意識と無意識の横並び

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「バカの壁」で有名な養老孟司先生が、新刊「遺言」を出されたというプロモーションビデオを先生の飼い猫「まる」の可愛らしさにユーチュブで拝見していた。冒頭、養老先生が「意識」ということに皆あまり注意を払っていないのではないかということをお話ししていらした。

私にも思い当たる節がある。私はフェイスブックで幾つかのグループに入っているのだけれど、誰かが何かを買ったと言えば、そのグループの何十人もの人が「私も買っちゃいました」という書き込みをする。ある人が、何かを掲げて旅先から写真を撮れば「私もやってみたかったの」と真似する。写本や今日のひとことをアップするのがブームになったかと思いきや、次はその筆記具をテーマの小説というように。

タイムラインに流れてくるのをナナメ見しているだけで、十分に人間の意識や創造性について感じることがないわけではない。
「あの人が買ったから」「みんな持っているから」なんていうのは、小学生が欲しいおもちゃや女の子が欲しい洋服を欲しい時に使うセリフだと思っていたら、どうやらそうではないのだということを今更ながらに感じる。

まぁ、趣味のものに「必要」なんていう概念は当てはまらないので、「欲しいか欲しくないか」が購入や行動の基準に値する唯一のものなのだろうけれど、その基準こそは自分の矜持であり、自分を自分たらしめるものだろうと思っているから、その不思議な状況を動物園の檻の中なのか外なのか、全く別世界として眺めている。

よく会うお友達との会話やふと目や耳にしたものを真似してすることは別に今に始まった事ではないけれど、オンライン上で絶え間なく流れてくる情報も”内輪の流行”のようにやらないと仲間はずれ的な暗黙の強制による行動が集団心理のなすものなのか、それとも無意識なのかわからない。

真似してみるが高じて、「新しいものが欲しいのだけれど、何を買えばいいですか?」なんていう問いかけがたくさん溢れているのを見ると、私には「あえて考えないようにする」という作業の一環のようにすら映ってしまう。欲しいものを選ぶという一番楽しい行為ですら、他人に任せてしまうのだ。それならなぜ買うのだ?というツッコミなんて誰からも発せらることもなく、嬉々として「これがいいんじゃない?」「僕はあれを薦めますよ」なんていうのが延々と続く。

反対に、食べ物のグループなどはエキセントリックな人が多い。キーキーやる人がたくさんいるにもかかわらず、「こういうの買ったんだけれど大丈夫ですか?」というアップがくりかえされる。誰も「ググレカス」とか言わないで、大丈夫派とダメ派に分かれて口汚く罵り合うのはもうなんなんだろう。笑うしかない。自分が選択して食べたり食べなかったりすればいいのに、どうして人が食べる物の善し悪しをおかずにして喧嘩するんだろう。ダメって言われた食品はそのままゴミ箱に行くんだろうか。基準がわからなくて、他人が判断できないものを他人に判断を任せるという行動は何のためにされるのかという疑問はいつまでも解消されない。

誰もダメ出ししないジェントルなグループは平和で喧嘩がなくて居心地は良さ気なんだけれど、それが増長すると「買うということの自己正当化」とかグダグダにしか映らない関係性が残念すぎる。まぁ、それが社会だったり集団だったりするのかもしれない。それが好きな人たちが集まっているのだし、強制されているわけでもないのだから。その一点で彼らは「自由」なはずなのだ。

どちらの集団においても「考えない」ことが集団の存在意義なのかもしれない。「自意識」の欠如と言えるほど、集団で自己の意識を他に向け、無意識からの信号を無視するような。それはある意味「空」であり、宗教的な存在なのかもしれない。これは私が普段から実践している「滅私」とは全く違う。滅私は突き抜けるほどより集団的な宗教性からは乖離していく。滅私の方向性は宇宙との合一だから、あらゆる根拠や判断が特定のものに委ねられることはない。むしろ、意識的に宇宙から流れてくる無意識かの情報も含めて敏感に察知して、自らの下す決断に生かすことが私の考える滅私の大きな軸の一つである。

日本人が私は無宗教だと言いながら宗教的だと感じさせられるのはこういうところにあるのかもしれない、とふと気がついた。

 

 

 

持たないことと使うこと

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できるだけものを持たないという話を自分の中でまとめて間もないのに、毎年のようにまた変わりなく、スケジュール帳と日記帳を探す時期がやってきた。

偶然、買い求めに行ったら毎年使うものが揃っていなくてふと、考えた。
「そういえば毎年書いたものが束になっているよな」と。

小学4年生の時から日記と言えるかどうかわからないものを書き続けていて、もう数十年分は処分して、留学時代の数冊と近年のものだけ残していたのだけれど、留学時代のそれらは先日の終活で処分してしまった。

