付かれない程度に離れた場所から見守っていたけれど、もうその役割を終えてもいい、そう思っていることが伝わってきた。
あの頃の彼もわたしももういないのだなぁ、と「新しく生まれ変わる」という彼の言葉を聞きながら感慨深かった。