紫陽花が終わる頃に

紫陽花の季節になると、学生時代の園芸の時間に紫陽花の学名がお滝さんという恋人の名前に由来することを四国の伸びやかな方言で話すゴロー先生の声と、美しく装丁された萩原朔太郎の「こころ」という歌を思い出す。

こころ            

                 萩原朔太郎

 こころをばなににたとへん

 こころはあぢさゐの花

 ももいろに咲く日はあれど

 うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 こころはまた夕闇の園生(そのお)のふきあげ

 音なき音のあゆむひびきに

 こころはひとつによりて悲しめども

 かなしめどもあるかひなしや

 ああこのこころをばなににたとへん。

 こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

 わがこころはいつもかくさびしきなり。

               ――『純情小曲集』より

高校生ぐらいの一時期、耽美的な文章が好きで、ふあふあと寂しいだとか切ないを弄んでいたのはまだ子供だったのだから、というエクスキューズが許されるのかどうか。

美しさもかけらもないように感じられる世知辛い現実を乗り越えるためには、自分の世界に浸ることもあの頃の私には必要だったのかもしれない。

対人恐怖症みたいな感じになってから、自分が世界や世の中の役に立てると全く感じられない日が続いていて。

誰かの役に立てる、と思うと本もかけるしブログでも色々言いたいことが湧き出てくるのだけれど、いかんせん、何も役に立たない、とおもうと発信の手は本当に止まってしまう。何度やり始めても止まる。

体を動かし、目の前で結果の出ることだけが実際として「自分が役に立てる」という事実であり手応えなので、そういうことは好きだし、一生懸命できる。のに、あの膨大なブログを書いたり、文章を書いていた頃がもう信じられないぐらい私は自分が役立たずということに溺れているような気がする。

家の掃除や整理整頓と思考の整理というのは似ていて、自分だけのためだと散らかり放題、適当なものを食べ、ダラリとしてしまう。

そういえば、自律神経をやられて、食事もほぼ喉を通らず全く誰とも会えないし話せない頃に意を決して始めたことは、「まず自分のために料理を作る」ということだった。

自分のために作る。自分のために食べる。
自分のために片付ける。

Twitter民やnote民の人には多分?知名度のある田中さんの本。

彼の本を読んで(まだ読了していないのだけれど)、あぁ、自分の思考や思いを丁寧に整頓してあげるだけでもいいのかもしれない、と少し感じている。

先生のブログがわからないと言われて随分表現に迷ったことも、何もかもまぁそれで良かったのかもしれない。あの頃の自分は確かに読みたいことを書き続け、いい意味で自分がいちばんの読者だったと思う。

それがどんどん書くのが苦しくなり、オンでもオフでもどんどん語らない人になっていって、それはすなわち考えないわけでもないので、どんどんとひたすらにゴミ屋敷のように思考の塊が精神の何処かや魂の端っこにこびりついて、感受性や興味関心や探究心を十分に動かすだけのスペースが無くなっていたのではないかしら、と思う。

出せないことで、入れる量が制限される。人間の体でも、脳みそでも、魂でも、文章でも同じことなんじゃないか、とも思いだした。
「昇華される」大切さは思考を重ねていると痛感する。

昇華されないから、堂々巡りに何年も考える。結論をもって次に行けない。それは考え抜いたものを一つのまとまりとして自分に提示できていないから。

私も自分が読みたいものを書いてあげよう。
きっちりと時間をとって、丁寧に自分の思考と向き合って、「昇華される」喜びを自分の中に取り戻してあげられたら、また何かが変わるのかもしれない。

梅雨の晴れ間のような気分で今この文章を書いているけれど、そのまま梅雨が明けた夏空のように自分に向かい合って今抱えている色々な考えにひとつづつラベリングをしたり、マイルストーンを作ってあげたりしてあげられたらいいなと思う。

田中さんの本の結論が全く違うものであったとしても、読書半ばでこういう風に思えたことがたまらなく清々しい。良いタイミングで良い本に出会えて素直に読めたことが良かった。いつもなら手に取らないんだろうけれど、このタイトルは「お前が読まなあかんやろー!」と見るたびに言われている気分だった。

そのタイミングでフリーライターの雨宮さんの記事もよむ。「だって、わたしは“できない子”だから」。異国の地で心が折れていた頃の私へ 言葉の壁で萎縮するっていうのは私も経験あるので本当に胸にしみる。

必要以上に萎縮しないでいる、伸びやかにいるというのは安定した精神での真っ当な自己肯定によってなし得るのだなぁと思ったりする。そのためには社会参加も必要だし、親しい人との交流も必要。一人で考えぬくのだけれど、一人でいると到達しにくい境地でもある。

私は最終的に自分が言葉を紡ぐことすら自分から取り上げてしまったのだから、随分と深くやらかしてしまったんだなぁとおもう。

自分を取り巻く環境を客観的に眺めてみると、大変な割には頑張ったんじゃないの、と言ってあげたいところだけれど、結構追い詰めてたのかもしれないね。

だから、これからどうなるのだろう、ということをもう敢えて今回は書かないでもいいんじゃない、なんていう気持ちになっている。書いてもその通りになるかどうかすらわからないもの。

