使われなかった名前の話

2012-04-24 14.21.46

このドメインになっている名前の話をしておこうと思います。

 hongsarot หงสรถ とこの国の言葉で書かれるこの名前は、神様の乗り物、と言う意味です。

どんな宗教でも神様が乗り物として従える動物がいますが、hongと言うのはこの国の言葉では白鳥や鳳凰を意味します。

自分の生き方をドラスティックに変える時の覚悟として、自分を滅して、神様の意思を反映できる、よい乗り物になろうと思ったのでした。

それが始まりだったように思います。
あんまり大事にしすぎた結果、会社の名前にもなんにも使えないまま、今に至ります。

この国との縁やこれからのことを考えたときに、今後この大切にしすぎたこの名前を会社の名前等にもってくることはないと思います。この写真を撮ったり、名前を辞書で一生懸命考えたあの頃とはずいぶん状況も変わりました。

それでも、このhongsarot という言葉と出会えたことがすべてのスタートだったように思います。
「カミサマノイウトオリ」と言う私の今の生き方の指針が最初に浮かび上がったのもこの単語のおかげでした。

それから数年、この単語について、この単語の示すありようについて自分なりの思考を深めてきたと同時に、この単語は私にとって、自分を顧みるための基準だったように思います。神様に使えるにふさわしい身であるのかどうなのか。恥じない行いをしているのか。

ここに来て、もう少し大きい世界で飛びなさい、そう言ってもう一度空に解き放たれたような気持ちでいます。
もちろん、役割が変わる訳ではないのですけれど。

FacebookをみてもTwitterをみても、昔の人や偉い人のいった言葉でタイムラインは溢れています。
引用に次ぐ引用で、それが偶発的に琴線に触れる楽しさももちろん私も知っているのですが。

私がここに書くことは、もう少し違ったことを目指しています。
かといって、目の前にある日常の喜怒哀楽をただ分析することも私はかけないです。

自分の役割っていうものがあると言う前提で、その役割にそって理解したことを少し抽象化して一般化とまではいかなくても、多少なりとも自分を捜し、生き方を探し、未来を見つめている人なら、世界のありようやいく末のありうべき姿を希求する人ならば、感じてもらえるかもしれない何かを綴ることが、この「神様の乗り物」というドメインにふさわしいのではないかなとも思っています。

自分の思考を通しての気付きだけが真の気付きなので、私のこの文章も私にとっての気付きでしかないのです。
本来は。

ですが先日、うちの女の子が私のあるエントリーをみて「泣けました」とメッセージをくれました。

自分がふと通り過ぎる出来事をもう一度引きよせて感じ直すことができたのだと思います。
そんな風に誰かの琴線に私の気付きが触れるなら、それはよきものが神様の乗り物に乗ってその人の元にいってくれたと言うことに他ならない気がして。

私にとって大切な単語を冠したドメインをここで活かそうと決めた訳です。

私の役割、気付きを通して、あなたのこの世での役割にいい影響やよい気付きがありますように。

孤独なときにこのブログをみて、独りじゃないと思ってもらえたらいいなと思っています。

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