せっかく処分したのに、また私ってば捨てるべきものを作るのか。
という気持ちが頭をもたげる。

社会が一人一台コンピューターや、スマートフォンの時代の始まりの頃から「すべてをデータ化する」というミッションがIT業界の中に前提となっているのは誰もが意識してようともしていなくとも公然の事実なのだろうと思う。「テレビのチャンネルを変えて」「エアコンの温度下げて」みたいな今まではデータとしての価値すら見出せないような瑣末なことですら、GoogleのAIスピーカーのGoogle home などにかかってしまえば、結果的にビッグデータとなる未来が確実に我々の社会の一部になり始めている。

終活という視点から見ると、パソコンのハードディスクを粉々にしてもらえれば、自分の所有をしてもらっていたものが自分と一緒に消えてしまうのは処分してもらうことを考えると簡単だろうと思うし、私も多少は気が楽だ。

パソコンやスマートフォンの「記録」のためのアプリや製品は昔から随分注目して、実際自分でも使ったりしてきたけれど、最近は「記録」と「データ化」をつなぐアイテムも含めていろいろと出てきている。

ちょうどその時にたまたまKindleで提供してもらう無料の一冊で「日記の魔力」表 三郎 著を読んだところ、彼がデジタルな日記の利点を随分と力説されていて、なるほどと思うこともあったので、iPhoneで日記を書いてみることにした。

確かに、紙を持ち歩かなくていい、どこでも書ける、データの貼り付けも随分楽だから、悪くない。順調だなと感じられたのだけれど。

字が書きたくなって仕方がなくなったのだ。

日記や手帳を書くことで満たされていた書きたいという願望が切々と。

書くということの効用は明らかに打つということと違うのだと改めて実感する。

かの国の言葉の仕事をしていた時に、最初の本はお師匠との共著予定だった。彼は原稿は原稿用紙に書かないといけない、という主義だったのでワープロも当時はおぼつかず、自分で入力はしないと宣言していたので、彼の本はこれまたアナログの編集者がそれをぽつぽつと入力していたと聞いた。結果、彼の遅筆のおかげで?私の専門分野で最初の本を単著にできたのは、まさにたなからぼたもち、ありがたい幸運をいただいた。

人に見せる書きものと自分のための書き物は正確には少し違う。私も原稿はデータで入稿したけれど、その元になるもののほとんどは指を動かしながら脳を動かし、書いていた。人に見せるためのデータ化だったわけだ。

「書く」という作業には「打つ」のとはまた違う、思索の放出を促す何かがあるのだろうか。先ほどの表さんはその著書の中で、日記は直接入力していても、「読む」時には「紙」に打ち出して読む方が頭に入り、より精査できるということを述べている。それに、誤植が画面で確認しているよりも見つかる確率が上がるのも事実だ。

脳神経と末梢神経の関係は深く、指や手のひらへの刺激は脳を刺激することはよく知られているし、手仕事をする人たちの多くが若々しくいらっしゃるのも通じるところがあるのではないかしらと思う。

ということは、「書く」と「打つ」では脳からの出力に多少の違いがあるのかもしれないということを久しぶりに体感することになった。

書くための道具や書かれる紙にこだわるのも、もしかしたらその多少の刺激の差に自分のフィットする如何があるのではないかと考えると、最善の一本、状況に適した一本を探そうという試みもそれほど理解が苦しいものではなくなるから不思議だ。

で、私は結局どうするのだろう。

まだ結論を出すまでには至ってないけれど、せっかくの少ない楽しみを自分がいなくなった後のことにばかり注目して我慢するのもおかしいので、処分のタイミングだけうまく考えればいいのかな、他とのバランスをとりながら。

 

 

 

 

 

持たないということ。

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(写真はお借りしました)
日本に帰国したばかりの時にテレビをつけたら、池波志乃さんご夫婦が終活の話をされていた。

ご病気を経て、周りの人やパートナーに自分たちの片付けを託すのはどうだろうと考えて、ご主人さまと相談しながら、書籍や写真、ご自身の作品やアトリエなどを処分されてたお話をされていた。

池波志乃さんはしっとりした雰囲気がとても素敵で、パートナーである旦那様に対する接し方やあり方も近しいなと思っていたこともあり、終活の意味がすっと心に入ってきた。

数年間、自分の小さなお城だった場所に帰る事もなく暮らしていてよくわかったのは、必要だと思っていたものって実はそうでもないのかもしれないということだった。

事実、帰国するまでの数年間、いつもスーツケースに入る量をいつも測りながら、いつでもどこかに移動できるように注意して暮らしていた。

若い頃から「ここではない何処か」を求め続けていたから、いつも自分が今いる場所から出て行く心算をいつもどこかでしている感じがある。実家で暮らしていた頃は、なんでもすぐ手放しすぎると母に叱られたものだ。

それでも、今回帰国して、自分の壁を覆い尽くすだけの書籍の山と入りきらず詰め込んだままの書籍や自分の手から離れたビジネスの片鱗が詰まった段ボールの箱たちが私の部屋を覆い尽くしていたことを思い知らされた。

私はこの数年、これらを全く触ることも目に触れることがなくても、問題なく生きてきたっていうことはどうなんだろう。と改めて思った。

若い頃の私は寂しがりだったので、残しておくことが好きだった。たくさんの写真を撮っては綺麗に整頓し、山ほど日記を書いた。その束を近しい人もいない私のために誰が整理するのだろう。