でも、明らかに違うことは「書きたい」という気持ちが先んじていることを感じている。これが何より違う。それをいつか自分が「読みたい」だろうと思って書いておこう。

耽美的に「書けない自分」を見つめていた自分はもう卒業となるのか。自分が一番楽しみだったりしている。

#読みたいことを書けばいい #田中泰延 #萩原朔太郎 #耽美的 #こころ #紫陽花 #雨宮紫苑 #ハフィントンポスト

当たり前。

芍薬を買ってきて、最近の海外旅で唯一の戦利品?だったヨーグルトドリンクのボトルに入れたとたんに、ふわぁ、とため息が花から溢れてくるのが聞こえるほど一気に開き始めた。

いつも飲んでいるお水を入れているおかげなのか、海外で飲んだヨーグルトドリンクの空瓶のおかげなのか。今日もひと束買い求めて、どんどん開く姿をワクワクと見守っている。

「君といるようになって、花に目が向くようになったよ」と言われるのは嬉しいことで、自然の息吹を大事な人と呼吸しながら感じられるっていうのはなんて幸せなことだろうと感謝する。

みんなそれぞれ自分の「当たり前」を持っている。花に話しかける毎日が当たり前の私、咲いても枯れても関係ない毎日が当たり前の人もいる。

学生時代、東京で過ごし始めて間もないこの季節だったと思う。高校の同級生数人、私とW君やM君、他にも誰かいたっけな。ごめん。失念。故郷から離れている友達で集まったことがあった。標準語で話しはじめて、途中で大阪弁にいつの間にか切り替わった状態で話すわたしに「Miaの標準語はウルトラマンのカラータイマーと一緒やなぁ、3分ぐらいで大阪弁に戻る。」と笑っていたのを思い出す。不本意だったけれどその通り。今でも標準語をきちんと話せるには至っていない。

ということで、今では丁寧でエレガントなさらりとした大阪の言葉が私らしくていいんじゃないの、ということになっている。船場商人の娘なのだから、美しい大阪の言葉への愛着もある。ふんわりゆったりと大阪の言葉を話す。なんかええやん、ということ。

関西じゃないところで、そんな風に話していると「京都の方ですか?」と大体聞かれる。「大阪なんですよ」というと、こちらがびっくりするほど驚かれる。よく聞いてみると、「大阪の人が話しているイメージの言葉よりも品がよくゆったりと綺麗に聞こえる」のだそう。

端的にいうと、日本中にテレビを通じて大阪が下品の総本山と言わんばかりに喧伝し、それに大阪の人たちの多くが乗っかってしまった結果、大阪の言葉すなわち、テレビで聞くようなお下劣な言葉、となってしまったのでしょう。残念なこと、本当に。

かの国で暮らしていればいたで、「この国に住んでいるようには見えない」とか、かの国の田舎で暮らしが好きなんて想像できない。都会の涼しいところでスタイリッシュに暮らしているんだろうどうせ、とか言われてしまう。

かの国の言葉の講義をしているときは、生徒さんのかの国での趣味趣向と私のそれがあまりにもかけ離れていて、「先生の教えてくださることは高尚すぎて合わない」と生徒さんたちに口ぐちに言われた。それに深いショックを受けつつ、関心がないことを教えては申し訳ないと、全く聞いたことすらなかった演歌やポップスだの外国人なら楽しまずにはいられないナイトライフだのを一生懸命リサーチして取り入れたものだ。

人というのは皆それぞれの「当たり前」を持っていて、「こうであるのが多分自然なのだろう」ということがどれほど他人のそれと重なっているかどうかということは意外と無関心なのではないかと思う。おそらく、「みんなこうだろう」という想定に安心して毎日を過ごしている。だから、その想定自体が違っていると気がついて「はっ」とするのではないかと思う。

そういう「当たり前」が日々のご飯とつながっているときは私も自分にとっては決して「当たり前でない」ものを見聞きして、お金もずいぶんつぎ込んだけれど、何一つ身にならず、結局楽しいとも思えないままだった。

もちろん、楽しいことを発見することだってある。
全く知らないスポーツや業界は私にとっては好奇心の対象だからどんどんと調べて学ぶのが好きだから、そこからどんどんと自分の「当たり前」が覆されていくのもまたそれは楽しい経験である。そういう柔軟さはいつまでも持っていられたら良いなと思うこと。

写真はお借りしました。

結局、みんなが同じに見える世界でポツンと自分だけが違っているような感覚や認識を持った時に自分をどれだけ違うあり方の自分を「それでいいよね」と肯定してあげられるのは自分だけな気がするのです。
誰かがのぞいている窓と、自分が開いた扉が決して同じとは限らないのだから。

