赤いノート

2013-01-07 11.02.01

 

今、文字を書いたり読んだりする仕事をしているのは、いろんな要素があるだろうけれど、文字を読んだり書いたりするのが好きだったのは、子供の頃からだった。

叱られるからと布団の中で懐中電灯つけて本を読んでいたというぐらい本が好きだった母の影響かもしれない。

書くのが嫌いじゃないのも小さい時からで、絵よりも文字を書いていたように思う。うまくかけなくて、自分の絵が嫌いだったのをぼんやり覚えている。

何より、小さい頃の記憶が乏しい私の記憶は、10歳ぐらいからはじまる。まさにその始まりはその日記を書いているシーンだ。

赤い小さな手帳。その頃はやっていた鍵付きのものではなかったと思うけれど、当時人気を二分していた猫のキャラクターの方が私は好きだったので、そのイラストがついていた。

自分の気持ちをしっかりまず書いたのをはっきり覚えている。そのあとに、なぜならと続けたことまで。だけど、なぜならの後ろは覚えていない。

夕飯が終わって後片付けを手伝ったあと、机に向かってこのノートに制限無く、自分の思いをつらつら書くのが何より好きだった。嫌だったこと、嬉しかったこと。いろんな思いをノートに綴った。

人に見せるという目的で書かれていないので、文章も今読めば訳が分からなかったろうと思うけれど、いろんな悩みや不満や日々の暮らしで気がついたこと、今思えば誰にもいえなかったことを延々とノートに綴っていた。

白い罫線だけの真っ白なノートほど私にとって心安らぐ理解者であり、友達はいなかったかもしれないと思う。きっと読み返してみると、本当に若い取るに足りない足らない悩みなのかもしれないけれど、その当時はそれが毎日のすべてだったのだから、嬉しいことも悩みもその日記帳を反芻することでおさめていったようなところがある。

その習慣は留学時代も続いていて、留学時代は大学ノーとⅠ5冊ほどになっていたから、よほどストレスがたまっていたのかもしれないと思うかもしれないが、タイ語と日本語が混ざっていたからそれぐらいになっている。

東京の大学に進学するまで、10歳につけ始めた日記すべてもっていたんだから我ながら物持ちがいいなぁと感心するのだけれど、留学するまでのものはすべて処分してしまった。

改めて実家を離れるときに、全部読み返したら満足してしまって、新しい自分に東京でなるのだという気持ちもあって勢いよく捨ててしまった。

10歳から18歳までの子供だった自分から卒業する、そんな気分だったのかもしれない。
確かに、そんな思い切りをもって、東京での暮らしが始まった。

今手元にあるのは留学していた頃のものと、帰国した1年分だろうか。そのあとは書かなくなってしまった。外国に住みながら悩む気持ちがそのままあふれていて、痛々しいような、年相応なような。まじめだったのね、と笑いながら読んでしまう。

もうそろそろ、あの日記帳たちとも別れてもいいのかもしれない。

だからだろうか、何かあるとノートを買いたくなる。新しいノートにこれから始まる様々な未来をを詰め込みたい、と思うのだ。

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