20代ぐらいのものまでは本当に捨てられなかったもの以外はすべて処分したけれど、まだ残っていた。大事な人からの愛しい手紙、写真たち。

自分にとっての思い出は愛しいものでも、第三者にとってはそれが近しい家族であってもそれは処分に困るだろう。それは志乃さんたちが一番気になさっていたことでもあった。

着るもの、思い出の品、何であったとしてもエネルギーがこもっているから、そのエネルギーを放置しておくと、または無闇矢鱈にものを集めるということは自分自身が使うべきエネルギーの総量が減っていくのではないのかしら、ということを最近はよく感じる。

オークションなどで買い物ばかりしている人は、自分が手にしていないものを手にすることにばかりエネルギーを費やしているから、他に使うべきエネルギーを知らず知らずすっかり消耗しているのかもしれない。触れることのできない未確定なものを手に入れるということは、本当にエネルギーを使うから、手にした途端に関心を失って、また他の商品を手に入れるべく、画面にかじりつくのだろう。

何かを強く所有したいという気持ちには際限がない、それが欲なのだと、とある文房具を愛でる人達のフェイスブックの会で思い知らされたのも良いきっかけだった。人が買ったら欲しい、あの人が持っているのが良さそうだ。欲はとどまることを知らない。

そうやって、ものを所有することのエネルギーもそれによって放散されるエネルギー(お金も含めて)にも気がつかず、モノや思い出に埋もれてしまうのかもしれない。テレビで見るようなゴミ屋敷と何が違うのだろう。愛でるものの違いでしかないのではなかろうか。いくら自分が大事にしていても、その価値がない人にとってはゴミも同然、なのだ。

ものを買う時のワクワクと楽しく幸せな感覚を使い続けても持ち続けられる商品というのは実はあまり多くないのかもしれない。だけれど、そういうこちらのだけを身の回りに置いておければ、人の関心や流行やディスプレイに惑わされて自分の他に使うエネルギーを使わなければ、誰かの手をわずらわせたり、モノたちが不本意な最後を迎えることもないのではないかしら。

思い出は心の中に。長く愛せるモノをできるだけミニマムに循環させながら暮らしたい。
私の遺品を整理する誰かにはあまり煩わせないようにと、今から考えていたりする。

もう、基本的に自分のものは最低限で、手放しのフェーズに入っていいのではないかしらと思っている。

モノは経験をサポートするための道具でしかない。それなのに経験の目的が道具を揃えることとなってしまうのは、ある意味豊かになりすぎた結果なのかもしれない。

年齢を重ねていくと、どんどんと経験に対する制限を感じるから人はモノに走るのかもしれない。

ご主人が亡くなって、自分が癌に侵されていると知った、ノルマさんは息子さんご夫婦とワンちゃんと一緒にキャンピングカーで旅に出た。彼女たちのFacebookページをずっとフォローしているのだけれど、彼女の笑顔や表情を見れば、経験することの素晴らしさが本当によくわかる。死ぬまでに見たい景色を体験しに。その体験が彼女をどんどん元気にし、今も彼女は経験を重ねている。
日本語の記事はこちら

今までの人生、好き勝手もしてきたけれど、恩返しをしないととか、働いていないと後ろめたいような気持ちがつよくて、いろいろな経験をしないようにして過ごしてきた気がするから、これからは見たいものを見て、経験するために残りの時間をすごそう、そう決めている。

経験の土台

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先週のことですが、また年齢を一つ重ねました。

毎年、反省をして抱負を書いていますが。

昔から実は誕生日があまり得意ではありません。そこに意味づけすることが当たり前な風潮に一生懸命乗っかっていた気がしますが、今年はそんな気遣いをすることもなく、あたふたと着物を着付けてお稽古前に天満宮にお参りをし、たっぷりと汗をかきながら踊った1日でした。

近頃、どうして人間はそんなに話すことがあるのだろうと思います。どうしてそんなに人に理解されようとしたり、言葉の羅列を延々と誰かを相手に続けているのだろうと不思議になります。

かの国にいた時、延々と電話で話し続ける彼らを見て「何をそんなにしゃべることがあるのだろう」と不思議に思っていましたが、実はこの国でも同じでした。

教えていても、文章を書いていても、通訳をしていても「どうして理解できないのだろう」と思うことがありました。それは自分の下手さが原因なんだと長く自分を責めながら、頑張ってきましたが、この数年そういうことをパタンとやめてしまいました。

理解できないという事実に理解して欲しいという感情は無力なのです。

翻訳にしても通訳にしても、文章の良し悪しを語る前に、「共通する認識の土台」の程度を測る必要をいつもかんじていました。

例えば、ある国が世界地図のどの辺りにあって、豊かなのか貧乏なのか、暑いのか寒いのかちょうどいい頃合いの気候なのかぐらい知らないと、その国の人に対する想像力なんて及びもつかないわけです。