みんなが不幸で不満たらたらだからって、自分も一緒に不満たらたら、不幸せですって言わなくてもいいのですよ。周りはどうあれ、幸せでいいし、穏やかでいいし、感謝していられたらいいんです。それを周りに周知することも、強要することもいらない。ただ自分がそうあればいい。

私は私なりにかの国への思いを持っているし、古き良き大阪の文化やしきたりには深い愛着を覚えている。他人がどうであれ、それでいい。

誰かと「そうだね」と言い合える幸せは、実はあんまりいろいろなところに転がっていなくていいのではないかと思うのです。
「私はそうは思わない」とか「私はそれを好まない」に満ちている世界の中で、「そうだね」と言い合える感性と出会える時こそプレシャスな瞬間はないからです。そういう魂の喜びは、なにものにも代え難く、そう簡単に得難いものです。

たくさんのがっかりを重ね、ほんの小さな「そうだね」に幸せを見出しながら、いつか魂が響き合うような相手と「当たり前」な何かを共有できる日が来ることを選べるかどうか。

いくつかのことに「そうだね」と言い合える幸せな経験をさせてもらって、魂が充足する喜びを学んだ私ですが、残念ながらかの国に対する感性で「そうだね」と言い合える相手とは出会えていません。

それでも、自分のかの国に対する見方や思いは紆余曲折を経てもやはり本質は変わらないのです。それは自分の実体験と実感に基づいているからで、それがある限り、誰かと共有できる日が来なくても、私はかの国に対する自分らしい思い入れを失うことはないのかなと最近は思っています。

#そうだね #当たり前 #船場言葉 

積極的受容


ジョバンニ・シュトラッツア のベールを被ったマリア。 カナダの聖ジョン・バプテイスト教会にあるそうです。いつか見に行きたいな。

気がついたらひと月半も書いてませんでした。

今までの私は、「これはあなたのもの」と言われても「あげる」と言われても、「いらない」と言うことが多い子でした。

小学生の時、誰かのお母さんだっけな、いつもみんなが買って食べているアイスクリームをいただいたんです。
すごく悪いことをした気分になって、もちろん多分家でお小言ももらって。

「もう、こんな胃がムカムカするような気持ちにはなりたくない」
と、幼心に強く思ったものです。

あげるのは得意、もらうのは苦手。
でもそういうのって大抵「おせっかい」と言われたり「重い」って言われることも多く・・・。笑

そういうことがずっと重なると、結局、「距離感上等」みたいな感じで。

「よらば切るぞ!」みたいになっちゃうんですよ。
猫がシャーって塀の上からしてるみたいな。

でも、結局バランスで。

惜しみなくを存分にしたい分だけさせてもらえるような環境が整い。
それを取り上げられる(自主的に出て行く)みたいな不安も随分と緩和されるとですね。

今までは、何かあげるーって持ってこられても、
「今仕事忙しいからそこ置いておいてください」みたいな、ぞんざいじゃないんだけれど、きちんと向き合えない感じ。

でも、なんだか片側が満たされることで、自分にももっと流れが欲しくなる。

流しそうめんじゃないけれど、水は流れていくから、ちゃんと麺も流してみたいな(ちょっと違う)。
自分が満たされてないと、惜しみなくってできない。

自分が干上がっていては惜しみなくなんてできないんだよね。

誰かに注いでパサパサな人は、また別のしっとりな人に惜しみになく注いでもらってっていう循環。

関西の人たちは、目上の人の介護を「順送り」と呼んでいたのが印象的でした。
そうやって社会のシステムが流れていくんだっていうことを病院で祖父母の介護しながらいつも耳にしていましたね。

今までは自分がパサパサにならない程度に受け取っていたけれど、これからはそうでなくてもいいのかもしれない。

自分がしっとりになればなるほど、他の人に注いであげられるし、きっと注げる場が出てくるんだねっていう気づきというかタイミング。

受け入れるのも注ぐのも、バルブいっぱい開けていい時期に来ている様子です。
全てに感謝と愛を今以上に込めながら動いて行けるタイミング。
私らしくて嬉しいね。

Revise

revise という単語は 再度見るというラテン語が語源のようだ。

白州正子さんのエッセイはTwitterぐらいの長さの文章が断片的に続くのが印象的。
直感の人という印象があるから、グダグダと考えないのだろう。
長いものを書くほど思考やテーマを長く抱きしめるタイプではないのかもしれない。
その辺り、ご主人の白洲次郎さんとは全く違う。
世界のあり方、その中での日本の立場やありうべき方向を考え続けて模索し続け、働き続けた方だから。

そういう彼を正子さんが理解できたとは思い難い。
とはいえ。
Play fast をモットーとした次郎さんとツイッター的な正子さんの行動スピードはさぞ波長が合ったことだろうと思ったりする。

白州家のお嬢さんが書いた料理本も持っているけれど、シンプルに季節のものをさらりという料理が多かったのもうなずける。

さて。
rivise というのは見直し、修正、改正という日本語があてはまる。

翻訳の仕事で難しいけれど面白いのはチェック、いわゆる見直し作業だ。
自分、または誰かがやった仕事をひたすらにチェックしていく。文法、適切な言葉の選び方、文意など。
ただ訳していくよりも能力がいるのになぜか翻訳業界では値段が安い方の仕事。笑

