どの口がいう?

日本のニュースソースで出ているやり取りなんてほぼ興味がないのだけれど、Facebookなどで否応なく目にしていると、感想として出てくる言葉はいつも同じ。

例えば、結果的に提出した論文がまずくなったときにげっそりしてる感じを倍増するメイクをして記者会見のカメラ前に立つっていうだけで「おそらく、不誠実な人なんだろう」と直感的に思う。

自分の男性遍歴をおもしろおかしく語ってお金をもらっておいて、「女性問題」や「子育て」なんかを市民の代表として語るなんていうのもおなじことだろう。

非難されるべき出来事の真実かどうかどの問題ではなく、「自分の行為を省みるってことがないのかな」と感じる。

そういう風にこういうソースをみた際には、周りの人がやじったとか、周りの人もいいねって一緒にサインしてたとかっていうのは付帯的なことに過ぎず、個人的には価値は感じない。なぜならそこに本質はないのであって、その本質が露呈するための「トリガー」だとか、上手く行っている時のシールドみたいなものでしかないと思うからだ。そして問題が露呈したときには最終的にいきたい方向性に自分をプロデュースする。

繕いやメッキははげるんだから。

つきあった男性に金品を求めてそれでキャリアアップするとか、まぁどこにでもある話なんだろうと思う。でもそれを自分に許すかどうか、「そう言う権利が自分にはある」と心の中で思っているのかどうかによるのだとおもう。

それぐらい遠目からみてみると、こんな話は実はゴロゴロと身の回りにあるのではないかな、と思う。

「与えられるということが当然、その権利がある」と思える人は強いと特に日本のニュースを見ていると思う。

きっとこの数ヶ月ニュースをにぎわしている、先に述べた女性達だって、意識的であれ無意識であれ、そういう腹づもりがなかったとは思いにくい。

そういう人が被害者面して、「反省してください」とか「断固戦います」なんていってるのをみると、いやはや、自分を顧みないことほど強いことってないんじゃないかって思ったりする。

で、結局彼女達はそうやって自分達の欲しい物を満足するだけかどうかは別にして、手にしちゃうんだろうなと。

権利には義務が伴う。金品にしたってなんにしたって、一方通行なんてあり得ないのだから、与えられたら相手が納得する分自分も与えないといけない。

と言ってもビジネスじゃないんだから、誠意だったり愛情だったり、感謝の言葉だったり。そう言うものだとしても相手が納得すれば、それでやり取りって成立するはずなのだけれど。

権利主張をする人がそのあたりの意識が希薄なのは「もらって当然」と思っているからなんだろうとも思う。そこには感謝の気持ちも、自分がなすべき義務も見えないし、自分は相手に何ができたかということは自分を顧みないのだから気がつくこともないのだろう。

子供だから、妻だから、親だから、従業員だからって「もらって当然」なんてモノはないんだろうと思う。
優しい言葉も、暑さ寒さを忍ぶ場所も、食事も何もかも、お互いの関係性から生まれたものなのだっていうことを感じさせてもらえるのは、いまとなっては希薄な想像力のなせる技なのかもしれない。

私の家は共働きだったから、幼い頃から母には「うちは4人家族で四輪自動車のそれぞれが車輪なの、一つが働かなくても立ちいかなくなるんだからね」と言われて育った。家族をやっていくということで、自分のやれることを率先する意識をこの言葉でずいぶん養ったろうと思う。

その反対に、義務であることを放り投げて「お前にいくらかかった」なんていうのも、なんだか品がない話なのは百も承知。いくら感謝を伝えてもそれは心に届きはしないだろう。

与えられている方は知らないだろうけれど、「ありがとう」「感謝している」「あなたのおかげ」っていう言葉で報われることっていうのは少なくない。
人は機械じゃないんだから、心がつぶれたら身体はたちいかないのだ。

その一言があればもっとがんばれるのに。それもまた想像力の欠如なのだろうけれど。
そうそう、これらの言葉こそ、思っていないと言えない、たとえ言っても白々しく聞こえる言葉もないなぁ、とも思う。

感謝の気持ちを持ってそれを伝えられるような人は、先に出てきたような問題には遭遇しないでしょうが。

いずれにせよ、その人の想像力と品性の欠如に尽きるのかも。

そして、本物が一番強い。

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