余談ですが、声調言語の国で、知識階級の人には通じる自分の発音が、地元の農家や警察官には通じないということはよくあります。(除く外国人のお相手がプロフェッショナルな人)それは、知識階級の人たち、すなわち想像力や集約力が高い人たちのほうが、お粗末な外国人の発音や癖を文脈なども併せて類推して理解できる能力が高いということです。

どちらにしても、たくさんの情報を集約して無意識にでも分析し、「こういうことかもしれないね」と想像力を働かすことができるのは、ある程度の「土台」があってこそのことだと考えています。

大学時代、私が卒業するのと同時に、私のお師匠である指導教官がサバティカルをとって、外国に旅立ちました。それまで、本と格闘しながら、ひたすらに学問に打ち込んだ彼が旅立った理由を数年後、帰国した彼にたずねたことがありました。

大学生の私は自分の行き道がわからなくてあちこちに頭をぶつけた傷だらけの猫のようでした。誰とも共有するだけの土台がなく、学問の中にその答えを見つけるべく、ふらふらと歩きながらみーみーと鳴いていたような気がします。私の指導教官は、頭をぶつけすぎてアホになっていた私の前に餌を置いて、こちらを歩いてみたら、と印をつけてくれた人でした。

頭をぶつけなくなった私はパワフルにその道をグイグイ進みました。呆れるほどに。

昇華できていない経験の塊と格闘するその姿が彼には強烈だったようです。

経験だけによって得られるもの。

その凄さを実は君は僕に見せてたんだよ。と、お互いの顔なんて見ることもなく、グラスを傾けながらポツリと恥ずかしそうに言ったことを思い出します。

この数ヶ月、自分の中にあったエアポケットのような何にも侵されない圧倒的な静寂を持つ空間が大きくなって、心地よく静かな時を今まで以上に過ごせることが多くなりました。

いろいろな経験は人を雄弁にも寡黙にもします。

人に理解を求めるより、自分が何かを理解するために、淡々と経験を積み重ねてたいと思います。よりたくさんのことが理解し、想像できるような経験の土台を強くしていきたいです。

それが結果的に、世界や社会のためになるようなことであれば良いですし、まずは自分が美しくおだやかに存在し、身近な人を心より大切にして感謝して愛していければ、それが一番ありがたいことだと思っています。

次への準備

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ネットサーフィンでヌイさんという方のブログとか文章の書き方が目にとまって、これは書き慣れていない人にはいいなぁと思いながら読んでいて。当該のエントリーが見つからないので大雑把にブログは貼っておきます。ヌイの脳内

大学をお休みして、丁寧に考えたり文章にしているすがたは20代にするべきことをきちんとこなしていらっしゃるなぁと思いながら見ています。私も一生懸命考えて、物を書いて、やらないといけないって思うことに邁進していたなぁ。彼女はゆとり世代らしく、もう少しゆったりした感じなのが今時かな、とも思うんですが、ガツガツ必死じゃないのもいい。

大学という空間と時間の中で私が存分に味わったものをふと懐かしく思ったりするわけです。

その彼女が書いていた、文章の書き方の中に”その文章が届いて欲しい相手”ペルソナをできるだけ詳しく仮定すると文章が書きやすいし、伝わりやすいよという話があったのです。

むかし、ブログというものが日本の世の中に出てきた頃、私には書きたいことがたくさんあって、なんとなくそれに共感してくれる悩める女子たちが、ひっそりと私のエントリを読んでは”一人ではないのだ”と思ってくれていたのだと思う。仕事のブログを書いていた時は、かの国のことが知りたい人や言葉がうまくなりたい人が読んでくれていたし、私だってそういう人に届くようにあれこれと言葉を紡いでいた。

はたと私の今を考えた時に、伝えたい相手や結果的に伝わって欲しい相手というのが全くイメージとして湧いてこないから、私は何も書かないのではないかしらとそのエントリを読んでからひとしきり”私のブログにとってのペルソナ”を探していた時に気がついたこと。

丁寧に考えれば考えるほど、カードゲームをやっているように一枚一枚手持ちのカードが減っていき、最後の一枚をテーブルの上に投げ出して”全然いい手がこなかったよ”というような感じだ。

いや、カードゲームだと最後手元に残るカードが自分にとっての最後の一枚。その人たちに届くように書けばいい。もしかすると昔はそれが”わたし”だったのかもしれない。書くことで自分に語りかけ、そうだよね、そう感じてるんだよね、という作業をしていたのが結果的に、孤独女子の琴線に触れていたと言ったほうが正しい。

それができなくなったのは、もしかすると滅私ということを見つめ続けた結果というか、成果というか。”私であって私でない”状態では”私の感じたこと”にそう重きを置かないから、一生懸命書いて話してアウトプットしなくても、その意識は宇宙と一体化して、変幻自在な存在として浮遊しているから、必須だった作業が全くもって必要なくなったわけであり。

ということで、つらつらと考え続けていたことの理由が今頃になってようやく見えてきたので、それを残しておくべく、こうやってまた文章が書けているのは幸せだし、楽しいこと。改めて文章を書くという時間は私にとってプレシャスなのだなぁと思う。