業者からは最近はもうチェックの仕事しか回って来ないことも多くなってしまった。
それぐらい、私のいる業界にも人材が増えてきたんだろう。

そういう仕事柄、辞書ばっかり読んでいる時期もある。
使える辞書はまぁ数冊しかないので、数万円するその辞書たちを取っ替え引っ替え眺めて考える。

ある時、その辞書の説明がなんとはなく「フィットしない」と感じることが多くなった。
その辞書の最終発行間際に先生はお亡くなりになったので、他の先生が後を継いで以降、当然大きな改編もなくかなりの時間が経っていた。

「時代に合わせたものにしたい」
私の中にふつふつとそういう思いが出てきた。
電子辞書、改編、自分で作るというよりは、今の時代にあったデバイスや表現に言葉たちを昇華させてあげたいという気持ちが強かった。

そのためのシステムを考え、プロトタイプを作り、いろんな人をへて、そういう話が何度か自分のところにやってきた。

愛用していた辞書の改編作業グループともコンタクトが取れたし、新しい辞書を作らないかという話もあった。

その度に、神様はちゃんと私に言葉たちを昇華させる仕事をさせてくれるのだと、プレゼンからの道すがらお礼を言っていたことを思い出す。

言葉というものは誰に属しているものでもないのだけれど、その言葉が誰かによって表現されると「権利」みたいなものが出てくる。

それを皆に広げようと思うと、「システム」にのせないといけない。そのためには同じ土俵で世界が見えていないといけない。

「権利」と「システム」が同じに回らないと、「言葉」の「再編集」という時代とフィットさせるというようなことが陽の目を見ることはない。

「システム」というのはみんなが理解して利用できないと機能しない。お金が入っていないSuikaで駅の改札を通り抜けようとするようなもので、使えない。
「権利」というのはシステムが円滑に回るようになるまでは、そのシステムを信用して預けてしまわないと、その権利が利権となって自らを潤すまではいかない。

その両輪が回って初めて、言葉を時代にフィットさせるというような壮大な話が出てくる。

時代と言葉のズレみたいなものに無関心な人は、その必要性を感じないから、そもそもこんな話すら意味をなさないかもしれない。

結局、「天命」とまで感じた仕事のために、「権利」と「システム」という旧世界の壁を乗り越えるための次の世界を見る梯子をかけることができなかった。

新しいものを生み出すよりも古いものをリバイズする方がずっとエネルギーがいるし、権利やシステムをすでに保持している人がそれを手放すことはない。彼らがその権利を使わせてやっても良いと言った時のギラリとした眼差し。
惜しむらくは珠のような言葉の集積が研究者ではなく政治家の手に渡っていた。

珠は磨かれなければ、ただただくすんでいくだけなのに。

結局、自分の掴んだ「言葉のずれ」みたいな「時代」との差異とはなんだったんだろうな、と思うままにしていたのだけれど、先日、また同じような「ズレ」に遭遇した。

良し悪しは別にして、いつもそのずれを自分の問題、自分のせいと考えてしまうのが私なのだけれど、そうじゃない、言葉と時代のずれという昔向き合っていた問題でしかないということに気づかせてもらった。

さて、ここからが問題で。
たくさんの言葉たちを「昇華させる」という作業ができないまま、わたしはその仕事から離れてしまった。
今度は自分ごととして、システムも権利も関係ない世界で自由に本質をつかみ直していきたいし、いけるような気もしている。

その先の世界を表現するための言葉の核を見つける旅。

味方。

また長くかけないで、久しぶりの更新です。

日本は今年は雨季じゃなかった梅雨が早いそうですね。
紫陽花を見ると大学時代に園芸の講義で聞いた、お滝さんという方と恋に落ちて紫陽花の学名にOtaksa(オタキサン)とつけたシーボルトのことを思い出します。(そのエピソードはリンクのウィキを参照してください)

好きな小説家は誰、という話から吉川英治先生を思い出し、まだ読んでいなかった源頼朝などをパラパラと読んでいます。
史実と想像の部分を調べながら読み進めるのが好きです。

そろそろたくさん睡蓮や蓮を目にする季節かなぁと思うとワクワクします。

泥水を吸って美しく気品を持って咲く姿に涅槃を重ねた昔の人は想像力があるなぁと思います。

さて。

相変わらず数字やら星の動きを真剣に勉強できてはいませんが、パーツパーツを調べては色々と考えていたりします。

その参考にしているブログの一つに、月星座がピンとこない人の本質みたいなのを抜粋している記事があったのです。

私の月星座では、警戒心が強くて、自分の足を引っ張りそうな敵を探して自らの能力が敵に見つからないように隠し、
それゆえに自分の能力を十分発揮できず、弱いと思った他人がつけ込んでくるということが多いので、敵と認識しないで、味方につければいいというようなことが書いてありました。