自分を収めるために書く必要がなくなった私は、誰かというペルソナを見つけて書くことができるのだろうか、書きたいのだろうか。どうやってその対象を絞るのだろうか、とふんわりと考えている。

私は自分の独りよがりにも見える文体が好きだ。読解力のない人に”あなたのブログは何を書いているかわからない”と言われようとも、誰かに教えるような居丈高なのは好まない。ハナにつく文章が多い時代、私は今までもそういう文章が苦手だったし、美しいとは思えない。何より自分が誰かに諭すように書いて楽しいのかどうか。仕事のブログが義務みたいに面白みのない文章だったのも、自分が楽しんでいなかったからだと今はわかる。

特にこの数年、自分の中のもともと強くある内向的な私に随分と羽を伸ばさせて、”インディアン白人皆友達やね、あんたは”と母に言われたような社交的なわたしの存在とはあえて付き合おうとしなかった。ここまで羽を伸ばせたからこそ、ある意味自由になって解き放された気持ちすらしている。

新しい言葉を学び、新しい生活に順応していこうとしているこの時期に、積年の思索に何らかの出口が見えたことも何もかも、必然のタイミング。カミサマノイウトオリに感謝してただいまを見つめていればいいのだけれど、今までとは違う変化の萌芽を感じている。

心身の基礎体力

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美しい佇まいというのは実は自分の持てる元々の力がしっかりあることが大事なのでは、という最近の気づき。

美しくあるためにはある程度の力(パワー、経験)などがないとやはり美しくなりえない。自分で着物を着付けられるのと、美しく着付けられるのとは全く違う。着物を着つけるのは以外と力仕事で、帯をしっかり締めるにはテクニックも力もある程度必要。そのためには頻繁に着付けないとねっていう感じだと思う。

着物の世界は奥が深いから、それ以外にもたくさんの約束事や覚えておくこともあって、ただそれだけとは言えないとは思うけれど。

日常生活のふとした立ち振る舞いだってそういうことなのかもしれないと思う。
自分の手に余ることを人はたくさんしないといけない毎日では、どうしても自分の持てる力以上のことを無理やりやることの連続なのかもしれない。力があったとしても、疲れていて本調子ではなかったりする日もあるだろう。

家にあるものが溢れるのだって、散らかるのも、家の中に置き場のない、”オーバーキャパシティ”の状態だ。

私たちはそうやって精神的にも物質的にも”オーバーキャパシティ”な世界にいるのかもしれない。インターネットの中ですら、情報があふれてた世界。

”断捨離”という言葉がもてはやされて、皆がものを簡単に購入するのと同じように手放すことを促すようにはなった。
”瞑想”だって、オーバーキャパシティの自分の脳みそや心を少し休ませることだ。

それが日常になるということは、人間の体と同じで入ってきたものを規則正しく出しているだけだ、とも言える。

次の段階では、入ってくるものを減らしたり、より選ぶようになる。
快適な循環のためにはそれがスムースだから。

やらないとどんどん溜まっていく。
嫌になってそれを見てみないふりをしたりもするだろう。
でもそれはまた別の話。

そうやってルーティンとしての浄化、入ってくるものの精査をしたって、自分のキャパシティが大きくなるわけではない。
浄化と美しくある有り様はイコールではないのだ。

毎日同じことをしていても、年を重ねると若い時のように気も心も変化する。若い頃のように、気力が充実した頃のように、行かないこともいろいろとあるのかもしれない。そう感じることを少しでも遅くすることができるとするならば、それは自分の心身の体力作りを怠らないということなのだろうと思う。

例えば、無理やり持った重い荷物をたとえ持てたとしても、静かに置けるのかどうか、”あー重たいっ!”と放り投げないのには自分の体力が必須なのだ。それは最後まで丁寧にやり遂げることに気遣うことよりももしかすると基本的なことなのかもしれない。

人が美しく年を重ねて、より成長しながら生きていくためには、実は心身の基礎体力を少しずつでも高める努力を怠らないことにあるのかもしれない。年を重ねるということがすなわち美しく、賢くなるということではないことは当然のこと。
だから、いくつになっても謙虚に毎日を新鮮に生き続けるというのは自分へのチャレンジとも言える。

寒さの中で凛と咲く梅のように。

 

 

変化の萌芽

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昨日は満月で、いろいろな星の動きを説明する専門家の人たちが、今回の満月はパラダイムシフトのような大きな動きですよ、という。

そういうことを新月や満月のたびに特別な意味を持っているようにいうのがお仕事と言ってしまえばそうともいえる事柄を、受け取る側が自分のタイミングで”これはちょっとスペシャルなのだ”と思うものなのだろうと思う。

とはいえ。
星の動きが多少ならずとも結果的にいろいろなこととシンクロしていることを知っている私としては、今の自分の周りの状況と照らし合わせても大切なタイミングかもしれない。