いい加減、年齢を経てくると「きゃー、当たってるぅぅぅ」なんていうのはもはやイマジネーションの世界でしかないのですが、
「そうか、味方につければいいのか」

と、新鮮でした。

味方につけるっていうのは、当て字でほんとうは「天皇」側につく「御方」だったそうです。

誰かに自分のことを好ましく思ってもらうことよりも、この一瞬、正誤は別にして私の側に理解を示してもらいやすいように振る舞うぐらいならもう少し容易かもしれない。

と、なぜか思えたことも不思議で。

人によっては逆に感じる人もいるだろうし、味方は寝返るかもしれないとか思うかもしれない。

まだ色々考えてるところなのですが。
周りを敵だと思わないということ。

この言葉が身にしみてから、もう街でもどこでもそう思いながら人と相対するようにしています。
そうすると確かに少し構えた部分が収まって、気楽な風が今までよりも吹いている気がして、少し今までよりも楽しく感じています。

生きてれば矢面、な時代からうまくみんなを味方につけていけるような感じに変わっていけているのならそれはそれでいいのかなぁと。

魂のreboot

今日お借りした画像は、慈母観音です。

若い時、私の荒ぶった何かを諌められるような人がいて。
とても大切だったのだけれど、なんだか色々うまくいかなかった。

最後の最後、私の尊敬や信頼、全てが全部粉々になって、私は人を憎むということを覚えた。
もうこの世に存在して欲しくないと心の底から願ったのは後にも先にもその人に対してだけだと思う。

持ったことのない感情に自分がどうすればいいかわからない何年かがあって、それを許す過程が何年かあった。
10年ぐらいかけて、私は自分の鬼のような部分を知り、対峙した。

もうすっかり忘れていた。
その人の存在も、出来事も感情も全てもう私の記憶から消去されていた。
私は穏やかな気持ちでその人と手を繋いで歩いていた。もちろん夢の中で。

昔のような依り頼む気持ちも、そのあとのような恨みもない。
何を話していたかは覚えていないけれど、穏やかに話をしていた。

そして、手を離し、さようなら、と言ったところで目が覚めた。

天国への道を歩いているような真っ白な夢だった。
私の記憶は真っ暗な嵐で終わっていたから、対照的だ。

その人との最後のトラブルは、携帯電話だった。
起きてみると、寝る前までなんともな買った、充電中のiPhoneは電源が入らなくなっていた。

何かが切り替わったことを知らせてくれているような気がした。
淡々とネットで再起動方法を調べて電源を入れる。

今の私にとって自然なことなのだけれど。
知らないところで黙々と行われていたアップデートが終わったのだろうか。

リブートして新しい私にシステムが更新されたのね。

意識と無意識の横並び

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「バカの壁」で有名な養老孟司先生が、新刊「遺言」を出されたというプロモーションビデオを先生の飼い猫「まる」の可愛らしさにユーチュブで拝見していた。冒頭、養老先生が「意識」ということに皆あまり注意を払っていないのではないかということをお話ししていらした。

私にも思い当たる節がある。私はフェイスブックで幾つかのグループに入っているのだけれど、誰かが何かを買ったと言えば、そのグループの何十人もの人が「私も買っちゃいました」という書き込みをする。ある人が、何かを掲げて旅先から写真を撮れば「私もやってみたかったの」と真似する。写本や今日のひとことをアップするのがブームになったかと思いきや、次はその筆記具をテーマの小説というように。

タイムラインに流れてくるのをナナメ見しているだけで、十分に人間の意識や創造性について感じることがないわけではない。
「あの人が買ったから」「みんな持っているから」なんていうのは、小学生が欲しいおもちゃや女の子が欲しい洋服を欲しい時に使うセリフだと思っていたら、どうやらそうではないのだということを今更ながらに感じる。

まぁ、趣味のものに「必要」なんていう概念は当てはまらないので、「欲しいか欲しくないか」が購入や行動の基準に値する唯一のものなのだろうけれど、その基準こそは自分の矜持であり、自分を自分たらしめるものだろうと思っているから、その不思議な状況を動物園の檻の中なのか外なのか、全く別世界として眺めている。

よく会うお友達との会話やふと目や耳にしたものを真似してすることは別に今に始まった事ではないけれど、オンライン上で絶え間なく流れてくる情報も”内輪の流行”のようにやらないと仲間はずれ的な暗黙の強制による行動が集団心理のなすものなのか、それとも無意識なのかわからない。

真似してみるが高じて、「新しいものが欲しいのだけれど、何を買えばいいですか?」なんていう問いかけがたくさん溢れているのを見ると、私には「あえて考えないようにする」という作業の一環のようにすら映ってしまう。欲しいものを選ぶという一番楽しい行為ですら、他人に任せてしまうのだ。それならなぜ買うのだ?というツッコミなんて誰からも発せらることもなく、嬉々として「これがいいんじゃない?」「僕はあれを薦めますよ」なんていうのが延々と続く。

反対に、食べ物のグループなどはエキセントリックな人が多い。キーキーやる人がたくさんいるにもかかわらず、「こういうの買ったんだけれど大丈夫ですか?」というアップがくりかえされる。誰も「ググレカス」とか言わないで、大丈夫派とダメ派に分かれて口汚く罵り合うのはもうなんなんだろう。笑うしかない。自分が選択して食べたり食べなかったりすればいいのに、どうして人が食べる物の善し悪しをおかずにして喧嘩するんだろう。ダメって言われた食品はそのままゴミ箱に行くんだろうか。基準がわからなくて、他人が判断できないものを他人に判断を任せるという行動は何のためにされるのかという疑問はいつまでも解消されない。

誰もダメ出ししないジェントルなグループは平和で喧嘩がなくて居心地は良さ気なんだけれど、それが増長すると「買うということの自己正当化」とかグダグダにしか映らない関係性が残念すぎる。まぁ、それが社会だったり集団だったりするのかもしれない。それが好きな人たちが集まっているのだし、強制されているわけでもないのだから。その一点で彼らは「自由」なはずなのだ。

どちらの集団においても「考えない」ことが集団の存在意義なのかもしれない。「自意識」の欠如と言えるほど、集団で自己の意識を他に向け、無意識からの信号を無視するような。それはある意味「空」であり、宗教的な存在なのかもしれない。これは私が普段から実践している「滅私」とは全く違う。滅私は突き抜けるほどより集団的な宗教性からは乖離していく。滅私の方向性は宇宙との合一だから、あらゆる根拠や判断が特定のものに委ねられることはない。むしろ、意識的に宇宙から流れてくる無意識かの情報も含めて敏感に察知して、自らの下す決断に生かすことが私の考える滅私の大きな軸の一つである。

日本人が私は無宗教だと言いながら宗教的だと感じさせられるのはこういうところにあるのかもしれない、とふと気がついた。

 

 

 

持たないことと使うこと

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できるだけものを持たないという話を自分の中でまとめて間もないのに、毎年のようにまた変わりなく、スケジュール帳と日記帳を探す時期がやってきた。

偶然、買い求めに行ったら毎年使うものが揃っていなくてふと、考えた。
「そういえば毎年書いたものが束になっているよな」と。

小学4年生の時から日記と言えるかどうかわからないものを書き続けていて、もう数十年分は処分して、留学時代の数冊と近年のものだけ残していたのだけれど、留学時代のそれらは先日の終活で処分してしまった。

せっかく処分したのに、また私ってば捨てるべきものを作るのか。
という気持ちが頭をもたげる。

社会が一人一台コンピューターや、スマートフォンの時代の始まりの頃から「すべてをデータ化する」というミッションがIT業界の中に前提となっているのは誰もが意識してようともしていなくとも公然の事実なのだろうと思う。「テレビのチャンネルを変えて」「エアコンの温度下げて」みたいな今まではデータとしての価値すら見出せないような瑣末なことですら、GoogleのAIスピーカーのGoogle home などにかかってしまえば、結果的にビッグデータとなる未来が確実に我々の社会の一部になり始めている。

終活という視点から見ると、パソコンのハードディスクを粉々にしてもらえれば、自分の所有をしてもらっていたものが自分と一緒に消えてしまうのは処分してもらうことを考えると簡単だろうと思うし、私も多少は気が楽だ。

パソコンやスマートフォンの「記録」のためのアプリや製品は昔から随分注目して、実際自分でも使ったりしてきたけれど、最近は「記録」と「データ化」をつなぐアイテムも含めていろいろと出てきている。

ちょうどその時にたまたまKindleで提供してもらう無料の一冊で「日記の魔力」表 三郎 著を読んだところ、彼がデジタルな日記の利点を随分と力説されていて、なるほどと思うこともあったので、iPhoneで日記を書いてみることにした。

確かに、紙を持ち歩かなくていい、どこでも書ける、データの貼り付けも随分楽だから、悪くない。順調だなと感じられたのだけれど。

字が書きたくなって仕方がなくなったのだ。

日記や手帳を書くことで満たされていた書きたいという願望が切々と。

書くということの効用は明らかに打つということと違うのだと改めて実感する。

かの国の言葉の仕事をしていた時に、最初の本はお師匠との共著予定だった。彼は原稿は原稿用紙に書かないといけない、という主義だったのでワープロも当時はおぼつかず、自分で入力はしないと宣言していたので、彼の本はこれまたアナログの編集者がそれをぽつぽつと入力していたと聞いた。結果、彼の遅筆のおかげで?私の専門分野で最初の本を単著にできたのは、まさにたなからぼたもち、ありがたい幸運をいただいた。

人に見せる書きものと自分のための書き物は正確には少し違う。私も原稿はデータで入稿したけれど、その元になるもののほとんどは指を動かしながら脳を動かし、書いていた。人に見せるためのデータ化だったわけだ。