パラダイムシフトが起こると言っても、それは誰かにとっては精神のパラダイムシフトかもしれないし、なんだろう、何かしらの星の配置や有り様と自分自身、自分の周りの断片がシンクロしていることを私たちは星を語る人たちの言葉から見つけ出しているのだろう。

いずれにせよ、それは私たちの人生や精神に起こるもの”そのもの”ではなく、兆候に過ぎないのだけれど、その徴候っていうのが実はとても大事なのではないかと思う。

徴候、兆候、”きざし”は心静かに目を凝らしていないと見えない。
大きな動きになった時にはもう兆候、とは言えないから。

人には毎日24時間、365日が均等に与えられていて、その中で個人差はあっても皆、”日常”を生きている。その瞬間瞬間を全く想定が不可能なドラスティックな変化と共に生きている人は”日常”を生きているとは言えないが、ほとんどの人が好むと好まざるとに関わらず、自らの”日常”を生きている。

変化の萌芽は自分を取り巻く環境にも自分自身、精神、あらゆるところにある。
それが日常を結果的に変化させ、自らを変化させていくものだとも言える。
武道ではそういう萌芽を”おこり”と呼ぶのではないかと思っている。その”おこり”が小さければ小さいほど、相手に自分の動きを悟られずに優位に戦う機会を得る。

”おこり”を相手に感じさせないということは、逆に言うと自分がいかにその”おこり”を意識しているか、すなわち”変化の萌芽”を認識しているかということに通じるのではないかと感じている。自分の動き、変化の萌芽に無頓着であればあるほど、相手にはそれがよく見える。だから相手に攻撃されてもなぜそういう風になったのかが理解できない。

”おこり”を少なくする、というのは自覚の問題なので、相手に攻撃の隙を与えにくくするのだろう。

”変化の萌芽”は、どこにでも起こりうる。それをどれだけ自覚しているのか、まさにそれはヴィパサナ瞑想などでよく言われる、”自分の一挙手一動を意識する”ということにも通じる。彼らの瞑想のリーディングはまさに、”おこりの意識化”と言っていい。

”今、右足が地面から離れました”
”今、右足の膝が曲がりました”
”今、右足のかかとが地面に着きました”

延々と続く、行動の描写は、自分の体が起こそうとする動きを認識すること。
眠い、疲れたというような自主的ではない動きも、”変化の萌芽”として捕まえて、善悪なく自らの存在を認識しながら自己を解放していく手法だと私は理解している。

萌芽というのは水に投げ込んだ石のような大きなおこりをもって周りにはどうを広げるようなものではなく、もっとわずかで、小さく、謙虚な始まりで、ややもすると見過ごしてしまうようなものだから、それを見い出せるような心持ちを常に持つことが一つ自分の心身の安定性を測るバロメーターにもなっている。

そして、それが見出せた時に、過度に浮き足立つことも、過剰な意味づけをすることもなく、ただ淡々と、変化の萌芽を見つけたら、その先に広がる数多くの選択肢に謙虚に耳を傾け、目を見開いておくしかない。それこそが”カミサマノイウトオリ”に行動するための最善の方法と確信している。

漫然とした毎日であっても必ず誰の生活にも感情にも変化の萌芽はあるはずで、それを見ないふりをしたり、見過ごして過ごすのか、心身清らかにそれらを大切に育てていくのかによって人生は大きく変わるということをずいぶん長い時間をかけて学んできたように思う。

過去を見るのでも、先を見通すのでもない、ただその自身に起こる何かを意識することがいかに自分のスタンドポイントを教えてくれ、守ってくれるものなのかは、おそらくそう遠くない将来に明らかにされていくのだろう。もちろん、私のように何年もかけて明らかにされていくことだってあるのかもしれない。だけれど、それが人生なのだから、それでよかったのだろう。

”萌芽”は無理に見つけるものではない。その萌芽が意味するものが良いものであれ、悪いものであれ、いいや、その萌芽自体に善悪は内包されていない。ただ、自然と目の前に飛び込んできたり、手のひらにちょこんと乗っているもの、ということですら、体得するのに時間がかかったように思う。
実直にそれを求める姿勢がそうさせたのかもしれないけれど、明らかに違うのだと今の私はよくわかる。

以前、パートナーがよく、”状況証拠は全て揃っている”と刑事のような表現で私たちの周りに起こる不可思議な現象を表現していたのをふと思い出した。無意識が”それ、間違いない”という強烈なものを幾つか掴み取っていくことで、私たちは徐々にうまくそれらを捕まえて育てていけるようになったように思う。そうなると初めて外に出ることを許された深窓の令嬢よろしく、自由にあらゆる世界を闊歩するようになるのだけれど、それでも不思議なほど、冷静で穏やか。身体は街を自由に闊歩しながら、意識は暖かい暖炉のそばでコーヒーをいただきながら読書をしているような安堵感に満ちている。

その安堵感は先遣隊のように前もって合図をつかめているからこそのなのだと思う。
私にとって何より感謝すべきは、そばで同じ合図を掴んでいる人がいることなのだろう、そんな日常の積み重ねが私を解放してくれている。

 

2016年、年末。

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意外にも日本で数年ぶりにお正月を迎えられるとは想像もしなかったけれど、キンと冷えた大阪の台地の澄み切った空気はやはり日本に住むならこの辺りが最善と思わせてくれるよさがある。

シンプルとは、真のエレガンスの基本
“Simplicity is the keynote of all true ellegance.”