「書く」という作業には「打つ」のとはまた違う、思索の放出を促す何かがあるのだろうか。先ほどの表さんはその著書の中で、日記は直接入力していても、「読む」時には「紙」に打ち出して読む方が頭に入り、より精査できるということを述べている。それに、誤植が画面で確認しているよりも見つかる確率が上がるのも事実だ。

脳神経と末梢神経の関係は深く、指や手のひらへの刺激は脳を刺激することはよく知られているし、手仕事をする人たちの多くが若々しくいらっしゃるのも通じるところがあるのではないかしらと思う。

ということは、「書く」と「打つ」では脳からの出力に多少の違いがあるのかもしれないということを久しぶりに体感することになった。

書くための道具や書かれる紙にこだわるのも、もしかしたらその多少の刺激の差に自分のフィットする如何があるのではないかと考えると、最善の一本、状況に適した一本を探そうという試みもそれほど理解が苦しいものではなくなるから不思議だ。

で、私は結局どうするのだろう。

まだ結論を出すまでには至ってないけれど、せっかくの少ない楽しみを自分がいなくなった後のことにばかり注目して我慢するのもおかしいので、処分のタイミングだけうまく考えればいいのかな、他とのバランスをとりながら。

 

 

 

 

 

持たないということ。

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(写真はお借りしました)
日本に帰国したばかりの時にテレビをつけたら、池波志乃さんご夫婦が終活の話をされていた。

ご病気を経て、周りの人やパートナーに自分たちの片付けを託すのはどうだろうと考えて、ご主人さまと相談しながら、書籍や写真、ご自身の作品やアトリエなどを処分されてたお話をされていた。

池波志乃さんはしっとりした雰囲気がとても素敵で、パートナーである旦那様に対する接し方やあり方も近しいなと思っていたこともあり、終活の意味がすっと心に入ってきた。

数年間、自分の小さなお城だった場所に帰る事もなく暮らしていてよくわかったのは、必要だと思っていたものって実はそうでもないのかもしれないということだった。

事実、帰国するまでの数年間、いつもスーツケースに入る量をいつも測りながら、いつでもどこかに移動できるように注意して暮らしていた。

若い頃から「ここではない何処か」を求め続けていたから、いつも自分が今いる場所から出て行く心算をいつもどこかでしている感じがある。実家で暮らしていた頃は、なんでもすぐ手放しすぎると母に叱られたものだ。

それでも、今回帰国して、自分の壁を覆い尽くすだけの書籍の山と入りきらず詰め込んだままの書籍や自分の手から離れたビジネスの片鱗が詰まった段ボールの箱たちが私の部屋を覆い尽くしていたことを思い知らされた。

私はこの数年、これらを全く触ることも目に触れることがなくても、問題なく生きてきたっていうことはどうなんだろう。と改めて思った。

若い頃の私は寂しがりだったので、残しておくことが好きだった。たくさんの写真を撮っては綺麗に整頓し、山ほど日記を書いた。その束を近しい人もいない私のために誰が整理するのだろう。

20代ぐらいのものまでは本当に捨てられなかったもの以外はすべて処分したけれど、まだ残っていた。大事な人からの愛しい手紙、写真たち。

自分にとっての思い出は愛しいものでも、第三者にとってはそれが近しい家族であってもそれは処分に困るだろう。それは志乃さんたちが一番気になさっていたことでもあった。

着るもの、思い出の品、何であったとしてもエネルギーがこもっているから、そのエネルギーを放置しておくと、または無闇矢鱈にものを集めるということは自分自身が使うべきエネルギーの総量が減っていくのではないのかしら、ということを最近はよく感じる。

オークションなどで買い物ばかりしている人は、自分が手にしていないものを手にすることにばかりエネルギーを費やしているから、他に使うべきエネルギーを知らず知らずすっかり消耗しているのかもしれない。触れることのできない未確定なものを手に入れるということは、本当にエネルギーを使うから、手にした途端に関心を失って、また他の商品を手に入れるべく、画面にかじりつくのだろう。

何かを強く所有したいという気持ちには際限がない、それが欲なのだと、とある文房具を愛でる人達のフェイスブックの会で思い知らされたのも良いきっかけだった。人が買ったら欲しい、あの人が持っているのが良さそうだ。欲はとどまることを知らない。

そうやって、ものを所有することのエネルギーもそれによって放散されるエネルギー(お金も含めて)にも気がつかず、モノや思い出に埋もれてしまうのかもしれない。テレビで見るようなゴミ屋敷と何が違うのだろう。愛でるものの違いでしかないのではなかろうか。いくら自分が大事にしていても、その価値がない人にとってはゴミも同然、なのだ。

ものを買う時のワクワクと楽しく幸せな感覚を使い続けても持ち続けられる商品というのは実はあまり多くないのかもしれない。だけれど、そういうこちらのだけを身の回りに置いておければ、人の関心や流行やディスプレイに惑わされて自分の他に使うエネルギーを使わなければ、誰かの手をわずらわせたり、モノたちが不本意な最後を迎えることもないのではないかしら。

思い出は心の中に。長く愛せるモノをできるだけミニマムに循環させながら暮らしたい。
私の遺品を整理する誰かにはあまり煩わせないようにと、今から考えていたりする。

もう、基本的に自分のものは最低限で、手放しのフェーズに入っていいのではないかしらと思っている。

モノは経験をサポートするための道具でしかない。それなのに経験の目的が道具を揃えることとなってしまうのは、ある意味豊かになりすぎた結果なのかもしれない。

年齢を重ねていくと、どんどんと経験に対する制限を感じるから人はモノに走るのかもしれない。

ご主人が亡くなって、自分が癌に侵されていると知った、ノルマさんは息子さんご夫婦とワンちゃんと一緒にキャンピングカーで旅に出た。彼女たちのFacebookページをずっとフォローしているのだけれど、彼女の笑顔や表情を見れば、経験することの素晴らしさが本当によくわかる。死ぬまでに見たい景色を体験しに。その体験が彼女をどんどん元気にし、今も彼女は経験を重ねている。
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今までの人生、好き勝手もしてきたけれど、恩返しをしないととか、働いていないと後ろめたいような気持ちがつよくて、いろいろな経験をしないようにして過ごしてきた気がするから、これからは見たいものを見て、経験するために残りの時間をすごそう、そう決めている。

経験の土台

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先週のことですが、また年齢を一つ重ねました。

毎年、反省をして抱負を書いていますが。

昔から実は誕生日があまり得意ではありません。そこに意味づけすることが当たり前な風潮に一生懸命乗っかっていた気がしますが、今年はそんな気遣いをすることもなく、あたふたと着物を着付けてお稽古前に天満宮にお参りをし、たっぷりと汗をかきながら踊った1日でした。

近頃、どうして人間はそんなに話すことがあるのだろうと思います。どうしてそんなに人に理解されようとしたり、言葉の羅列を延々と誰かを相手に続けているのだろうと不思議になります。

かの国にいた時、延々と電話で話し続ける彼らを見て「何をそんなにしゃべることがあるのだろう」と不思議に思っていましたが、実はこの国でも同じでした。

教えていても、文章を書いていても、通訳をしていても「どうして理解できないのだろう」と思うことがありました。それは自分の下手さが原因なんだと長く自分を責めながら、頑張ってきましたが、この数年そういうことをパタンとやめてしまいました。

理解できないという事実に理解して欲しいという感情は無力なのです。

翻訳にしても通訳にしても、文章の良し悪しを語る前に、「共通する認識の土台」の程度を測る必要をいつもかんじていました。

例えば、ある国が世界地図のどの辺りにあって、豊かなのか貧乏なのか、暑いのか寒いのかちょうどいい頃合いの気候なのかぐらい知らないと、その国の人に対する想像力なんて及びもつかないわけです。

余談ですが、声調言語の国で、知識階級の人には通じる自分の発音が、地元の農家や警察官には通じないということはよくあります。(除く外国人のお相手がプロフェッショナルな人)それは、知識階級の人たち、すなわち想像力や集約力が高い人たちのほうが、お粗末な外国人の発音や癖を文脈なども併せて類推して理解できる能力が高いということです。

どちらにしても、たくさんの情報を集約して無意識にでも分析し、「こういうことかもしれないね」と想像力を働かすことができるのは、ある程度の「土台」があってこそのことだと考えています。

大学時代、私が卒業するのと同時に、私のお師匠である指導教官がサバティカルをとって、外国に旅立ちました。それまで、本と格闘しながら、ひたすらに学問に打ち込んだ彼が旅立った理由を数年後、帰国した彼にたずねたことがありました。

大学生の私は自分の行き道がわからなくてあちこちに頭をぶつけた傷だらけの猫のようでした。誰とも共有するだけの土台がなく、学問の中にその答えを見つけるべく、ふらふらと歩きながらみーみーと鳴いていたような気がします。私の指導教官は、頭をぶつけすぎてアホになっていた私の前に餌を置いて、こちらを歩いてみたら、と印をつけてくれた人でした。

頭をぶつけなくなった私はパワフルにその道をグイグイ進みました。呆れるほどに。

昇華できていない経験の塊と格闘するその姿が彼には強烈だったようです。

経験だけによって得られるもの。

その凄さを実は君は僕に見せてたんだよ。と、お互いの顔なんて見ることもなく、グラスを傾けながらポツリと恥ずかしそうに言ったことを思い出します。

この数ヶ月、自分の中にあったエアポケットのような何にも侵されない圧倒的な静寂を持つ空間が大きくなって、心地よく静かな時を今まで以上に過ごせることが多くなりました。

いろいろな経験は人を雄弁にも寡黙にもします。

人に理解を求めるより、自分が何かを理解するために、淡々と経験を積み重ねてたいと思います。よりたくさんのことが理解し、想像できるような経験の土台を強くしていきたいです。

それが結果的に、世界や社会のためになるようなことであれば良いですし、まずは自分が美しくおだやかに存在し、身近な人を心より大切にして感謝して愛していければ、それが一番ありがたいことだと思っています。