ココ・シャネルの潔いこの言葉はファッションのみならず、人生やライフスタイルにも重ねると一層味わい深くなる。

”ぱたん”と何かを表現する、思いを言葉にする、ということへの扉が自分の前で閉ざされた時、今までほど慌てずにいられたのは、無意識にかかえていたものを実は手放していたからかもしれない。

人間というのは何かを常に得ようとし、それを消費しようとし、消費しきれないものは蓄えることに専心する。それを複雑に多様な形で支援するのが消費社会のメカニズムの基本構造だ。

2年弱の”欲しいものが手に入らない”という暮らしと数年の”大事だと思っていたものが手元にない”暮らしは、”欲求”という思い込みと”本当のニーズ”みたいなものを自分の中からあぶり出す作業だったように思う。

数年ぶりに帰国した私は、小さな私の城から今まで手元にないとやっていけないと思っていたもののほとんどを追い出した。寂寥感など微塵もない、清々しく多少は広々とした自室でようやく安眠できるようになった。

シンプル、と言うことは社会や周りにとっての選択ではなく、自分自身にとっての選択なのだ。
そこに何物も介在しない、言い訳のないものだからこそのエレガンス。

日本を離れる以前は、遥か遠い場所のように感じられていた大阪城が本当に身近な場所になり、ここで私は自分自身をよりシンプルにしていくために自分と対話しながら整えていくことで、今までのことも、数年間の日本を離れた暮らしむき、傷ついていたこと、変化して強くなったこと、整理していき、対峙することで捨てていく。そういう時間が持てたことは本当に貴重だった。

折しも私が一人になって10年を迎えようとするので、一人でやってきたこと、これからのことも改めて考える契機にもなった。何年もかけて十分に一人ででき、一人を楽しめる人間になったことは事実だけれど、それでいいとは思わなくなったのも最大の変化だろうと思う。

Facebookのタイムラインで、レディガガのこの表現が目に入った時に、ファッション好きなには気の利いた表現だなぁと思った。

私は世界を変えようとしているの。スパンコールをひとつづつ飾るようにね
“And now, I’m just trying to change the world, one sequin at a time.”

私も世の中を少しでもよくできるようにと毎日を整えているけれど、それだけでは少し味気なくて、やはり心から愛する人がいて、その人と同じ時間を過ごし、その人を大事にする日常もまた、私はスパンコールの一枚一枚だと言えるのではないかしら、と改めて気付かされた。そしてそのような日常を選択していくのだ、ということに。日常という今、一瞬に感謝と最善を。

スパンコールはあんなに小さくてシンプルなのに。
その連なったまばゆさは一枚からは想像もつかない。

全てはとてもシンプルでエレガントなこと。
その意思と思考を持っておこなわれた一つ一つの行動がスパンコールのようにきらめく。

2016年の終わりに来て、宇宙や神様から、”間違っていないよ”ではなく、”よくここまで来たね”というメッセージが届きだした。2017年に向けて。

私の拙い文章を読んでくださる皆様お一人お一人にとって、2017年が幸福に満ち、安寧であることを心よりお祈りいたします。

 

カミサマカラノオシラセ

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以前、ブログで”SNSを使って望む未来を引きよせる。“というエントリーを書いたことがある。

今回お借りしてアップしてある写真のような、”すてきな風景で朝ごはん”の写真を見つけては、せっせと保存して目の保養に努めている。ボリューミーなイングリッシュブレックファーストの日も、コンチネンタルブレックファーストの日も、目の前にはため息が出るようなヨーロッパの街並みだったり、美しい自然が広がっている。私にとって美しい景色と朝食ってなんだか幸せな人生の象徴なのだ。五感をフルに喜ばせて、人生の一日をスタートするなんてなんて満ち足りているんだろう、と思うから。

私の写真フォルダには一体どれくらいの写真が保存されているのか。何年もその日を楽しみにしながら新しい写真を見つけて嬉々としてしまう。

カミサマノイウトオリ、バージョン2.0 という暮らし向きが一層自分にとって自然となっていき、宇宙と一体化して今目の前にあることにただ、ありがたいと感謝しながら滅私の気持ちでお支えしていくことに、何の迷いも心配もない毎日。

ただ、カミサマノイウトオリにズルはなし。  のような不安がなくなったとしても、”いつ”というのはわからない。郵便やEメールが届くわけでもなければ、事前にスタートした時に知らされているわけでもない。

明日にはわかる、今週末様子を見て、来週には必ず。

そういう言葉を何年も紡ぎながら、落胆と希望を繰り返し、その日が来るのを待っていたことがある人は少ないかもしれない。何年も。

だってそんなの待ちきれないから、普通。

事前に日程がわかっていたら、それまで好き勝手やって戻ってきたりもできるけれど、”ズルはない”のだ。毎日それを積み上げる。それがカミサマノイウトオリなのだから。

でも、その時がどう来るのだろう、と幾度想像したことかわからない。

想像することで現実が近づくかもと思っていた頃もあった。
今週はとても不思議なことが起こっている。想像とはどれとも違うのだけれど。
何年か越しのアイディアにつながる具体的な人との出会いや出来事がどんどん起こっている。
何度もやりかけてはやめたことも。
やめようかな、と思うと、障害が一つ消えて、またゴーサインがオンになる。

正直、この数年ついぞなかったことだ。

ふと思う。

カミサマカラノオシラセなのかしら?

 

(写真はお借りしました)

優しすぎる、考

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”考えすぎ”と周りから指摘されることがずいぶんなくなったなぁ(かといって考えるのを止めているわけでもないけれど)、と思っていたら、”優しすぎる”と言われる。
ちなみに本人は、自分のことを冷たいと思うことはあっても、他人に優しいとはあまり思わない。

いつも通りの屁理屈を言えば、”優しさ”は相対的なものであって、それが”すぎる”のかどうかという多寡の問題は本人またはその対象によって、たとえ”優しさ”というのが数値化できて、妥当である標準的な値を算出できたとしても、可変的で、”過ぎる”かどうかの妥当性は証明できない。なんていうことをつらつらと言えば言えなくもない。

でも、親しい人がこぞって”過ぎる”というのだから、少し考えてみることにした。”優しい”に”過ぎる”がつくと決して褒められているわけではない。笑 そもそも、優しいってあまり良いニュアンスで昨今使われない気がするのだけれど。

数日後、「優しすぎるとなぜ損をするの」というエントリーを目にした。中身は気が向いたら読んでいただくとして。優しすぎる=損する、というのはどうも人間社会においては鉄板らしい。

自分の周囲にいる人とのやり取りを「得」とか「損」で判断し、「損」にならない程度に自分を守りましょう、と言える人たちと、私の議論の方向性にはかなりの開きがあるので、この手の論考は全く役に立たない。同様に、八方美人だとかそういうのもパス。

ということで、そう言われたきっかけ的なことに記憶を戻してみると。
私の視点から共通して言えることは、対象に対して自分の領域を超えて働きかけをしなかったということだった。

それが周りの人にとっては、”相手の気持ちを慮りすぎて”優しすぎる対応ですよ、あなた!ということになったのかもしれない。

でもそれは実は自分がもうそれ以上踏み込みたくないです、の裏返しなのかもしれない。相手の気持ちがわかるからこそ踏み込まないのか、踏み込みたくないのでUターンするのか、私は断然後者のことが多いけれど、そうは見えないのかもしれない。

だから、たとえ”踏み込んできてください”と言われても踏み込まない。だって自分がそうしたくないのだもの。笑

もし、現状”踏み込まないでください”だったとしても、何かしてあげたい人なら、停止線の枠の外で、救急道具だとか、食料だとか、持って待ってるのが私。それはその人のためではない。自分のため。

相手の気持ちは想像だに難くないけれど、その想像の結果、自分がとる行動はあくまで本人のためというよりは自分あってのことなのだ。そういう行動に値するか否か。あとで後悔しないかどうか。相手の気持ちというのもいろいろ解釈ができるし、いろんな選択肢がある。決して一つではない。

学生時代、優しい言葉をかけた後、慮ってそっとして置いていたのをずいぶん経ってから、”気にかけて手伝ってくれると言ったのに何もしなかった”とおとなしい(と思っていた)友人にずいぶん罵られた。笑 すべきことをしなかったと責められるのは私なのか?という問いが頭に浮かんだけれど、そのときは自分を責めるばかりだった。

メンヘラな人(失礼)には文句の言えないほどの正論と正当性を持って相手が”自分のせいだから仕方がない”というところに落ち着かせて終わらせてもらうことにしている。もしくは一切立ち入らない。私のいったことなど覚えてもないし、理解もしない。何もその通りにできないのだから非難だけされなかったらそれでいい。

私は丁寧に誰かと向き合い、付き合いすることを心がけているけれど、それが優しすぎるということで”損”な役回りを受けているつもりもない。あくまでできる範疇で。それ以外はめっぽうドライなのだけれど、その切り替え部分をご存知ないとそう見えるのかもしれないとも思う。
いろんな経験を経て「決して一線越えさせない」ようにしている。笑

これは誰よりも自分に納得のいく答えがほしかったための自己分析なのかもしれない。画一的に語られる”優しすぎる”と自分の中にあるそれがあまりにも乖離していたことが発端だったのかもしれないし。

あらゆる行動は、カミサマノイウトオリ、だし、滅私でいければいいと思うけれど、前回の話と同様で、”私”という実態を消して生きられない今生は、この身と心を十分に労ってやりながら行かなくては有限な時間を必要なものに使い尽くせない。単純で明確な私の今の生き方。